341話_まだ貴方の〝面影〟を求めてる《下》
「ごめんなさい!!」
思いがけない訪問者は名乗った直後、そう言って頭を下げた。
何に対する謝罪なのか分からなかったけれど、徒ならない雰囲気に圧倒された私は彼に何の言葉も掛けてあげる事が出来ない。
「俺、ライには何度も救われたんです。今回だってアイツがいなかったらオレは死んでいました。なのに……なのにオレはアイツが一番苦しんでいる時に何も出来なかった! それどころかアイツの足を引っ張るばかりで……っ、」
ごめんなさい、ごめんなさい。
許しを乞うように何度も謝る彼に、やはり私は何も言えなかった。
謝られたところでライが帰って来ることは無い。けれども、それを彼に言うのは憚られた。そんなこと私が言うまでもなく彼も理解しているはずだから。
それでも、こうして私の所までやって来た彼を見て思った。この子もまた〝ライの面影〟に囚われた一人なのだと。
今更どうにもならないと分かっていても、それでも何か行動を起こさなければ気が済まない。
(……貴方も私と同じなのね)
ライを大事に思ってくれていたからこそ必死に踠いている。近くに船も休めそうな島もない大海原の真っ直中を一人、延々と泳ぎ続けている。
誰かが手を差し伸べなければ。心も体力も尽きて海の底へと沈んでしまう。
それが出来るのは自分しかいない。あの子の母親である私しか彼を解放してあげる事は出来ない。
「……リュウ君って言ったわね。顔を上げて頂戴」
彼の顔は涙や鼻水で顔が濡れていた。手招きすると彼は素直に私の手が届く範囲まで歩み寄ってくれた。
「その顔じゃ落ち着いて話も出来ないでしょ。洗面台は入口にあるから」
洗濯したての手拭いを手渡すと彼は恥ずかしそうに目線を私から逸らしながら「……すみません」と言って受け取った。
受け取ってくれたことに少し安堵した自分がいた。
彼が顔を洗いに行っている間、私は聖女さんに「彼と二人きりにして欲しい」とお願いした。
彼女は終始不安そうな顔をしていたが私の意思を汲んでくれたようで「分かりました。何かあったら言って下さい」とだけ言ってマナちゃんとマヤちゃんを連れて病室を出た。
彼女達と入れ違いに現れたのは、顔を洗い終えたリュウ君。
近くの椅子に座るよう促すと「ありがとうございます」と一礼して着席した。
こうして改めて向かい合うと何と言って話を切り出せば良いのか分からなくなる。
こんなことなら彼が顔を洗っている間に考えておくべきだったと後悔しているとリュウ君の方から口を開いた。
「手拭い、ありがとうございました。顔洗ったら少しすっきりして、それで、あの……急に押しかけたり大声出したりして、すみませんでした」
どうやら顔を洗ったことで冷静さを取り戻したらしい。
「良いのよ、気にしないで」と言ったら、また謝られてしまった。
「ライのお母さんが此処に運ばれたって聞いて、オレ居ても立っても居られなくなって何も考えずに此処まで……」
「それだけ心配してくれたって事でしょ? ありがとう」
一度も顔を合わせたことがない私でさえ、ここまで気遣ってくれる。
そんな優しい子がライの友達でいてくれていたことが純粋に嬉しかった。
「……オレのこと怒ってないんですか?」
「怒る? どうして?」
彼は黙ってしまった。
僅かに彷徨う視線で、言いたくないというより言って良いのか迷っているのだと分かった。
「私ね、誰が悪いとか悪くないとか、そういう風には考えていないの」
誰かを悪者にするのは簡単だ。この場合は、全ての元凶である魔王が最も相応しいと言えるだろう。
だが、その魔王は倒された。退場した者を悪者に仕立てたところで何になる?
魔王を責めればライは生き返る? 全て無かったことになる?
ならない。なるわけが無い。つまり誰かを悪者にしたところで無意味なのだ。
だから私は誰も責めないし、恨まない。あの子が全身全霊をかけて守り抜いた世界で、あの子の意思を踏み躙るような真似はしたくない。
「あの子が……ライが最後まで頑張ってくれたから私達は今こうして生きている。それに、きっとあの子は私や貴方が自分や誰かを責めたり恨んだりすることを望んではいないわ」
「…………」
「ねぇ、リュウ君。貴方、本当は許されたくなかったから私の所に来たんじゃないかしら? 勿論、私を心配してくれたのも貴方の本心だって分かってるわ。だけど私には貴方が自分から悪者になろうとしているようにも見えたの」
彼なりの償い。同時にライの母親である私に恨まれ、罵倒されることで得られる自己満足という名の逃避とも取れる。
私の言葉でハッと気付いたような反応を見た限り、完全に無意識だったのだろう。彼は無意識で保身に走った。
それでも彼を責めることはしない。責める理由も無い。
顔を俯かせてしまったリュウ君に私は慌てて声をかける。
「ごめんなさい、今の言い方は意地悪だったわね。別に貴方を責めてる訳じゃないの。ただ自覚しておいて欲しかったのよ。貴方は悪くない。誰も悪くなんてない。そういう運命だったんだって」
この世の生き物は生まれた瞬間から寿命が決まっているらしい。いつ、何処で、どのように亡くなるのかも全て。
それらを知る方法が無いというだけで皆、最期の瞬間は生まれた時から既に決まっている。ただ、それだけの話。
初めから決まっているのなら誰も責めようがない。恨みようがない。
強いて言うなら、この世界を作り、生き物を作り、ここまでの繁栄を見守ってきた神様だ。
リュウ君を見ると明らかに納得していないのが表情を見て分かった。
それでも何も言わないのは、そう割り切るしかないと分かっているから。
「ありがとう、リュウ君」
「……オレ、礼を言われるような事してません」
「そんなこと無いわ。あの子ったら学校の話、あまりしてくれなかったんだもの。だから貴方のような素敵なお友達がいるんだって分かって嬉しいの」
今日、彼に会えて良かった。心から、そう思う。
でなければ、こんな穏やかな気持ちになる事は無かっただろうから。
「……やっぱり似てる」
「え?」
「あ、いや、最初に会った時から思ってたんですけど話してる時の雰囲気とか、ふとした時の表情とかがライに似てるなって……あ、当たり前ですよね。だって二人は親子なんですから。変なこと言って、すみません」
何度目か分からない謝罪に私は何も返すことが出来なかった。
ライは私の実子ではない。髪の色も瞳の色だって違う。
そんな私達を初対面で親子として見てくれる者は多くはない。況してや似ていると言われたことなど一度も無かった。
「いいえ、そう言ってくれて嬉しいわ」
彼と、もっと話がしたくなった。
私と彼、お互いだけが知っているライの話を。
「リュウ君、まだ時間は大丈夫かしら?」
「え、まぁ、オレも一応入院中の身なので時間なら寧ろ有り余ってるくらいですけど」
「それじゃあ聞かせてくれない? 学校にいる時のライのこと」
率直なお願いにリュウ君は意外そうに目を丸くして、気まずそうに頬を掻いた。
「えぇっと、話したいのは山々なんですけど色々あり過ぎて何から話したら良いか……あと、オレ話すのあんまり上手くないから聞いてもつまらないかも」
真面目な返答に思わず笑みが零れる。
「そう難しく考えないで。貴方が見たもの、感じたものをそのまま伝えてくれれば良いの。それに長くなるようなら区切ってくれても良いわ。貴方さえ良ければ、だけど」
遠回しに、また明日も話し相手になってとお願いしてみた。
「え、オレ、また来て良いんですか?」
「勿論よ。何のお構いも出来ないけど、それでも良ければ」
「き、来ます! 必ず! これから毎日!!」
さすがに毎日は……と言うのも何だか気が引けてしまうほどの勢いに私は苦笑いしながら「無理のない程度にね」と返した。




