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341話_まだ貴方の〝面影〟を求めてる《上》

 小さい頃から何度も同じ夢を見る。男と話をするだけの何の変哲もない夢を。

 何の話をしていたのか。そもそも彼は誰なのか。夢から覚めれば全て忘れてしまう。

 だから私は夢の中で何度も会っている彼の名前すら知らない。

 今日、久し振りに彼の夢を見た。けれど、どうも様子が可笑しい。

 彼は泣いていた。何かを愛おしむように抱きしめながら。

 肌を濡らす雨の感触が妙に生々しくて夢であることを忘れてしまいになる。

 まるで彼の心を映しているかのような冷たく、か細い雨。


 ねぇ、どうして泣いているの?


 尋ねたいのに声が出ない。今まで何度も見てきた夢。こんなことは初めてだった。

 彼が抱きしめているのが人であることに気付いた私は、ゆっくりと歩み寄る。

 彼が誰を抱きしめているのか、誰の為に泣いているのか、知りたかったから。

 どうやら若い女性のようだ。辛うじて見える細い足と長い髪で私は判断した。

 顔が見たい。その好奇心が私の背中を押した。

 私は更に歩み寄って彼の背後から女性の顔を覗き見ようとした、その時。


 ────────ザン……ッ!


 風を切るような音と同時に世界が()()した。

 つい先刻まで彼を見下ろしていたはずなのに、今真下に見えるのは灰色の雨雲に覆われた空だ。


(もしかして私……飛んでるの?)


 鳥にでもなったというのか。しかし、ここは夢の中。世界が逆さまになろうと突拍子もなく鳥になって飛び立とうと何ら不思議ではない。寧ろ、この非現実性こそ夢らしいと言える。

 このまま空へと向かうのかと思われた身体が下降していると分かったのは、それから間もなくのこと。

 着地しようとしているにしては下降速度が落ちる気配がない。これは重力に従って落ちている。そう、()()()()()のだ。

 止める術もなく、そのまま叩き付けられるように地面に落ちる私の身体。

 痛みよりも(まさ)ったのは予想に反した軽い衝撃と違和感。

 見下ろしていた彼に今度は私が見下ろされた。

 頬を流れ落ちるのが雨なのか涙なのかも分からないまま私も彼を見上げる。

 俯きがちな顔、水気を含んだ前髪、降り続ける雨。これらの要因が彼の表情を上手く隠していて、彼がまだ泣いているのかも分からない。

 手を差し伸べたくても身体が動かない。今の私には彼を案じることしか出来ない。

 それが何だか切なくて、もどかしくて彼から視線を少し逸らすと彼のすぐ後ろに人影が見えた。

 世界が反転する直前まで自分がいた場所。自分が、いたはずの場所。


(入れ替わったってこと? でも一体、誰と……)


 人影を完全に捉えた時、私は目を疑った。その人物には〝首〟が無かったのだ。

 体格から見るに人物は男。どこかの部隊に所属する傭兵なのか武装している。

 何故、この男に首が無いのか。彼といい、この男といい、今目の前で何が起こっているのか。知らないことが、あまりに多過ぎる。

 この世界で私は、どういう立ち位置なのか。彼らとの関係性は?

 限られた情報で憶測を立てていく中で私は見過ごしていた違和感を拾い上げた。

 突然、反転した世界、宙を舞った身体、地面に落ちた時の衝撃、そして……首のない男。

 夢だからと深くは考えていなかったが、それが間違いだった。

 私は鳥になって空を飛んでいたわけではない。飛ばされたのだ、正確には断頭された。

 落ちた際に妙に衝撃が軽かったのも未だに動けないのも首だけになってしまったからだ。

 誰に? そんなの決まっている。目の前にいる彼しかいない。

 この世界での私は、あの首のない男だったのだ。つまり今、私は首だけとなった男の姿で彼を見上げていることになる。


「…………足りない」


 何度も聞いてきたから分かる。これは彼の声だと。

 その声から底知れない怒りと憎悪が窺える。


「足りるものか、この程度の報復で。満たされるものか、この程度の絶望で。貴様等の身体を切り刻んで魔物の餌にしたとて、まだ足りぬ」


 彼の身体から禍々しい〝何か〟が溢れ出る。


「泣いても血に塗れても潤せない渇きに(うな)される深潭(しんたん)を貴様等にも味わわせてやる」


 彼を止めなければ。でないと本当に取り返しのつかない事になる。

 何をするつもりかも分からないのに漠然と、そう思った。


 彼の手が抱きかかえていた女性の髪を掻き上げ、頬に触れる。

 想い人に触れるような優しくも躊躇いがちな手つきに思わず泣きそうになる。大切な人を失った悲しみは今の自分にも痛いほど理解できるから。

 彼が何かを呟いた、きっと腕の中で眠る彼女の名前だろう。

 段々と視界がボヤけていく。意識が遠のいていく。この夢の終わりが近付いている証拠だ。

 まだ、目覚めたくない。叶うことなら、もう一度、彼と……────


「マリアさん」


 可愛らしい声に呼ばれて目を開ける。

 鮮やかな常磐(ときわ)色の瞳が心配そうに此方を覗き込んでいる。

 夢のことだと分かっていても自分の頸に触れてしまうのは仕方のない事だろう。

 繋がっていることを実感すると無意識に入れていた肩の力が抜けた。


「此処は……」


聖女(アムネ)が管轄する医療機関の病室です。倒れる直前に何があったか憶えていますか?」


 彼女の話を聞いて「あぁ、そういえば」と倒れる前のことを思い出した。…………愛していた我が子が死んだことも。

 ライは自分が産んだ子どもではないが、それでも育ての親として、彼にとっては唯一の母親として自分なりに精一杯の愛情を持って接していた。

 血の繋がりなんて関係ない。彼を心から愛していた。

 マナとマヤだって同じ。皆、皆、私の可愛い子ども達。


「無理に起こしてしまって、すみません。魘されていたようでしたので、つい」


 自分の身に直接起こったことでないとはいえ、あんな夢を見たのだ。もしかしたら呻き声の一つや二つは上げていたかも知れない。

 そう考えたら少し気恥ずかしくなって顔を俯かせた。

 起きてから、まだ数分も経っていないというのに既に夢の内容は朧げ。自分が憑依していた夢の中の誰かが首を刎ね飛ばされたことくらいしか憶えていない。


「いえ、大丈夫よ。こちらこそごめんなさいね、迷惑かけちゃって」


「め、迷惑なんて……そんな……」


 私には彼女が何かを言葉にするのを躊躇っているように見えた。それから、その言葉がどういうものなのか何となく分かってしまった。


「私は大丈夫よ」


「っ、」


 彼女は唇を結んで耐えるように私を見た。


「気遣ってくれて、ありがとう。貴女は、とても優しい子なのね」


 ライのことは彼女も知っているはず。

 だからこそ必死に探してくれている。彼の母親である私が傷付かない言葉を。

 だから、私から言った。「大丈夫」だと。


「……どうして嘘を吐くんですか」


「え?」


「大丈夫なわけないじゃないですか! どうして、そんな辛そうなお顔をされてまで見え見えの嘘を吐こうとするんです?! 迷惑をかけたくないからですか? 心配されたくないからですか? ……大丈夫じゃないのに大丈夫なんて言わないで下さい」


 大丈夫なわけがない。そんなこと自分が一番分かってる。

 分かっているから、目を背けたかったのに。

 分かっているから、その本心に誰も立ち入らせないように気丈に振る舞っていたかったのに。


(それすら許してくれないの……?)


 涙が一つ零れた時、自分の手に重ねるように小さな二つの手が置かれた。

 顔を上げると同じ顔が二つ。愛しい愛しい娘達。


「……お母さん、大丈夫?」


「泣かないで」


 今にも泣きだしてしまいそうな二人に手招きする。ベッドに身を乗り出す二人を私は強く抱きしめた。


「お母さん、痛いの?」


「苦しいの、お母さん?」


 お母さん、お母さん。二人が、そう呼ぶ度に思う。

 あぁ、此処にもう一人。いつもみたいに〝母さん〟と呼んでくれるライがいてくれたら。

 その願いは二度と叶わない。もう彼はいないのだから。


「っ…………ライ、」

 

 愛しい我が子の名前に反応するように涙が奥から溢れ出る。流れ出したら最後、もう止める方法は無い。

 何度名前を呼んでも返事は来ない。これからは、あの子のいない日々が当たり前になる。それが堪らなく辛い。


(だけど……)


 それでも生きていかなければならない。

 私には、この子達がいる。二人を置いて行くことなど出来るはずがない。

 まだまだ時間はかかるだろう。もしかしたら、その時が来ることなんて無いかも知れない。

 それでも、いつかは現実と向き合うから。ライのことを受け入れるから。

 だから、どうか今だけは面影を求めることを許して欲しい。











 ────コン、コン。


 扉を叩く音が聞こえて全員で顔を見合わせる。

 誰も心当たりのない訪問者。少し緊張を含んだ声で「どうぞ」と入室を促す。


「失礼します」


 入室の挨拶と同時に開かれた扉。現れたのはライと同い年くらいの男の子。

 相手も緊張しているのか硬い表情とぎこちない足取りで彼は私達の所までやって来た。


「リュウさん?! 貴方、どうして……っ、早く病室に戻って下さい! 貴方だって完全には回復してないんですから安静にしていないと」


「ライのお母さん、ですよね」


 確信を持った声色。私は反射的に頷いてしまった。


「……貴方は?」


「オレ、リュウっていいます。アイツの……ライの友達です」


 ライの友達だと言った彼の潤んだ瞳は爛れたような赤みを帯びていた。

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