338話_欠陥品の独唱曲〈アリエッタ〉《中》
ギィルは貴族として名高いバーンハード家の第二子として誕生した。
バーンハード家にとって初めての男の子。貴族にとって男児は貴重な存在。
これでバーンハード家の未来は安泰だと誰もが彼の降誕を喜んだ。
彼はバーンハード家当主の次期後継者として物心が付いた頃から帝王学を叩き込まれた。貴族で且つ当主という特別な地位に就く者として当然の責務だと言われ続けながら。
ギィルは両親や周囲の期待に応えるため座学や礼儀作法の習得に勤しんだ。
けれども、彼が褒められることは一度も無かった。誰よりも上手にやり遂げだ時も、試験で満点を取った時も。
にも関わらず、少しでも結果が振るわないようなことがあれば叱咤される。「それでもお前はバーンハード家の人間か」と。
今度は結果を残さなければ。叱られたくない。見捨てられたくない。次は、次こそは。
向けられた期待は段々と膨らんで、いつの間にかギィルだけでは背負いきれなくなっていた。
母親と楽しそうに買い物に出かける姉が羨ましい。
親から貰ったプレゼントを嬉しそうに自慢する貴族の子どもが羨ましい。
同じ貴族なのに、同じ子どもなのに、彼らと自分とでは何が違う?
「いいか、ギィル。お前は選ばれた人間なんだ」
口癖のように父親から何度も聞かされた言葉。
選ばれたから、他の子達なら褒められるようなことでも自分は褒めてもらえない?
選ばれたから、姉のように出掛けることも遊びに行くことも許されない?
(……分からない。分からないよ、お父様)
ただ褒めてもらいたい。少しでいいから努力を認めて欲しい。ギィルの望みは、それだけだ。
選ばれた人間は、それを望むことすら許されないのか?
幼い頃から両親や家庭教師を含めた大人に囲まれてばかりの生活を送っていたギィルに同年代の友人も相談相手もいるはずもなく、この解消できない精神的重圧に唯々耐えるしかなかった。
『大変だなぁ、貴族様は』
その頃だった。ギィルの中で眠っていた、もう一人の人格〝ギル〟が目覚めたのは。
周囲がギィル違和感を抱き始めたのは彼が八歳になったばかりの頃。
とは言っても「偶に別人になったかのように人が変わる時がある」と屋敷の使用人達の間で噂になる程度だった。
そしてギィルの十二回目の誕生日を迎えた時、事件は起こった。
誕生日パーティーが行われていた会場にてギィルが招待客である貴族の子息を殴ったのである。
実際に殴ったのはギィルではなく、ギィルの身体を乗っ取ったギル。ギィルを蔑むような発言をした貴族が、どうしても許せなかったのだ。
しかし、場所と相手が悪かった。
人目の多いパーティー会場での暴行。世間の目にはギィルが控えめで大人しい青年に映っていただけに周囲が得た衝撃は大きかった。
加えて、前々からギィルの妙な噂が地味に広まっていたこともあり一部では「ギィルを装った偽物では」、「悪魔か何かに取り憑かれてしまったのでは」等と根拠のない話も出回り始めるようになった。
そして何より問題だったのは、ギィルもといギルが殴った相手だ。
貴族には爵位と呼ばれる階級があり、相手は貴族爵位最高と言われる〝公爵〟を親に持つ子息。
対して、バーンハード家の爵位は次席の〝侯爵〟
どちらが不利であろうかなど誰から見ても一目瞭然であった。
この事件を切っ掛けに、ギィルは煙たがられるようになった。また別人格のギルの存在も明るみになり、より一層、ギィルは追い込まれた。
それまで向けられていた期待の眼差しは軽蔑なものへと変わり、父親でさえギィルを言葉と暴力で虐げた。正確には、ギィルの中にいるギルを。
バーンハード家の息子は、ギルという悪魔に取り憑かれている。
ギィルの父親はギルを追い出すために祓魔師に悪魔祓いの洗礼を依頼した。
やって来た祓魔師は年若く、端正な顔立ちをした美青年であった。
父親にとっては、これが最後の賭けだった。この洗礼でも駄目ならば彼はギィルを手放そうと考えていた。
人間でもなければ、悪魔でもない。そんな得体の知れないものが家族だと思うだけで気が狂いそうだった。
あれからバーンハード家には更に一人子どもが生まれ、しかも男の子であった。
他に後継者候補がいるなら一人くらい切り離したところで大した問題ではない。寧ろ、このままギィルを家に置いておく方が不利益になる。
実の父親であり正式な後継ぎとして育ててきた我が子を非情にも捨てようとしていた。
一度堕ちてしまえば、どこまでも。バーンハード家にとって、もはやギィルは他人以下の存在であった。
結論、洗礼は失敗した。
ところが、バーンハード家の価値そのものを覆すような驚愕の事実が判明してしまった。
「……バーンハード様、ギィル様は養子ではなく実子で御間違いなかったですよね?」
「あぁ、そうだが……っ、まさか?!」
ギィルが人間と魔族の混血持ちであることが明らかとなったのである。
人間と魔族が契らなければ両者の混血を持って生まれてくるなど有り得ない。
ギィルの産んだ母親は人間、父親も人間。なのに、その子どもは混血持ち。
次は誰が責められるか、当時子どもだったギィルにも予想は付いた。
「貴様、これは一体どういうことだ?! バーンハード家の正妻でありながら、よりによって魔族の子を成すなど!」
「こ、これはきっと何かの間違いですわ! 神に誓って私は旦那様以外に身を捧げたことはありません!」
「黙れ、穢らわしい尻軽女め! よもやキャメルとマリィも、その魔族との子ではなかろうな?!」
「そこは、ご安心下さって問題ないかと。魔族の血を引いているのはギィル様のみのようです」
祓魔師の言葉にギィルの父親は僅かばかりの安堵の表情を見せる。
「祓魔師殿、貴殿の力で如何にか出来ないか?」
「如何にか、ですか。……難しいですね。単純に意識だけが取り憑いているならまだしも血や魂まで根深く交わっているとなると、もう手の施しようがありません。ギィル様は一生、人間と魔族の混血持ちとして生きていくことになるでしょう」
「そ、そんな……こんなことが、もし他の奴らに知られたら爵位剥奪どころの話ではないぞ!」
「バーンハード様、私に良い提案が御座います。確か、貴方様の領地には孤児院がありましたよね?」
そう言って父親に何かを囁く祓魔師こそギィルには本物の悪魔のように見えた。
父親を追い詰めた張本人でありながら今度は救いの手を差し伸べようとしている。この短時間で父親は完全に彼に翻弄されていた。
「な、なるほど! さすがは祓魔師殿、実に頼もしい!」
「勿体なき御言葉」
祓魔師の提案とは、適当に理由を付けて自分が治めている領地内にある孤児院に預けるというものだった。
領地内にさえ置いていれば余計なことをしないか監視も出来る。当然、その孤児が自分の子どもであることは一切伏せて。
そうしてギィルがバーンハード家を追い出される形で孤児院へと連れ出されそうになったところで……何処からともなく魔王が現れたのである。
「ほぉ、人と魔族の混血持ちで更には二重人格か。……面白い。人間、要らぬと言うのなら其奴は俺が貰ってやろう」




