335話_変わる景象、変わらぬ想い
リュウの見舞いを終えたグレイはソウリュウ族の村を訪れていた。
前に訪れた時は魔物の死骸や踏み荒らされた作物ばかりであったが、今は綺麗さっぱり無くなっている。
それでも以前の姿を取り戻すまでにはまだまだ時間がかかるようで屈強な鬼人達が家などの修繕作業にあたっていた。
グレイが、この村を訪れた理由は二つ。
一つは、レイメイや村の鬼人達を診断するため。
診断と言っても、彼らの治療は既に終えているため他に異常がないか確認する程度。謂わば、検診である。様子を見るたけで事足りるため、彼らの作業を中断させることなく行えるのだ。
そして、もう一つの理由はギル達に会うため。
ギル、キャンディ、ロゼッタの三人は王都ではなくソウリュウ族の村に滞在している。
ライの機転により彼らは魔王に操られていた事になっているが、今回の件に関わっていることに変わりはないためヒューマ達と同様で聴取を受けさせられる可能性がある。
素性を調べられたところで疾しいものは無いが、彼らが襤褸を出さないとも限らない。
そこで少しの間、復興作業の手伝いをすることを条件に聖騎士達の目が届かないソウリュウ族の村に彼らを匿ってもらう事になったのだ。
力仕事はロゼッタ、邪魔な大岩の撤去はギルが担当。作業に役立ちそうな魔法も、ロゼッタのように力も体力もないキャンディは鬼人の子ども達の世話係である。
「わぁー! キャンディちゃん、お花の冠作るの上手だね!」
「ま、まぁ、このくらい何個だって作れるわよ」
「すごーい!」
女の子達に囲まれて満更でもなさそうな顔のキャンディをグレイは遠目で観察する。
彼から話しかける事はない。今話しかければ面倒な事になると分かっているからだ。
「キャンディちゃん、次はおままごとしよ!」
「し、仕方ないわね。そこまで言うなら付き合ってあげても良いけど、変な役は止めてよね」
どうやら今から、おままごとの時間らしい。
彼女達の楽しそうな様子を見る限り世話係としての任務は順調のようだとグレイが微笑ましそうに眺めていると、彼女達の和には入らず一人で黙々と花冠作りをしている鬼人が目に止まった。
その鬼人の名は、ミサキ。まだ幼い身でありながらライに無自覚な初恋を捧げている。
キャンディの意識が完全に子ども達との遊びに向いていることを確認し、グレイはミサキに近寄った。
(こんにちは、ミサキちゃん。相変わらず器用だね)
「あ、グレイお兄ちゃん」
グレイに気付くと、ミサキは作りかけの花冠を膝の上に置いて振り返る。
(皆、おままごとをするみたいだけど一緒に行かなくて良いの?)
「うん、ミサキは良いの。花冠をいーっぱい作らなきゃいけないから」
グレイはミサキの母親から彼女が花冠作りに精を出していることを聞いていた。
ここ最近、毎日のように花冠を作っている理由をミサキは母親にも話していない。
自分が訊いたところで話してはくれないだろうと思いながらもグレイは彼女にダメ元で尋ねてみることにした。
(どうして花冠を沢山作らないといけないのかな?)
ミサキは辺りをキョロキョロと見回して誰も自分達の会話に耳を傾けていないことを確認すると、グレイに手招きする。
ミサキの目線に合わせるようにグレイが屈むと、彼女は耳元でヒソヒソと話し始めた。
「だ、誰にも言わないでね。……あのね、ライお兄ちゃんにあげたいの。前にあげた物より、もっともっと綺麗なお花の冠」
その時、グレイは思い出した。
この村でライの死を知っているのは大人の鬼人達だけであったことを。
「ライお兄ちゃんはミサキ達のためにレイメイ様と一緒に頑張って戦ってくれたんだよね。だから、綺麗な花冠を渡して〝みんなを守ってくれて、ありがとう〟って言いたいの。だからね、いっぱいいっぱい練習してるの」
ライのための花冠。何度も練習して一番綺麗な物を渡したい。
なんて純粋で残酷な望みなのだろうとグレイは思った。
どんなに綺麗な花冠を作ったところでライの手に渡ることはないことを彼女は知らない。
彼女が真実に気付く頃にはどれだけの花冠が完成しているのだろうと考えてしまう己の意地の悪さにグレイは苦笑した。
(……そっか。綺麗な花冠、渡せると良いね)
「うん!」
希望に満ちた笑み。ライが生きていると信じきっている何よりの証。
今のグレイにとって彼女の笑顔は、あまりにも眩し過ぎた。
これ以上長居すると余計なことを口走ってしまうかも知れない。グレイは半ば逃げるようにミサキに別れを告げた。
次にグレイが訪れたのは、村に隣接する森の中間地点。そこはライがメラニーと再会し、レイメイと初めて会った場所でもあった。
現在は小屋の修繕に必要な木材を集め、運び出すための場所として使われている。
そこでは複数の鬼人とロゼッタが木材を村に運ぶための運搬作業をしていた。
「すげぇ……ワシ達が数人かがりでやっと運び出せる量を、たった一人で」
「あんな細っこい身体のどこにそんな力が?!」
「凄い力持ちだなぁ、姉ちゃん。お蔭で大助かりだ。この調子で頼むぜ」
「はい、任せて下さい!」
成人した鬼人何十人分もの仕事をロゼッタは一人でこなしている。
小屋の修繕作業が予定より早く進んでいるのが彼女のお蔭であることはグレイの目から見ても明白であった。
人間と変わらぬ容姿。筋肉質とは言うよりスレンダーな体型。しかしながら巨人族の変異種である彼女だからこそ授けられた恩恵を考えれば、この仕事は打って付けだ。
(……ここも異常なし。最後はギルの所ですね)
残るは、グレイが最も苦手とする相手。
出来れば行きたくないのだがと渋い顔をしながらもグレイは自分の仕事を全うするため更に森の奥へと進んで行った。
薙ぎ倒された木々。程度に差はあれど所々には地割れも見受けられる。
魔物の侵攻により受けた被害が、こうして傷痕となって残っているのだ。
この惨状を目にして誰よりも遣る瀬無い想いをしたのは、この山一帯の主であるメラニーだ。
恨みを晴らすべき相手が既に絶命しているため彼女は今、感情の消化不良を起こしている。更にはライの件もあり、非常に虫の居所が悪い。
ギルとは違う意味で会いたくない相手ではあったが、そう思った時に限って運悪く鉢合わせしてしまう。グレイは自分の不運を呪った。
「あら、グレイじゃない。来てたのね」
(……えぇ、まぁ。今日は蜘蛛の姿なんですね)
「今日は、って……これがワタシの本来の姿だってことは貴方も知ってるでしょ」
とりあえず会話が出来るだけの理性は残っているようだとグレイは愁眉を開く。
「それより今日は何しに来たのかしらぁ?」
(この村の鬼人達の診断、それから今後の事についてギル達と話をしに来ました)
「今後、ねぇ。キャンディやロゼッタは兎も角、ギルが素直に貴方の話に応じるとは思えないけど」
(……だとしても、応じてもらわなければ困ります。これは彼らにとっても重要な事ですから)
グレイは魔王を失った彼らの行く末を気にしていた。
全く無関係でないとはいえグレイには今の生活がある。魔法学校の生徒としての生活が。
だが、魔王の復活を目的に動いていた彼らには何がある?
故郷は? 仕事は? 交友関係は?
彼らが今まで何処で、どのような生活をしていたのかすらグレイは全く知らない。
そもそもソウリュウ族の村に匿うことになったのは彼らに行く当てが無かったからだ。
この世界で得られる筈だったものを全て捨てて此処まで来たのだとしたら。
魔王との再会だけを望みに生きてきたのだとしたら。
ライが亡くなった今、彼らは生きる理由を失ったことになる。
「本当に変わったわねぇ、貴方。昔なら、ここまであの子達を気にかけることなんて無かったでしょうに」
(……否定はしません。あの頃の俺は魔王様が全てでしたから)
魔王を主軸とした考え方は今も変わっていないように思えたが、指摘するのもそれはそれで癪だとメラニーは喉まで出かけた言葉を呑み込んだ。
「へぇ、じゃあ今は違うって言うの?」
(いえ、俺にとって最も優先するべき対象は魔王様です。それは今でも変わりません。ただ、今思えば昔は魔王様の為にと言うより俺の自己満足で動いていたような気がします)
自分は魔王の役に立てる、必要とされているのだと実感できる瞬間が欲しかっただけなのかも知れない。
それが結果的に魔王の助けになっていただけで元を辿れば、それは忠誠心ではなく薄汚い下心だったのではないかとグレイは主張しているのだ。
「承認欲求って奴ね。でも、それって貴方だけに限った話じゃないわよ。皆、魔王様に認めてもらいたくて必死だったもの。勿論、ワタシも。そんなワタシ達と貴方に違いなんてあるのかしらぁ?」
(…………)
「そもそもワタシから言わせれば忠誠も自己満足も大して変わらないわ。だって何方も一方的に向けたり向けられたりするものでしょ。相手の意思なんて関係ない。自分がそうしたいと思えば、それで完結するんだから。一々ややこしく考え過ぎなのよ、貴方。あと、考え方が卑屈過ぎ。聞いてるワタシまで憂鬱になっちゃうじゃない。偶には腹が捻ねるくらい笑える面白い話しなさいよ」
なんて無茶振りをとグレイは思ったが、今のはメラニーなりの励ましだと分かっているから何も言わない。
何も言わずに、少しだけ微笑む。彼女の気遣いに感謝しながら。
(貴女は、いつも前向きですね。いや、強かと言うべきでしょうか)
「当たり前じゃない。いつだって恋する乙女は強いのよ。貴方も少しは見習いなさい」
(……それは俺も誰かに恋慕の情を抱けということですか?)
「あら? 貴方、恋ならとっくにしてるじゃない」
(は、誰に?)
「魔王様に」
(初耳ですけど?!)
誤った認識が彼女の中で常識となっていることにグレイは困惑を隠せない。
一方、メラニーは彼の反応を事実を言い当てられたことに対する動揺と捉えていた。
人間の姿になったメラニーは意地悪な含み笑いを浮かべながら這い寄るようにグレイと距離を詰める。
「あら、隠さなくたって良いじゃない。恋敵が一人や二人増えたって今更驚かないわよ」
(別に隠してるとか、そういうわけでは)
「なぁに? あれだけ熱心に魔王様に尽くしておいて白を切るつもり?」
(いや、だから)
「あ、それとも隠してるつもりは無いってこと? ……へぇ、意外。まさか貴方が恋愛には積極的なタイプだったなんて」
(せめて最後まで言わせて下さい!)
グレイの頬から肩に、肩から腰にと滑り落ちるように指先で触れながら誘導するように言葉を投げ掛けるメラニー。その仕草は、まるで巣にかかった獲物を弄ぶ蜘蛛だ。
「それにしても貴方達も不憫よねぇ。想い人が同性ってだけで自分の気持ちに素直になることすら出来ないんだから」
(勝手に人の感情を想像して、勝手に憐れまないで下さい。それに何なんですか、貴方〝達〟って)
「何って、貴方とギルとロットのことに決まってるじゃない」
既にグレイは否定するのも面倒だと思い始めていた。謂わば、一種の諦めである。
種別にとって差はあるものの魔物同士の恋愛において性別を考慮する者は少ない。
魔物の中には成長途中で性別が変わる種族や性別を意図的に変えられる種族、また性別という概念すら存在しない種族が存在するからだ。
(……あの二人がどうかは知りませんが、少なくとも俺は魔王様にそのような不埒な感情を抱いたことはありません)
「不埒って、貴方ねぇ」
(そもそも同性であること以前に俺とあの人とでは釣り合いが取れませんよ。立場も、生きている世界も違うわけですから)
今のは否定と言うより、そのような感情を抱くことさえ烏滸がましいという謙譲の念としかメラニーには受け取れなかった。
「それは昔の話でしょ。今は違うじゃない」
(いいえ、違いませんよ。俺が俺で、魔王様が魔王様である限り。それに死者を想ったところで虚しいだけじゃないですか)
無神経な発言をしてしまったことにグレイが気付いたのは、全てを言い終えた後だった。
肌を突き刺すような殺気がグレイへと向けられる。
「……今のはワタシに対する嫌味のつもり?」
(い、いえ、あくまで俺個人の意見です。気に障ったのなら謝ります。すみません)
メラニーは相変わらず殺気を放ったまま。それだけ彼女にとって、あの発言は不愉快なものだった。
それでもグレイを睨むだけで攻撃を仕掛けてくる様子はない。彼女が、まだ辛うじて理性の手綱を握れている証拠だ。
「……まぁ、貴方の言うことも分からなくはないわ。どれだけ想っても愛を囁いても相手が見えもしない亡霊じゃ意味ないものね。だけど、そんなのどうだって良いのよ。ワタシは最初から意味なんてものは求めてないの。一々、自分の想いや感情に意味を求めてたら切りが無いわ。そうしたいからするだけ、そう想いたいから想うだけ」
(それだけ、ですか?)
「えぇ、それだけよ。やたらと理論付けしたがる貴方には物足りない理由かも知れないけれど」
(いえ、そんなことは……)
未だ初恋も体験していない恋愛未経験者のグレイにとっては難解な話だ。
今まで恋という感情を他人事あるいは研究対象としか捉えてなかった彼には自分が魔王を想う気持ちと近しいものなのだろうという曖昧は程度での認識しか出来ない。
文献上の知識で計り知れない情報は、当事者にしか得られないのだから。
(恋愛なんて本能的にするものなのに、それすら理論付けようとするなんて本当、バカ真面目なんだから)
こういう時ですら自分というスタンスを崩さないグレイにメラニーは心の中で苦笑する。
その時、近くの茂みがガサッと音を立てて揺れた。警戒するように身構えるグレイに、メラニーは「大丈夫よ」と一言だけ声をかける。
「揶揄うのは、そのくらいにしとけ。メラニー」
グレイ達が聞き慣れている声と共に茂みから現れたのはギルとキャンディとロゼッタだった。




