333話_End of the beloved satanás(さらば、愛されし魔王よ)
外の空気、光、匂い。今のアランには全てが懐かしく、愛おしく思える。
まるで、この世に初めて〝生〟を受けたような感覚。これが〝生きている〟という事なのだろうと彼は全身を通じて実感していた。
状況も掴めないままライの魔法で強制的に城の外へと出されたアランは芝生の上に横たわっていた。
見慣れない城。見慣れない場所。
王都の勇者学校の図書館に居たことまでは記憶していても、それ以降の事は何も憶えていない彼からすれば自分が何故こんな所にいるのかなど見当が付くはずも無い。
唯一の手掛かりは、あの光景。剣で刺し貫かれた幼馴染。
その光景を見たのは瞬きも許されない、ほんの短い時間。それでも記憶として刷り込まれるほどに衝撃的で、未だに彼の脳裏に焼きついて離れない。
こんなにも明確な映像として記憶してしまっては夢で片付けることも出来ない。
しかし、現実として受け入れることも出来ない。あれを現実だと認めてしまえば、今頃ライは……
「っ、おい! 誰かいるぞ!」
敵か味方かも分からない声にアランの身体が強張る。逃げようにも身体が重くて動けない。
原因は魔力の無かった肉体に無理やり魔力が宿らせ、更には魔法を連続で発動させたことで起こった肉体負荷によるものだが、何も知らないアランに分かるはずもない。
アランの耳に届いたのは、こちらに駆け寄って来る数名の足音。
もう駄目だと強く目を瞑った時、聞き覚えのある声が聞こえて思わず目を開けた。
(アランさん!)
グレイだ。彼とアランは一度、同じクエストを受けたことがあった。
「グレ、ィさ……ッ、ゴホッ!」
名前を呼ぼうと取り込んだ空気に喉を刺激され、アランは咳き込んでしまった。
誰よりも先にアランの元へと駆け込んだグレイはアランの診察を始める。
致命傷を負ったわけでないことが分かるとグレイの顔から微かに安堵の色が浮かぶ。
(目立った外傷も無し。バイタルも安定している。ただ体力の消耗が激しい。起き上がれないのは、そのせいか)
元より魔力を持たないアランが本人の意志と無関係とはいえ一気に膨大な魔力を取り込んでいたのだから何の反動も起こらないわけが無い。
寧ろ、この程度で済んだのは幸運だったとグレイは彼の強運に驚かざるを得ない。
せめて動けるようになるくらいまで体力を回復させようとグレイはアランに治癒魔法をかける。
魔法の効果はすぐに現れ、筋肉痛にも似た身体の痺れと倦怠感が少しずつ引いていくのがアランにも分かった。
先ほどよりもアランの顔色が良くなったのを確認したグレイは自分を含め、この場にいる全員が気になっていた事を尋ねた。
(アランさん、ライさんに会いませんでしたか? 少し前に貴方を助けるために城に入った筈なのですが)
少しずつ快方に向かっているはずのアランの顔が血の気のないものに変わっていく。
何処からともなく汗が流れ、口からは浅い呼気が漏れる。こんなにも分かり易い動揺の信号をグレイが見逃すはずが無かった。
アランの反応でグレイの胸に穏やかでない騒めきが起こる。
(……アランさん?)
その騒めきを無視してグレイは再度、アランに返答を求める。
対して、アランは何と答えるのが正解なのか分からなかった。最後に見たライの姿が、あの光景が現実なのかどうか彼には確かめる術が無い。
他でもない自分の記憶とはいえ現実か否かの判別も出来ない曖昧なものを彼らに伝えるのは、どうにも憚られた。
「……ごめん。会ったような気もするけど何だか頭がフワフワしてて、よく思い出せないや」
嘘を吐いているわけではないのに良心の呵責に苛まれたアランはグレイ達の方を見ることが出来なかった。
(……そうですか。邪悪な魔力の気配が消えたので、てっきりライさんが魔王から貴方を救い出したのかと思いましたが)
「じゃ、邪悪な魔力? それに今、魔王って……」
未だ状況を掴めないアランに、グレイは自分達が此処まで来た経緯を話した。
そこでアランは自分の身体が魔王に乗っ取られていたことを知る。
記憶の一部が欠けているのも、自分が見慣れない場所にいるのも全て魔王の存在が絡んでいたのだと理解したアランの中である情景が映し出され、心臓を掴まれたように息を凝らした。
(じゃあ、あれは……現実?)
アランの中で仮定の筋書きが浮かび上がる。
自分を助けるためにライが魔王との激闘を繰り広げ、その末に刺されたのだとしたら。
剣は彼の心臓部に深々と刺さっていた。心臓を刺されれば、どうなるか……その先の未来など医療に詳しくないアランでも想像に容易い。
「あ、あぁ……っ、あ、ぁ……!」
漸く事態の本筋が見えたアランに突き付けられた残酷な真実。
アランがライを手に掛けた。正確には魔王が操られていたアランがライを手に掛けたのだが、アランにとって重要なのはそこではない。
自分の手で、ライを殺したことに変わりはないのだから。
そう自覚した途端にアランは自分の手が恐ろしく見えた。
人殺しの手。勇者を志す者には相応しくない穢れた手。
「ごめ、…なさ……っ、……!」
アランの懺悔と慟哭が酷く静まり返った城外で響く。
グレイが何度も声をかけるが、アランは同じ言葉を繰り返すばかりで答えようとしない。
これでは埒が明かないとグレイは申し訳なく思いながらもアランの記憶を覗き見た。
アランが見てきたもの。アランの肉体が見てきたもの全てを。
アランが泣きながら誰かへの謝罪らしき言葉を零す理由、そして事の全容を知ったグレイの目の前に絶望の闇が広がった。
(魔王様が、死んだ……?)
一度目は目の前で失って、今度は自分の目の届かない所で……
そんな筈はないとグレイは頭で否定するが、先ほど覗き見たアランの記憶がその事実を裏付けてしまっている。
それでもグレイはライの死を否定する。否定したところで意味が無いと分かっていても。
「ねぇ、見て! 城が……!」
ロゼッタの声にグレイは顔を上げる。
虚ろな彼の目に映ったのは、そこだけ時間の流れが違うかのように段々と朽ち果てていく城。
供給されていた魔王の魔力が失われたことで本来の姿に戻ろうとしているのだ。
どんなに美しく着飾っても魔法が解けてしまえば元の見窄らしい姿に戻ってしまう。
そんな物語があった気がするとグレイは崩れていく城を見つめながら、何処に仕舞っていたのかすら分からない遠い記憶を掘り起こしていた。
これはグレイにとっての現実逃避だった。崩れゆく城を目の前にしてもなおライは生きていると自分に言い聞かせている。
それが、どんなに惨めで滑稽に映ろうと構わない。
グレイは待っている。〝彼〟の声を。
「見つけた! ビィザァーナ、こっちよ!」
しかし、グレイの耳に届いたのはビィザァーヌの声だった。
レイメイを足止めしていた筈の彼女達が何故と疑問は沸いたが、今は城から目を背ける気にはなれなかった。
「貴方達、今すぐこの場から避難しなさい! 時期に此処はまた霧に覆われるわ!」
「霧って、毒の霧の事かしらぁ?」
布を巻いただけの全裸に近い格好をしたメラニーにビィザァーナは面食らったように目を見開いた。
「あ、貴女、なんて格好を」
「ビィザァーナ、今は人の服装を気にしてる場合じゃないでしょ」
「そ、そうだったわね。……貴女の言う通りよ。調査の結果、毒の霧が晴れたのは毒素を阻害する結界のお蔭だって事が分かったの。しかも、この城や森を覆うほどの大きな結界よ」
「大きさだけで評価するなら王都に張られた結界以上だわ。でも今、その結果は不安定な状態なの。正直、いつ解けても可笑しくないわ」
「結界が解けたら、どうなるんですか?」
ロットが尋ねるとビィザァーヌは険しい表情で口を開いた。
「結界が解けた瞬間、霧に包まれて即死よ。少し吸い込んだだけで死に至るような猛毒らしいもの。だから貴方達も早く!」
「今から走って逃げたところで間に合うのか?」
「走る? 何の為に私達が来たと思ってるの。ほら皆、箒に跨って!」
掃除用の物より数倍は長い箒が二本。これなら全員、この場から撤退できる。
各箒の先頭は操縦者のビィザァーナとビィザァーヌ。彼女達の後ろに続くようにロット、キャンディ、ロゼッタ、メラニー、ギルが箒に跨る。スカーレットはメラニーの腕の中で大人しくしている。
その場から動かないのはアランとグレイ。ライの死を悟った者だけだった。
「二人とも何をしてるの! 早く来なさい!」
ビィザァーナが叫ぶが、それでも二人に動きはない。彼女としては今すぐにでもこの場から飛び立ちたいところだが、彼らを残して行くわけにはいかない。
「ビィザァーナ、もうこれ以上は……」
「っ、仕方ないわね。こうなったら力尽くでも連れて帰るわよ! そこのスライムさん、協力して」
ビィザァーナはスカーレットを一度だけ目にする機会があった。また珍しい色であったこともあり、そのスライムがライの連れていた相棒モンスターだと、すぐに分かったのだ。
(キョリョク?)
指名されたスカーレットはビィザァーヌの言葉に念話で返す。
「あの二人を貴方の触手で捕まえて欲しいの。お願いできるかしら?」
(マカセテ!)
スカーレットは気合いの入った返事をしながら擬態した人間の手でグッと親指を立てる。
そこからスカーレットは流れるようにアランとグレイを拘束すると、そのまま持ち上げて無理やり箒に跨らせた。
何が起こったのか理解できないとばかりに目をパチクリさせる二人を横目にビィザァーナ達は箒は上昇させた。
彼女達の足が地面から離れると同時に、その地面からブワリと何かが溢れ出た。
結界の効力が切れて、とうとう毒の霧が姿を現し始めたのだ。
「皆、息を止めて、しっかり箒に捕まってなさい! 全速力で行くわよ!」
上空へと逃げるビィザァーナ達と、彼女達を追いかけるように発生し続ける霧。生死をかけた追いかけっこは間一髪のところで逃げ切ったビィザァーナ達が勝利した。
遠ざかる城。何名かが名残り惜しむように振り返って城を見続けるが、復活した毒の霧によって完全に覆い隠され、とうとう目視不可能となってしまった。
◇
この日、遂に魔王が倒された。
その吉報は多くの村や町に瞬時に知れ渡り、人々は歓喜の涙に咽び、取り戻した平穏を愛しんだ。
だがしかし、その代償に一人の青年が命が失われたことを知る者は数少ない。
かつて青年の部下であった者達はグレイから真相を聞かされ、泣き崩れた。
青年と共に戦場を駆けた仲間は静かに彼の死を悼んだ。
青年を知る者は、その事実を受け入れられないでいた。
彼らの嘆きの咆哮は喜悦の声に掻き消され、大衆の耳に届くことは無かった。
翌日、暁紅に包まれた世界で一人の青年が目を覚ました。
青年の名は、リュウ・フローレス。彼は聖女が管理する特別病棟にいた。
凛とした静かさのある早朝。彼が療養している病室の扉からは訪問者を知らせるノック音。
この病棟内での自分の世話係であるミカデスが来たのかと思い、リュウはいつもの調子で「入って良いよ」と声をかけた。
扉が開いた音が聞こえてもリュウが寝ているベッドはカーテンで囲まれているため誰が入って来たのかを正確に把握することは出来ないのだが、此処を訪ねて来る者は限られている。
故に、リュウは来る時間帯に疑問を持ちながらも訪問者はミカデスだと思い込んでいた。
開かれたカーテンから現れた人物に、リュウは大きく目を見開いた。
「おはよう、リュウ君。どうだね、体調の方は」
「ア、アルステッド理事長?! ど、どうして……」
「私が我が校の生徒の見舞いに来るのは可笑しいかね?」
「い、いや、そんなことない、です」
朝から心休まらない時間を迎えることになろうとは思ってもみなかったリュウは内心冷や汗をかいた。
アルステッドがリュウの病室に来るのは初めてではない。何度かリュウの見舞いには訪れていたが、明け方の来訪は今回が初めてだった。
「朝早くにすまないね。君に早急に伝えなければならない事があったものでね」
「伝えたいこと?」
「良い報せと悪い報せがある。何方から聞きたい?」
「え、えーと……じゃあ、良い報せから」
悪い報せという不穏な響きが気にならないわけではなかったが、リュウは先に良い報せを選んだ。
「ビィザァーナ達から連絡があってね。魔王を倒したそうだ」
「え?!」
ベッドから起き上がったリュウは勢いそのままにアルステッドに詰め寄った。
「ほ、本当ですか?!」
「あぁ、本当だとも」
アルステッドは〝誰が〟魔王を倒したかは明白にしなかったが、リュウは確信していた。魔王を倒したのはライだと。
リュウはミカデスから精霊ならざる者に堕ちかけた自分を助けてくれたのはライだと教えられた。
ライに会いたい。早く会いたい。
会って、御礼を言いたい。よくやったと褒めてやりたい。
魔王討伐という偉業を成し遂げた人間界での初めての友達を早く祝福してあげたかった。
「それで?! 皆は、いつ帰って来るんですか?!」
「少し落ち着き給え。彼らなら、もう帰って来ているよ」
ライが、グレイが、アランが、皆が帰って来ている。
今すぐ会いに行きたい気持ちを必死に抑え、リュウはアルステッドに向き直る。
アルステッドが言っていた〝悪い報せ〟を聞く為に。
「で、悪い報せって何ですか? ……はっ! もしかしてオレの成績のことで、また何か」
「リュウ君」
アルステッドの雰囲気が変わったことにリュウは戸惑いを隠せない。戸惑いが不安に変わり、嫌な胸騒ぎを覚える。
「君とライ君が懇意の仲であることは私もよく知っている。それだけに、このような報せを君に伝えなければならないのは非常に心苦しいが……────」
今日もまた新しい朝が生まれる。魔王が倒されたことで迎えられる新しい朝が。
世界が希望に満ち溢れた朝を迎える中、肌寒い病室でリュウは親友の訃報を聞いたのである。
次回、《暗香疎影の亡霊 編》突入




