332話_合わせ鏡の決闘《下》
爆煙が晴れる前から魔王には分かっていた。自分の魔法が、また命中しなかった事を。
遠隔からの魔法攻撃は便利だが発動者との距離がある分、発動までに時間を要する。発動に時間がかかるということは、それだけ相手にとっては避けるなり結界を張るなりの対策を講じやすいということ。
ならばと結界すらも打ち破って相手の間合いに入ってしまえば良いと実行したものの失敗。
これで最後とばかりに振るった渾身の一撃は見事な空振りに終わってしまった。
(チッ、今のも避けるのか。自分を相手にするというのが、こうも面倒だとは……いや、自分だからか)
自分と同等の実力者を相手にしているのだから苦戦を強いられるのは仕方がない。
(っ、少し派手にやり過ぎた。煙で何も見えん)
魔王は警戒しながらも結界を張ることはしなかった。この状況を利用して相手が攻撃を仕掛けてくることは無いと分かっているからだ。
ライの目的の一つは、魔王が魂の器としている肉体の回収であることは魔王にとって既知の事実。相手の目論見が分かっている以上、利用しない手はないと判断してのことだった。
この肉体を盾にすれば相手は必要以上に攻めてはこない。
事実、先ほどからライは防御ばかりに徹している。
今のところ戦況は互角。魔力が尽きるのを待つのも良いが、魔力の残量のことを考えれば魔王にも決して余裕があるわけではない。
このまま長期戦となれば最悪、共倒れにもなりかねない。だからこそ、この均衡を崩す一手が欲しい。
ライは攻撃魔法を仕掛けない。仕掛けてくるはずがない。
その過信が魔王の直感力を鈍らせた。故に、魔王はライが先に〝均衡を崩す一手〟を手に入れたことに気付きもしない。
薄まっていく煙の奥でライは魔王の影を捉えた。彼の手には魔剣、魔王殺剣が握られている。
ハヤトから託された魔剣。絶大すぎる力を保持する剣ゆえに一度も抜刀することは無いだろうとライは思っていた。というより、この剣の出番は無いだろうと踏んでいたのだ。
しかし今、剣は鞘から抜き取られ、その刃は漸く剣としての役割を与えられることを喜んでいるかのように鈍い輝きを放っている。
この剣を使おうと思い立った切っ掛けは魔王が彼に放った〝ある言葉〟であった。
(……魔王は二人も要らない)
その一言にライは違和感を覚えていた。
この世界の魔王といえば元々、御伽話の中だけでの存在。しかも最後は勇者達に倒され、封印される。
この世界に魔王と呼べる存在は一人も要らないのだ。
ライは以前、ガチャールから魔剣が持つ効果や能力について聞いた事があった。
相手が高魔力であればあるほど、そして危険性が高ければ高いほど剣としての力を発揮する魔剣。その代わり一般的に低級扱いされる類いの存在には何の効果も無い。
アランを救うには、この魔剣に頼るしか無いと思ったのだ。
かつて魔王を滅したとされる魔剣を元魔王が使うというのだから何とも皮肉な話だ。
(それに、この魔剣があれば……)
──思想の異なる二つの魔力が一つの肉体に収まった時、何が起こるか……まさか分からないわけではあるまい。
魔王のお蔭で気付けた新たな脅威。それはライが昔の自分に戻るという可能性。
昔の自分に戻るということは破壊衝動に呑まれた化け物になってしまうという事だ。
自分の魔力が魔王の魔力に打ち勝てるかどうかなど試してみるまでは分からない。しかも勝負は一瞬。取り込んだ後に考えれば良いなどと悠長なことは言ってられない。
だが、この魔剣さえあれば、そのような心配は無用だ。何故なら、この剣は殲滅対象となる存在を全て消し去ってしまうのだから。
ミイラ取りがミイラになっては本末転倒。そのような事態だけは何としても避けなければならない。
例え、自分の身を犠牲にしてでも。
ライの覚悟は決まっていた。
アランを救い、魔王を倒し、以前の平穏を取り戻す。それがライの願いであり、皆の願いでもある。今、その願いを叶えられるのは彼だけ。
煙が晴れ、再び両者が対峙する。
ライが見慣れない武器を持っていることに気付いた魔王は怪訝な顔を浮かべたが、その正体が分かると、その顔は驚異と畏怖に変わった。
「き、貴様、その剣を何処で……っ?!」
魔王の表情が変わったことでライは確信する。この魔剣が齎す効果を魔王もまた知っている事を。
魔王の問いかけには答えず、ライは剣を構えて駆け出した。
ライが駆け出したのを見て、魔王は即座に後退する。
「っ、来るな! 来るな、来るな、来るなぁぁあ!!!!」
迫り来るライに魔王は魔法で対抗するが、魔剣の前では意味がない。一太刀浴びせるだけで全ての魔法が呆気なく消滅する。
魔法による抵抗は無意味だと証明されたにも関わらず、魔王は詠唱を止めない。
アランの肉体を支配している魔王の魂が動揺している今なら彼を呼び戻すことが出来るかも知れない。
剣を振りながら、ライは目の前の魔王もといアランに呼びかける。
「アラン、そこにいるんだろ! いつまで、こんな奴に好き勝手させているつもりだ! それでもお前は魔王を倒した勇者か! さっさと目覚めろ、アラン・ボールドウィン!!」
あらゆる魔法や結界を切り捨てた魔剣の刃の切先が、ついに魔王を捕らえる寸前にまで届いた。
「や、止めろぉぉぉぉぉおおお!!!!」
魔王が最後の足掻きで魔法を発動させるが、やはり魔剣に斬り捨てられる。
間近で放った魔法が破られた反動で体勢を崩した魔王の腕をライは掴んだ。
「これで終わりだ。魔力吸収」
その瞬間、ライはアランの体内にあった魔王の魔力が自分の方へと流れ込んでくるのを感じた。
その感覚と同時に起こったのさ拒絶するかのように頭痛と無尽蔵に湧き上がる怒りと怨恨。
自分の意志とは無関係な感情の働きに今度は自分の身体を乗っ取るつもりなのだと筋書き通りの展開にライは表情を引き攣りながらも笑うしかなかった。
憎い、この世界が。
違う、そんなこと思ったことも無い。
自分を認めない世界など壊してしまえば良い。
そんな傲慢な理由で世界を壊すなど間違っている。
繝槭Μ繧「を見捨てた世界など無くなってしまえ。
……? 何だ、今のは。雑音……じゃないよな。
決して許すな。俺ヅ軞リアの世ୌを穢ス키の屯。
思考が汚染されていく。このままでは闇に呑まれてしまう。
ライは思考を振り切ろうと首を振ったが、軽く眩暈がするだけだった。
目の前の男が憎い。勇者が憎い。
此奴さえいなければ、俺は……
自分が握っていた魔剣の刃先がいつの間にかアランへ向けられていたことに気付いたライは剣を下ろそうとするが、何故か力が入らない。
自分の意志とは無関係に腕が動いている。このままでは剣がアランを貫いてしまう。
魔王の魔力が抜けたばかりのアランの肉体に魔剣の効果が及ばない保証は無い。
剣先がアランに届くまで、あと数センチ。もし効果が今の彼にも及ぶなら剣先が擦った時点でアウトだ。
魔剣は勢いに乗ったまま今にもアランの胸部を貫きそうだ。引き戻そうと力を入れるが、やはり魔剣は戻らない。
「く、そ! このままじゃ……」
万策尽きたかと思った時、ライは自分とアランの立ち位置を見て、ふと思い付いた。
魔剣を動かせないのなら自分とアランがいる場所を入れ替えてしまえば良いのだと。
「互換」
剣の軌道はそのままにライとアランの立ち位置だけが入れ替わる。
場所を入れ替わったことでアランから剣先を逸らすことに成功し、ライが安堵した直後──音もなく、魔剣が彼の胸部を貫いたのである。
「………………ライ?」
静かになった空間に響き渡る、懐かしい声。
聞き間違えるはずがない。大事な幼馴染の声を。
何か答えたいのに。言いたいことは一杯あるのに頭が上手く働かない。
他でもない自分のことだから分かる。数秒後には意識が途絶えてしまう。
(せめて、アランだけでも……っ)
意識を手放してしまう前にライはアランを城から脱出させるため魔法を発動させると力尽きたように倒れた。
意識を手放す直前、彼が最後に見たのは夕立ちが降る予兆を感じさせる空の如く今にも泣きだしそうな顔した幼馴染だった。




