332話_合わせ鏡の決闘《中》
斯くして、二人の魔王による闘諍の火蓋が切られた。
初手として城を覆うように展開されたのは二重の空間保護結界。
魔王は拠点を守るために。ライは城内にいるエドとウル、そしてまだ城の外にいるであろうグレイ達を守るために。
理由は違えど、両者にとっての最優先事項は城の崩壊を未然に防ぐ事であった。
これで結界の効果を得られている間、城が破損しようとも自動的に修復される。
つまりは戦いにのみ集中できる状況が作られたわけだが、ライは未だ焦燥感に駆られていた。
先手必勝とばかりに魔法を発動させたのは魔王。
流暢な詠唱が魔王の間に響くとライの足元に大きな魔法陣が浮かび上がり、瞬時に黒炎が吹き上がる。
ライは声を上げる間もなく、魔法陣が生み出した炎に飲み込まれてしまった。
この世の闇を映したような漆黒の炎は通常の炎とは比べ物にならないほどの高火力。飲み込まれたが最後、灰すら残らない。
魔王にとって必要なのはライが持つ魔力であって肉体ではない。魔力さえ回収できれば他がどうなろうと関係ないのだ。
不意を突いた魔法は、視覚的には確かにライを捉えていた。にも関わらず、不思議なことに魔王には、その感触が無かった。
魔王が得た不可解は、それだけでは無い。
人間や魔族に限らず生きたまま燃やされてしまえば肉体が焼け爛れる痛みや苦しみで叫び声を上げ、炎から逃れるために暴れ踠くものだ。
(よもや俺としたことが火力の調整を誤ったか? やはり奴の魔力と融合して本来の力を取り戻さなければ魔法は安定化は厳しいか……まぁ、良い。こんなにも呆気なく終わったのは正直想定外ではあったが、お蔭で手間が省けた)
残るは魔力の回収のみ。そうして予定通り、この世界に絶望を与えてやる。
黒炎に包まれた魔力を回収するために魔力吸収を発動させようと軽く息を吸った次の瞬間、魔王は膝を折って床に崩れ落ちた。
突然、身体の自由が利かなくなったのだ。魔王は立ち上がろうと踏ん張るが、上手く力が入らない。
(何だ、これは……?! 俺の身体に何が起こった?!)
「知りたいか?」
聞こえるはずのない声が聞こえて魔王が顔を上げると、炎に焼き尽くされたはずのライが目の前に立っていた。
魔王である自分が見下ろされている。その構図は魔王としての威信を失墜させるには充分過ぎるものだった。
「お前が魔法発動のために魔力を解放した時、俺も魔力を解放していたんだ」
単純に解放されただけの魔力は空気中で自然消滅してしまうが、その魔力を利用する為にライはある魔法を施していた。
それは制限発動魔法。具体的には自身の魔力を含んだ空気を第三者が取り込むことを発動条件とした一時的に相手を麻痺状態にする麻痺魔法である。
「解放した魔力そのものを制限発動魔法に転換させたというのか?! 馬鹿な、それなら魔力感知で気付けていたはず」
「基本的に魔力感知は自分以外の魔力を感知する為のものだ。魔力感知が反応しなかったのは俺とお前が同じ魔力を持っているからだろう」
ライは魔王と自分の魔力の波長が同じことに早い段階で気付いていた。
相手と自分が同じ波長の魔力を持っているという滅多にない状況を逆に利用したのだ。
「では、貴様が無傷なのは何故だ?! いや、そもそもあの黒炎をもろに食らって生きていること自体、ありえん! 貴様、一体何をした?!」
「特別には何も。お前が燃やしたのは俺の分身だった。ただ、それだけの事だ」
「っ、分身だと? そんなもの、いつから……」
「最初からだ。念には念をってわけじゃないが、先ずは分身を出向かせてお前の出方を探るつもりだったんだ」
これまで魔王が話していたライは分身。それが本当だとして、どうして気付けなかったのか? その解は既にライが提示している。
いつの間にか不利な状況に立たされていることに困惑する魔王をライは感情を消した瞳の中に落とし込む。
「どうした? この世界に絶望をとか大層なことを言っていた割に大したことないな」
「……所詮、貴様は俺の魔力となって消え失す存在。少しばかり出し抜いた程度で図に乗るなよ」
「そういう台詞は、せめて立ってから言うべきなんじゃないか?」
少なくとも地べたに這いつくばった今の状態では様にならない。
煽りとも取れる指摘に底知れない怒りと恥辱を覚えた魔王の顔に瞬く間に熱がこもる。
「っ、何故だ?! 何故、我が半身でありながら人間の味方をする?! 人間の真似事をする?!」
「真似事じゃない。この世界の俺は普通の人間だ。それに、わざわざ人類を敵に回す理由も無い」
「敗北したことで戦うための爪も牙も失ったか。やはり貴様は救いようのない腑抜けだ。それとも貴様は忘れてしまったとでもいうのか。あの時の俺達が受けた屈辱を、絶望を!」
「…………」
忘れるわけがないとライは心の中で吐き捨てた。
あの戦いで彼は多くのものを失ったのだ。忘れられるわけがない。
〝何故〟。そう問いたいのはライもまた同じであった。
何故、あの世界とは無関係なこの世界を攻撃した?
何故、故郷の村とツードラゴ村を消滅させた?
何故、かつての仲間さえ見放した?
何故、そこまでして世界の破滅を望む?
(お前を突き動かしているものは何だ? お前は一体、何を恨んでいる?)
そもそも本当に何かを恨んでいるのだろうか?
妙なことを言っている自覚はあってもライには魔王か復讐といった個人の感情より、そうしなければならないという使命感で動いてるように思えてならなかった。
そう思う理由の一つとしては、今のところ魔王から特定の対象に対する明確な殺意が感じられない事にある。
魔王は〝この世界に絶望を〟と言っていた。そう思うに至った経緯は〝過去に受けた屈辱を晴らすため〟だとも。
しかし、全ての元凶とも言える魔王が受けた屈辱や絶望に関する情報は無いに等しい。
そこでライは自分もまた魔王となった経緯に関しての記憶が曖昧であったことを思い出した。
魔王になってからのことは憶えているのに、肝心要の魔王になる前のことは何故か殆ど憶えていない。そんな事が有り得るのか?
以上のことから、もしかしたら彼もまた自分と同様に記憶として曖昧な部分があるのかも知れないとライは推測したのである。
あれこれ考えだすと無尽蔵に溢れ出る疑問や推測。
口に出したところで切りがないことは分かっているから、ライが魔王に問いかけることも伝えることも無い。つまる所、これ以上の長考は時間の無駄なのだ。
強制的に思考を遮断したことでライの興味の矛先は魔王が先ほど使用した魔法へと切り替えられた。
(それにしても、まさか序盤から黒炎魔法を使ってくるとはな)
分身を出していなかったら、あの場で焼失していたのは自分だった。
もしかしたら起こり得たかも知れない未来を想像しながらライは安堵の息を吐く。想像上の事とはいえ一瞬でも恐怖してしまったことを相手に悟られないように、ひっそりと。
その一瞬の間に、背中に魔法の翼を生やした魔王が飛び上がった。
これまでライが魔王を見下ろしていた構図が、今度は魔王がライを見下ろす構図となったのである。
麻痺魔法の魔法が発動されてから数分しか経っていないにも関わらず、魔王は魔法が使える程度にまで回復してしまった。
魔王とライの身体には各異常状態への耐性がある。従って、異常状態からの回復が常人よりも遥かに速いのだ。
「くっ……! 形だけとはいえ、まさかこの俺が俺自身の前で這いつくばる事になろうとは。しかし、解せんな。あの時、俺は満足に身体も動かせない状態だっだ。止めを刺すなり魔力を吸収するなり出来たはずだ」
「止めを刺されたかったのか? 魔力が無くなれば、お前も消えてしまうんだぞ」
「こんな時まで敵の心配か? ……いいや、違うな。貴様、俺に攻撃できないんだろ」
この時、ライの表情が初めて大きく崩れた。
彼の反応を見て魔王は芝居染みたように、ほくそ笑む。
「やはり、そうか。そういえば、この世界で貴様と勇者は幼馴染らしいな。かつての宿敵と仲良しごっことはまた酔狂な事を」
「……お前には関係ないだろ」
「関係なくは無い。現に、貴様は本気を出せていない。それは、この身体を傷付けたくないから。違うか?」
生傷を刺激するような問いかけにライは顔を顰めたが「違う」と否定することは出来なかった。
魔王は本気でライを殺そうとしている。しかし、ライは違う。
ライの目的の一つ、アランの救出。その目的を達成させるにはアランの肉体と魂の無事は絶対条件。
その為にも先ずはアランの肉体と魔王の魂を分離させなければならない。
だからこそライは意図的に攻撃魔法の使用を避け、出来るだけ相手の肉体に負担のない軽度の異常状態付与魔法や拘束魔法で対抗するつもりだったのだが……早くも、その意図を読まれてしまった。
「気に食わん。そんな安直な策で勝てると本気で思っていたのだとしたら、俺も随分と舐められたものだな。良いだろう。ならば、その腑抜けた考えを貴様の存在ごと消し去ってやるまでのこと」
「その身体は俺の幼馴染、アラン・ボールドウィンのものだ。お前が好き勝手に扱って良いものじゃない」
「まだ言うか! その減らず口、今度こそ貴様の肉体ごと焼き消してくれる!」
魔王が魔法を発動させるタイミングに合わせてライは防御結界を展開する。思惑を見抜かれても尚、ライが攻撃魔法が放つことは無い。
そんな攻防戦が続く中、ライは結界の中で次なる手を考えていた。
このままではアランの無事を確保するどころか魔力の回収もままならないが、かといって今のように魔法による攻防戦を続けたところで埒が明かない。
ライは自分に残された手札を見直しながら、この状況を確実に覆す一手は無いかと模索する。
「散れ、ライ・サナタスよ! そして、崇高なる魔王の魔力となれ! この世に魔王は二人も要らぬ!!」
その時、ライの中で行き詰まっていた思考に一閃の光が差し込んだような感覚があった。
だが、同時に展開していた結界が限界を迎えた音も聞こえ、その音に反応するように顔を上げると遠くにあったはずの魔王の顔が何故か彼の目の前にあった。
「────終わりだ」
直後、ライがいた場所は爆煙に包まれた。




