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332話_合わせ鏡の決闘《上》

 感情の乱れによる錯覚だと分かっていてもライにとって最上階へと続く階段はやけに長く、永久に続くかのように感じられた。

 言うまでもなく永遠に続く階段がこの城にあるはずもなく、最後の一段を上り切ったライは魔王の間を目指して歩き出す。

 そこは魔王としての彼が誕生した場所であり、魔王としての彼が最期を迎えた場所だった。それ故に彼にとって〝魔王の間〟は良くも悪くも特別であった。

 この世界に生まれ落ちた時に全て捨てたはずだったのに、何の因果か魔王と勇者は再会した。

 魔王は一目見ただけで彼が自分を打ち倒した勇者だと気付いたが、勇者は違った。気付くどころか記憶すら無かった。

 世界を悪の根源から救った勇者の名を受け継ぎ、姿は昔の自分と似た大切な幼馴染。

 それが今のライにとってのアラン。彼らの間に勇者と魔王という関係は無い。

 しかし今、彼の常識が目の前で覆されようとしていた。


「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」


 妙な威厳と落ち着きを加えた声は魔王の間の奥にある玉座に腰掛けた青年から発されたものだった。この青年こそ魔王だ。

 魔王はアランと瓜二つの容姿をしていた。足を組み、頬杖つきながら品定めするようにライを見つめている。


「初めまして、ライ・サナタス(我が半身よ)。そして、死ね」


 指揮者のように魔王が指を振ると空中から数百本もの剣が現れた。

 全ての剣先がライの方を向いている。


「朽ち果てた刀剣よ。我が声に応え、()の者の魂ごと刻み尽くせ──転輪剣舞(ルエダグラディウス)


 数百の刃がライに襲いかかるが、彼はその場から動かない。

 降り掛かる刀剣の雨を気にかける様子もなく、敵意を含んだ憎悪の目は青年だけを捉えている。


【消えろ】


 己の言葉を魔力に乗せてライは言魂(ロゴス)を発動させると刀剣は彼の身体を貫く前に飛び散った。


「ほぉ、言魂(ロゴス)で打ち消したか。さすがは()と言ったところだな。……そう怖い顔をするな。今のは、ほんの冗談だ。あの程度で死ぬような奴が俺の半身であるわけが無いからな」


 感心したような物言いとは裏腹に心の芯まで凍るような冷ややかな声。

 筆先で背中をなぞられたような感覚に陥りながらもライは口を開いた。

 

「何故、ギル達を拒絶した? お前を目覚めさせてくれた恩人であり、力を貸してくれた仲間だろ」


「何故だと? 知れた事を。必要なのは俺の為に働き、俺の為に死ぬ忠実な部下のみ。裏切り者を城に入れてやる義理はない。むしろ始末しなかったことを褒めて欲しいくらいだ」


(……()()()()()()だと?)


 笑えない悪趣味な発言を、ライは腑が煮え繰り返りそうな思いで我慢した。怒りをぶつけるだけ無駄だと思ったのだ。

 魔王にとって今の発言はあくまで正論。自分を目覚めさせてくれた事さえ当然だと思っている。

 なんと横暴で下劣な思想。やはり彼を野放しにしてはいけない。

 ライは改めて認識した。目の前にいる魔王の危険性を。


「彼奴と同じ顔で、声で、そんなことを言うな」


「俺の身体で何を言おうが貴様には関係ないだろう」


「その身体はアランのものだ。お前のじゃない」


「違うな、この身体は初めから俺のものだ。それを一時的に貸していただけに過ぎない。まぁ、とはいえ憎き勇者に身体を預けるのは屈辱ではあったがな」


「……知っていたのか。彼が魔王を倒した英雄、アラン・ボールドウィンだと」


 意外そうに目を丸くするライに対し、魔王は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「自分を殺した奴だぞ? 忘れたくても忘れられぬわ。現に貴様も憶えているではないか。なぁ、我が半身よ」


 そう言って魔王はライに手を差し伸べた。

 その行動の意図が分からず、ライは怪訝な顔を浮かべる。


「本来、貴様と俺は二人で一人。今こそ果たせなかった野望を実現させる時だ! この世界に絶望を与え、思い知らせてやろう。魔王の偉大さを、恐怖を!」


 ライは差し出された手を見つめ、先ほどの仕返しとばかりに嘲笑った。


「女々しい奴だな。いつまで昔のことを引き摺って生きていくつもりだ」


「……何だと?」


「あの時に敗北した時点で俺達の野望は打ち砕かれた。これ以上、この世界を俺達が前世で清算できなかった想いや感情の捌け口にするのは止めろ」


 魔王は目を見開いた。まさか自分自身に拒絶されるとは夢にも思っていなかったからだ。

 彼らは二人で一人。だが、例え同じ魂であっても宿る想いまでもが同一であるとは限らない。

 況してや十二年もの間、魔王としてではなく普通の人間として生きてきたライは前世の彼とは別人と言っても過言ではないほどに変わり果ててしまっている。

 それを今更、昔と同じようにと言われて容認できるはずも無い。


「我が半身とは思えぬ腑抜け振りだな。仮にも魔王の名を手にした奴が聞いて呆れる」


「何とでも言え。俺は、ただ無関係の奴等を巻き込みたくないだけだ」


 魔王は呆けた顔をした直後、腹の底から搾り出すような声で笑った。


「何を言い出すかと思えば〝無関係の奴等を巻き込みたくない〟だと? 馬鹿も休み休み言え。昔、その無関係な奴等を破滅させようとしていたのは他でもない貴様だったではないか!」


 ライは何も言い返せなかった。彼が言ったことは事実だ。認めるしかない。

 しかし、己の非は認めても彼の行いを認めるわけにはいかない。

 自分と同じ過ちを、もう一人の自分が犯そうとしている。それがライには許せなかった。


「俺が此処に来たのは、お前を止める為だ。この世界に持ち込んできた野望も後悔も今度は俺自身の手で打ち砕いてやる」


「……このままでは俺達は相容れないというわけか。ならば仕方がない。元々は一つだったものだ。ただ時期が早まるだけのこと」


 想定外ではあったが大した問題ではないと言いたげに首を振った魔王は魔力を解放し、臨戦態勢に入った。


「光栄に思え。貴様の魔力、我が野望を叶えるため存分に役立ててやる」


 ライの目的もまた魔力の回収。つまり、この戦いは魔力を先に奪われた方が負けなのだ。そして魔力を奪われるということは即ち、彼らにとって死を意味している。

 同時に、ライはアランを救い出す方法も考えなければならないのだから負担が大きい。それでも助けが期待できない以上、一人でやり遂げるしか道は無い。


「大事なことを忘れているぞ。この魔力は、お前だけのものじゃない。奪われる前に、お前の魔力を奪ってしまえば良い話だ」


「確かに俺の半身なのだから貴様のものとも言える。だが、本当に大事なことを忘れているのは貴様の方だと思うがな」


「何が言いたい?」


「思想の異なる二つの魔力()が一つの肉体に収まった時、何が起こるか……まさか分からないわけではあるまい」


 ギルとギィルのように一つの肉体に複数の魂が宿る事例もあるにはあるが、それは生涯において一度見られるかどうかの稀少なものだ。

 よって〝一つの肉体に対して一つの魂〟という考えが自然の摂理であり、また常識の一つとして広く知れ渡っている。

 何らかの方法で無理やり一つの肉体に二つの魂が入れば必然的に肉体の所有権を巡った魂同士の争いが起こる。

 要は、椅子取りゲームだ。一人用の椅子に二人も三人も座ることは出来ない。

 元が同じ魂であっても同様だ。それぞれの魂が構築する主の感情が相反していた場合、それを一つに纏めるには何れかの感情を抑圧しなければならない。

 双方の相反した感情が互いに反発し合った状態で同じ肉体に留まれば宿主は精神崩壊を起こし、最後は廃人と化してしまう。


 魔王の指摘通り、重要なことを見落としていたのはライの方だった。

 相反する意思を持った魔力を奪えたとしても肉体を乗っ取られてしまっては意味がない。

 ここにきて、まさかの落とし穴。助言を乞おうにも、こういう時に頼りになるグレイは城の外。物は試しと念話(テレパシー)を試みるも誰とも繋がらない。


(これは少し……いや、かなり厄介な事になった)


 動揺で流れた汗が雨後の雫のように滴り落ちた。

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