330話_静謐な城
久々の我が城にも関わらず、どうにも締まらない入城をしてしまったことが少しだけ悔やまれる。
それでも素朴でいて独特の趣きがある昔と変わらない内装を前にしただけで、どうでも良くなってしまうのだから我ながら単純だなと笑った。
あまりの懐かしさにこのまま城内を見て回りたい衝動に駆られるが、今はお預けだ。
薄くて長い絨毯が敷かれた廊下を進みながら二階へ続く階段を目指す。
絨毯の柔らかさで緩和されているとはいえ普段は気にならない靴音さえ耳障りに感じる。これだけ静かだと一人ぼっちで世界の端に取り残されたような感覚に陥る。
いつも歩いていた廊下。日常的だった光景。それが今や過去の話で、しかも前世まで遡るのだから面白い。
これといった異変もなく、階段まで辿り着いた。
入り口と同様、空間魔法でも仕掛けられているのではと警戒していたのだが、杞憂に終わった。何事も無いのが一番だが、何となく肩透かしを食った気分だ。
螺旋階段を上り、二階に到達するも未だ何かが襲ってくる気配は無い。
グレイの読みが正しければ、このまま魔王のいる最上階までは難なく進める筈だ。
(気掛かりなのは最上階の階段に繋がる、あの部屋くらいか)
魔王がいる階に行くには、大広間を通らなければならない。
大広間の一部の壁と柱は水槽としての役割も担っている。魔王としての俺が生前に改修したのだ。
水槽には二人の〝人魚〟がいた。その人魚は双子で女型はウル、男型はエドという。
彼らは人魚でありながら毒性のあるものを養分にするという非常に珍しい特性を持っている。日頃から毒性のあるものを摂取しているのだから当然、彼らに毒は無効だ。
何でもグレイ曰く、彼らの体内にある様々な種類の毒が互いに反応し合って更に強い毒を生み出すんだとか。
その過程が何度も繰り返されることで結果的に世界に存在する有毒物質の中で最も危険な猛毒が彼らの体内で生まれ、どんな毒も効かなくなるらしい。
ただ、そんな彼らには致命的な弱点がある。それは毒が存在する空間でしか生きられないこと。
城に移り住む前、彼らは毒の霧に覆われた場所を範囲に住処を転々としていた。
彼らは人魚であるため普段は水中で生活しているが、実は自分達の意志で人間の姿に形態変化することが出来る。簡単に言えば、下半身が魚の尾鰭から人間の足に変わるのだ。
人の姿になることで陸地での移動も可能になるが、その姿の間は肉声で話すことが出来ない。
毒の霧が晴れてしまった今、彼らが生きていける場所は城の中にある水槽の中だけ。
既に絶命している可能性も考えていたが、たった今、その可能性は潰された。
この先の大広間に間違いなく彼らは居る。気配も魔力も、どうやら向こうは隠す気も無いらしい。
出来れば本命以外との戦闘は避けたい。況してや相手が彼らともなれば。
何しろ、彼らは毒そのもの。しかも触れるだけで侵されてしまうほどの猛毒だ。
生まれつき俺にも多少の毒耐性はあるが、あくまで耐性があるというだけで毒を完全に無効化できるわけじゃない。
リュウの時はグレイ達の助けもあって毒に侵されることは無かったが、今回は俺一人。正直、不安要素しか無い。
だからといってグレイ達が来るのを律儀に待つわけにもいかない。
(どうせ待っても来ないだろうからな)
来られない、というのが正しい表現ではあるが。
グレイ達には入り口以外から城に入れる方法があるかも知れないと言ったが、見込みは薄いだろうと俺は思っている。恐らく、グレイ達も。
そう確信した最大の要因は、術者が城の構造を深く理解している人物であること。
さっきは先に進めなかっただけのようだから問題なかったが、場合によっては負傷者が出ていた可能性だってある。
魔力感知が使えないロゼッタやロットは不便な思いをするだろうが、そこはグレイやメラニーが何とかしてくれるだろう。
気にならないと言えば嘘になるが、今は目先のことだけに集中しよう。それが俺を送り出してくれた彼らへの恩義という奴だ。
(さて、今世の彼奴等は敵か味方か)
ロゼッタの時のような事にならなければ良いが……こんなことなら少しでも情報を集めておくべきだった。
反省よりも他にするべき事があるだろうと自分に喝を入れて止めていた足を前へ。目的地は人魚が待つ大広間。
俺が今歩いている廊下と大広間との間には隔たりが無い。
故に、ある程度の距離まで近付けば大広間に入る前に中の様子を軽く確認することくらいは出来る。大広間内に存在する壁や柱の一部となっている水槽も例外ではない。
前方に見える柱もとい水槽の中で〝何か〟が浮遊している。それは人にも大きな魚にも見えた。
一人は長い髪を靡かせながら上品に、もう一人は引き締まった筋肉を魅せつけるように堂々と。
水槽は透明感のある爽やかな海の色をしているが、中にあるのは触れれば肌は爛れ、一滴でも口にすれば即死の猛毒。
猛毒の水に満たされた水槽で二人の人魚は優雅に泳いでいる。
時々、こちらを気にするような素振りが見える。彼らも俺の存在には既に気付いているようだ。
ならば警戒するだけ無駄だと俺は普段と変わらない足取りで大広間に入った。
「見てよ、ウル。やっぱり今度は本物だ。ぼくの勝ちだね」
「いいえ、エド。わたしも〝本物〟だと思ったんだから、そもそも勝ち負けなんて無いの」
(……今度は?)
どういう意味だ? あと、本物がどうとか聞こえたが。
「ねぇ、君って本物のライでしょ。ぼくたちの魔王。君の偽物なら上の階にいるよ」
「偽物というのはギル達が此処に連れて来た人間のことか?」
「そうよ。見た目だけは昔のライにそっくりだった」
見た目だけは、か。まぁ、俺も初めてアランと会った時は驚いたくらいだからな。
俺を本物と呼び、もう一人の俺を偽物と呼んだということは彼らも俺達が得た真実に辿り着いていたらしい。
ウルとエドが俺と話をするために降下してくる。だが、今の彼らには、まだ不用意に近付けない。
彼らが俺にとって敵なのか味方なのか、それを確認するまでは。返答次第では、戦闘もやむを得ない。
「ウル、エド。お前達との再会を喜びたいところだが、その前にこれだけははっきりさせておきたい。……お前達は俺の敵か?」
どうか味方であってくれと半ば願うように俺は彼らに問いかけた。




