325話_Proof 〈証明開始〉
ライ達がいる弱肉強食の森から南方に位置する〝とある場所〟では、メラニーとロットが彼らと合流するべく前進を続けていた。
ある程度の魔物を一掃したからか、周囲に魔物の気配は殆ど感じない。
打ち付けるような雨に煩わしさを感じながらもメラニーはロットを背中に乗せたまま走っていたが、前方で立ち塞がる少女の存在に気付いて立ち止まる。
「ぉわっ?!」
突然メラニーが止まったことでロットは体勢を崩したが、なんとか彼女の背中から落ちる事態にはならなかった。
「っ、おい! いきなり止まるなんて危な……」
メラニーに一言だけ文句を言ってやろうと顔を上げたロットも少女の存在に気付き、言葉を呑み込む。
雨の中、傘も差さずに立っているにも関わらず、その身体は全く濡れていない。まるで雨が彼女を避けているかのように。
「これは予想外。どこかで見たような小娘がいると思ったらキャンディじゃない」
「え、キャンディ?!」
ロットが驚きで声を上げるとメラニーは「あら、気付いてなかったの?」と少し意外そうに返した。
「何で貴女がこんな所にいるのかは知らないけど、ちょうど良いわ。ワタシ達、今からライ様の所に行くの。貴女も一緒に」
「……逃げて」
俯いていて表情は分からないが、囁くように紡がれた彼女の言葉をメラニーは聞き逃さなかった。
「変なことを言うのねぇ。何から逃げれば良いのかしら?」
「っ、良いから早く逃げろって言ってんの! まだ分かんないの?! アンタ達、囲まれてんのよ!」
「囲まれてる?」
ロットが周囲を見渡すが、雨に濡れた地面が広がるだけで魔物らしき姿は一つもない。
首を傾げるロットとは裏腹にメラニーは警戒するように構える。
「っ、やられたわ。構えなさい! あの子の言う通り、ワタシ達は今、敵に囲まれてる。しかも相当な数」
「か、構えろったって周りには何も」
「あぁ、そうだったわ。宝の持ち腐れの貴方に、この気配を感じ取れるはずなかったわね」
ロットは体内に魔力を保持しているだけで魔法を使えるわけではないことを思い出したメラニーは漸く合点がいったとばかりに声を零した。
「……仕方ないわねぇ。今回も特別にワタシが貴方の〝目〟になってあげる」
この瞬間、メラニーとロットによる共闘体制が出来上がった。昔、一度だけ共闘した彼らがこの地で再び共同戦線を張ったのである。
メラニーは粘着性のある糸を作り、人化している自分の腕に括り付けると結んでいない方の端をロットに投げつけた。
「その糸を身体の何処かに結び付けていなさい。これなら例え振り落とされちゃっても糸が引き上げてくれる」
ロットは頷きながら糸を自分の腹回りに巻き付けて解けないように硬く結んだ。
更に、受け取った糸の一部を短く切っておいたもので自分の腕と魔力補充式狙撃銃を繋ぐ。これなら武器だけを落とす心配もない。
「キャンディ、貴女も来るのよ!」
メラニーが手を伸ばすが、キャンディはその場から動こうともしない。
「……無理、一緒に行けない」
「どうして? わざわざ敵に囲まれていることをワタシ達に教えてくれたってことは敵ではないんでしょ?」
「分からない。分からないの、自分が。気が付いたら城を抜け出して、こんな所にいるし。そんなつもりも無かったのに偶然見つけた水精霊を洗脳しちゃったし」
「……は?」
ロットは思わず声を漏らす。
メラニーも怪訝な顔を浮かべはしたが、次第に腑に落ちたような顔へと変わっていった。
「い、今のは空耳だよな。四大精霊の水精霊を操るなんてこと彼女に出来るわけが」
「現実逃避は後になさい。……っ、来るわよ!」
巨体でありながら素早い動きで攻撃を避けるメラニー。ロットの目からは地面から渦を巻くように立ち上った水の柱しか見えない。そんな彼にも分かることがあるとすれば彼女が避けなければ自分達はあの水柱の餌食になっていたという事だ。
「南 、東!」
メラニーは自己流に略称化した方角だけを告げる。彼らの間だけで通じる合図だ。
ロットは銃口を南東に向けて発砲する。銃床に埋め込まれた球体は〝黄色〟。水が相手なら雷を。属性の相性は長年の戦闘で培った知識としてロットの記憶回路にしっかりと刻まれている。
ロットが愛用している狙撃銃は魔力を弾として放出する。また複数の敵が相手でも不利にならないようにと放出された魔力の銃弾が小さな破裂を起こすことによって分散し、軌道が敵のいる方向へ自動的に修正される仕組みにもなっている。
つまりは正確な位置や数が分からなくても敵がいる方角さえ分かれば狙撃することなど造作もない。
「西、北!」
ただ難点があるとすれば拳銃のような小回りは利かない。
いくら魔法貯蔵体質の恩恵があるとはいえ、次の射撃間の数秒ほどのタイムロスだけはどうすることも出来ない。
だからこそタイムロスの隙を突かれないように可動性のある足場が必要なのだ。……言わずもがな、メラニーの事である。
暫くして相手の攻撃が止んだのを確認するとメラニーは警戒を解き、そんな彼女の様子を見てロットは銃を降ろす。
「……終わったのか?」
「とりあえずは、ね。相手は精霊だもの。ワタシ達じゃ動きを封じるのが精一杯だわ」
彼らの狙いは初めから敵の殲滅ではなく無力化。
これだけ広範囲の魔法に加え、凄まじい威力。未だ姿を見せないが、相手は間違いなく上位精霊だとメラニーは確信していた。
まだ雨は止みそうにない。水のある場所は水精霊達の独壇場。長期戦になれば圧倒的に、こちらが不利だ。
「キャンディ、今すぐ魔法を解除しなさい。この精霊は貴女の魔法に抗おうと苦しんでる。貴女が魔法を解除すれば全て丸く収まるわ」
「それが出来たら苦労しないっつーの」
「苦労しないって……自分の魔法だろ?!」
「その自分の魔法が勝手に誰かに使われてんのよ!」
自分で魔法が扱えない彼にとってキャンディの話は未知の世界だった。
「自分の魔法が、勝手に?! そんな魔法があるのか?」
「さぁ? 相手の意思ごと乗っとるなら分かるけど、能力だけを自在に操るなんて。そんな魔法、聞いたことないわぁ」
メラニーなら何か知ってるかもと尋ねたロットであったが、彼よりも魔法に馴染みのある彼女でさえ「分からない」と言う始末。
自分が放った雷属性の魔力の効果も永続的ではない。効果が切れてしまえば、また振り出しに戻ってしまう。
もはや打つ手なしかと思われた時、メラニーが何かを閃いたような声を漏らした。
「あぁ、でも……ライ様なら何か知ってるかも」
「は? ライ様?」
「そうか! 確かに、あの人なら……」
「ちょ、ちょっと待って! ライ様って、まさか魔王様のこと?!」
「それ以外に誰がいるの?」と言いたげな目を向けるメラニーとロットに、キャンディの脳内は疑問で埋め尽くされる。
まだキャンディは自分が目覚めさせた魔王の正体を知らない。そして自分が会いたいと思い焦がれていた魔王が今、近くにいることも。
メラニーとロットもまたライ達と情報を共有できていないためギルが魔王を裏切り、ロゼッタの洗脳が解けたことも知らない。
「う、嘘……アンタ達、いつ城に」
「はぁ? お城なんて行ってないわよ」
「で、でも魔王様は城に」
「え、あの人は今、城にいるのか?」
互いに知らないことが多過ぎるどころか、結論に至るまでに情報が少ないことすら気付いていないのだから会話が成立するはずもない。
「これじゃ埒が開かないわ。お互い情報を整理した方が良さそうね」
「そうしたいところだけど、魔法が制御できない今のワタシの近くにいるのは危険よ。ワタシの洗脳がかかる前に急いで此処から────」
「その必要は無い」
それはキャンディにとって聞き馴染みのない声だった。
なのに何故だろう? 酷く懐かしく思えたのだ。
「あれから連絡できなくて悪かったな、メラニー、ロット」
弱肉強食の森に行くよう指示を受けて以来、ライから何の連絡も無かった。
不安が無かったといえば嘘になるが、メラニーもロットも信じていた。彼には、必ずまた会えると。
「良いのよ、ライ様。それより、もしかして待ち遠しくなっちゃってワタシを迎えに来てくれたのかしらぁ?」
「そんなわけないだろ! ……すみません、ライさん。来てくれたのは僕達が遅かったからですよね」
「いや、お前達の気配は感じていた。あのまま大人しく待っていても良かったんだが……そういうわけにもいかない事情が出来てしまったからな」
そう言ってライはキャンディを見る。キャンディもライを見る。
魔王と同じ名前で呼ばれた青年。しかも彼が引き連れているのはギルとロゼッタ、それから行方知らずだったグレイではないか。
「どうしてアンタ達が、そっちにいるの?」
ギルとロゼッタへの問いかけだと分かると、二人は気不味そうな顔をしたが、それでも彼女から視線を逸らすことはなかった。
「キャンディ、俺達が魔王だと思っていた人は魔王じゃなかったんだ」
「な、によ、それ……冗談でしょ?」
「冗談じゃないわ! 聞いて、キャンディ。今、アンタの前にいる彼が本物の……私達の魔王様なの!」
「嘘よ! アンタ達、そいつに騙されてるんでしょ! そうに決まってる! だって魔王様は……っ、ワタシを治してくれた!」
「じゃあ聞くが、お前の魔法に異変が起きたのは、いつからだ?」
「それは……っ、?!」
キャンディが治療を受けた後だ。
「だ、だから何?! 確かに魔王様に治療してもらってから少し調子悪いけど、だからって魔王様のせいとは限らないじゃん!」
(貴女の身体の中に別の魔力があったとしても同じことが言えますか?)
「べ、別の魔力? 何よ、それ?! ってか、グレイ、アンタ今まで何処に……っ、」
(俺のことより今は貴女のことです。貴女の身体から二つの魔力の波長を感じます。これは常識的に考えて有り得ない事です。誰かが貴女の身体に魔力を流したことになる。しかも宿主である貴女の魔力と同化しないように細工までして)
「っ、そんなの一体、誰が……」
(最近、貴女の身体に魔力を流し込んだ方ですよ。もっと具体的に言うならば貴女に魔法を使うと見せかけて意図的に魔力を流した方です)
「そんな……だって、そんなの……っ!」
魔王しかいない。ここ最近、キャンディに魔法を使ったのは。
「し、信じるわけねぇっつーの、そんな話! どうしても信じてほしいなら証明してみせなよ!!」
「……証明?」
「そう、アンタが魔王様だっていう証明!」
(魔王であることの証明とは、これまた難題を)
自分が魔王であることの証明。彼は少し前にもジャミンから敵であるか否かの証明を求められたばかりだというのに。
「キャンディの奴、無茶なこと言いやがって」
「魔王様が魔王様であることの証明なんて、そんなのどうやって……」
(やはり、ここは魔王としての力を示すべきなのでは? 例えばですが、この状況を何とかしてみせるとか)
グレイの適当さに呆れながらもライは「いや、待てよ」と思い留まる。
(よく考えたら悪くない案かも知れない)
この状況を何とかするにはキャンディの中にある〝もう一人の魔王〟の魔力を回収もしくは消滅させなければならない。
しかも、もう一人の魔王の魔力からは自分と同じ魔力の波長を既に観測している。
ならばキャンディの中にある自分の魔力を吸収することさえ出来れば万事解決なのではとライは思い始めていた。
何にせよ、ここで何もしなければ悪い方向に転ぶだけだ。それならば一層、当たって砕けろの精神で行った方が良いのかも知れない。無論、砕けるつもりは毛頭ないが。
(証明してやろうじゃないか。自分が魔王……いや、ライ・サナタスであることを!)




