321話_花占い〈エフイエ・ウア〉の結末
小さな種が芽生え、根を張り、伸ばした茎からは葉を生やす。そうして実った頂上の大きな蕾は、やがて綺麗な花を咲かせる。
人は努力したからといって必ず報われるわけではないが、花は違う。天候条件や育て方に問題さえ無ければ花は開く。
そして開いた花は、いつかは枯れる。人が死の運命から逃れられないように、花もまた枯れ落ちるという未来に抗うことは出来ない。
その日が来るのが先か後か。個々の違いなど、その程度だ。そう割り切って生きてきた。昔から、ずっと。割り切るしか無かった。どんなに歯痒くても。
対象が意思を持つ者なら逆らうことも出来るが、物言わぬ概念ともなれば逆らいようがないのだから。
精霊ならざる者は俺の問いかけに答えてくれた。故に、俺は目の前にいる精霊ならざる者の真名を知った。知ってしまった。
(遅くなって、すみません。ギルを宥めるのに思ったより時間がかかってしまって)
「あ、あれは宥めていたと言って良いのか?」
「良いわけねぇだろ。誰がどう考えても〝馬鹿にしてた〟の間違いだろうが」
彼らの気配を背後から感じたが、今の俺には振り返る気力すら無い。
何の反応も示さない俺に違和感を覚えたのだろう。複数の足音が近付いて来るのが分かった。
(ライさん?)
グレイが俺の名を呼ぶが、応えることが出来なかった。
この現状を、どう伝えれば良いのか。俺の中で整理がついていない。
精霊ならざる者の正体を知っていながら伝えようとしないのは、まだ俺が希望に縋ろうとしているからだ。少しでも刺激を与えれば崩れて落ちてしまう脆い希望に。
「……あぁ、悪い。少し考え事をしていた。ありがとう、グレイ。二人を連れて来てくれて」
(…………)
グレイは何か言いたげな目で俺を見たが、珍しくそれ以上の追求は無かった。単なる気紛れか知らないが、今の俺にとっては非常に有り難い。
「グレイに聞いた。アイツの近くに落ちてたっていう角だか牙だかの記憶を見るんだろ」
「あぁ」
どうやらギル達にはグレイが事情を話してくれていたらしい。
「レイメイさん、グレイから話を聞いているのなら知っているかと思いますが……ここで、ある物を拾ったんです。見て頂けませんか?」
「あぁ、聞いている。では早速、例の物を」
レイメイの言葉に頷きながら俺は先ほどグレイから受け取った肉食魔物の牙に酷似した〝何か〟を手渡した。
レイメイは俺から受け取った物を食い入るように見つめている。
「間違いない、これは鬼人の角だ。それに、この色合いにも見覚えが」
「以前、リュウはヒメカさんから御守りを託されていました」
「ヒメカが……そうか、通りで」
「では、レイメイさん。これはヒメカさんの……」
「どうやら、そのようだ。残念ながら、な」
覚悟してなかった訳じゃない。これは俺個人の感情の問題。
出来るだけ動揺を隠すために下唇を噛む。歯を立てた箇所から何かが伝う感覚があったが、拭う気にはなれなかった。
「記憶、見るんだろ」
(っ、ギル!)
「うるせぇ、黙ってろ」
グレイを一蹴したギルは眉根を寄せた真剣な顔で、こちらにに向き直った。
「それが一番、確実なんだろ? だったら見るべきだ。それでアンタが傷付くことになったとしても俺が……俺達が傍にいる」
ギルの気遣いが手に取るように分かる。全ての真実を知った上で相応の覚悟を。少しでも俺に未練が残らないように、彼は敢えて提案してくれているのだ。
グレイやレイメイとは、また違う優しさを持つ彼だからこそ心に響く。
さっき拾った物がヒメカがリュウに託した御守りであることはレイメイのお蔭で確定した。
後は、この角の記憶を見るだけ。俺は知らなければならない。リュウが肌身離さず持っていた御守りが何を見てきたのかを。
「じゃあ、始めるぞ」
三人が頷いたのを確認し、俺は記憶再現魔法を発動させる。
御守りの鬼人の角が最初見せてくれたのは、レイメイと共に魔物と戦うリュウの姿。
彼がレイメイにのみ打ち明けた迷い、葛藤。純真が故に生まれた心の歪みは彼の肉体を蝕み、とうとう堕人化の症状まで現れた。
リュウ自身も、その事には気付いていた。気付いていたが、進行を止めることは出来ず、卑欲魔鳥と遭遇したことを切っ掛けに精霊ならざる者となってしまった。
その過程の隅々まで、この御守りは俺達に教えてくれた。
全ての記憶を見終わった後、口を開いた者は一人もいなかった。開けるはずも無かった。
知らなかった。リュウの身体に異変が起きていた事を。
気付けなかった。リュウが俺を呼んでいた事を。
リュウの声が、今もまだ心の奥底で轟いている。
俺には聞こえなかった。リュウの声が。
何故だ? 何故、聞こえなかった? 念話の妨害か? だとしたら一体、誰の……駄目だ、分からないことが多過ぎて考えが纏まらない。
だが、これだけは分かる。俺はリュウの声を聞き逃した。リュウの、救いの声を。
それは、つまり俺がリュウを……
(いい加減にして下さい!)
「っ、!?」
突如、脳内に大音量で響き渡ったグレイの念話。電気にでも触れたかのように身体がビクリと震える。
(どうして貴方は、いつもいつもそういう考えに至ってしまうんですか?! そうやって何でもかんでも一人で背負い込まれてしまったら俺達がいる意味が無いじゃないですか! リュウさんが精霊ならざる者に堕ちてしまう可能性を危惧していながら何の対策もしていなかった俺にも落ち度はあります)
「対策って……精霊ならざる者相手に何の対策が出来るって言うんだ。そもそも俺がリュウを連れ出していなければ、こんな事には」
「それを言うなら拙者にも非があるぞ、ライ殿。最後にリュウ殿と共に行動していたのは拙者だ。あの時、リュウ殿の気持ちに少しでも寄り添うことが出来ていれば……」
各々が己の非を、後悔を、口にし始めた。これでは堂々巡りだ。
それに重要なのは誰が悪いかでは無い。誰かを悪者にしたところでリュウが元の姿に戻るわけでは無いのだから。
結界の中にいる精霊ならざる者もといリュウを見る。
攻撃手段を失ったせいか暴れる様子は無く、結界の中で大人しくしている。
……彼を救いたい。だが、精霊ならざる者を妖精に戻す方法なんて存在するのか?
方法を探すにしても、どれほどの時間がかかるかも分からないし、この場にリュウを残しておくわけにもいかない。
移動させるにしたって一体、何処に……
(魔王様)
近くにレイメイがいるという〝魔王〟という名称で呼ぶグレイに目を丸くしたが、レイメイからは特に変わった反応は見受けられない。
どうやら、この念話は俺にしか聞こえないらしい。これが何を意味するか、考えるまでもなかった。
(俺にとってもリュウさんは大切な友人です。ですが、今回ばかりは……)
…………やめろ。
(貴方だって本当は分かっているんでしょう? 一度でも堕ちてしまえば、もう戻っては来られない)
やめてくれ。
(有るかも分からない希望に縛られるのは堕ちた者にとって苦痛でしかありません。ならば一層のこと解放してあげた方が……)
「やめろと言ってるだろ!!」
怒りに声を上げた時、俺の手はグレイの胸倉を掴んでいた。
「ラ、ライ殿、突然、何を?!」
何も知らないレイメイが困惑の声を漏らすが、今は構っている場合ではない。
ギルも状況が読めないとばかりに訝しむような顔で俺とグレイを見つめている。
(どれだけ恨まれようと俺は先ほど言ったことを撤回するつもりはありませんよ。貴方が見ているものは理想に過ぎない。理想は、あくまでも理想です。理想に縋っても変えられない現実があることを貴方は誰よりも、その身を持って理解されていると思っていたのですが)
あぁ、理解している。理解しているとも。理解しているからこそ渇望するのだ。
何も失わない。誰も悲しまない。そんな馬鹿げた夢物語のような世界を。
(魔王さ……、っ?!)
グレイの顔が何かに驚いたような表情に変わる。……何だ? 何を、そんなに驚いているんだ?
彼の反応に内心戸惑っていると今度は同情しているかのような悲しげな顔へと変わった。
徐に伸ばされたグレイの左手が俺の右頬に添えられる。何かを掬うように親指が動いたのが分かった。
その感触を得て俺は初めて自分が涙を流していることに気付いた。
後悔の涙か、それとも悲しみの涙か。だとしたら何を後悔し、何に悲しんでいるのか。もはや自分に問うのも馬鹿らしい。
(……不甲斐ない部下で、申し訳ありません)
数多の命を、とは言わない。たった一人。
前世の繋がりも、しがらみも無い唯一の友を救いたい。それだけなのに。
頬に添えられた手を緩く払いながら胸倉から手を離した俺はリュウを閉じ込めた結界へと歩み寄った。
ほとんど使いものにならない触手は何かを探すように彷徨っている。
返さなければ。この御守りはリュウの物だ。
手に持っていた御守りを小さな結界の膜に閉じ込め、リュウがいる結界の壁に押し込む。
結界の壁を通り抜けた御守りは、すぐに複数の触手によって覆い尽くされた。やっと取り戻した大事な宝物を包み込むように。
「アリ、ガ……ト、ゥ」
声に掠れと震えが目立っていたせいだろうか。
自分の未来を予見してしまったリュウが泣いているような気がした。




