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319話_落ちた一片の花弁

「ぉ…………っ、ぃ…………おい、大丈夫か?!」


「っ!」


 肩を軽く揺さぶられた衝撃で、俺は初めて自分の世界に閉じこもっていたのだと自覚した。

 グレイの言葉を最後に再び沈黙の時間が来たのかと思っていたが、単純に俺が周囲の声が聞こえていない状態にあっただけ。

 訝しむような視線を投げるギル、不安そうな顔をするレイメイ、グレイに至っては相変わらず何を考えているか分からない。


「あ、あぁ」


 肩を掴んでいたギルの手が躊躇いがちに離れていくのを見つめながら、俺は何とか言葉を返した。


「俺達の話、ちゃんと聞いてたか?」


「……いや、悪い。聞いてなかった」


 本当に何も聞いていなかった。聞こえていなかった。

 今回の場合は聞いている余裕も無かったと言った方が正しいのかも知れないが。


「しっかりしてくれ。煽ったアイツも悪いが、乗せられたアンタもアンタだ。中枢であるアンタが、そんなんじゃ元も子もねぇだろ」


「そう、だな。……悪い」


 大将、失格だ。自分に付き従えてくれている彼に、こんな事まで言わせてしまうなんて。

 こんな状況だからこそ俺が誰よりも毅然(きぜん)としていなければならないのに。

 謝っても意味がないと分かっていても口から出るのは謝罪の言葉ばかり。それがまた自分の無力さを露呈しているようで余計に自分が情けなく思える。


「グレイは、ああ言ったが、あくまで可能性の話だろ。今、あれこれ考えたって仕方ねぇよ。どうせ、この森で何かが起こってんのは事実なんだ。だったら、それを確かめに行くのが最優先だろうが。もし、アンタが今考えてる最悪な状況になってたとしてもアンタ一人に背負わせるつもりは()ぇ。そん時は全員で突破口でも何でも考えりゃ良い。……今までだって、そうしてきただろ」


「ギル殿の言う通りだ、ライ殿。一人で抱え込むことは無い。それに元はと言えば、リュウ殿を一人で行かせてしまった拙者の失態だ。己の失態は己で清算するのが世の常。だからグレイ殿、責めるならライ殿ではなく拙者を」


 レイメイの言葉にグレイは頭を抱えるように項垂れながら息を吐いた。


(まだ何か勘違いをされているようなので申し上げておきますが、俺は貴方もライさんも責めるつもりはありませんよ。先ほどギルにも言ったようにライさんに自覚して欲しかっただけですから。それにしても……言い方が悪かったのは認めますが、お二人ともライさんに甘いのでは)


「テメェが言うな」


「ははっ、確かに。誰よりも彼に甘いグレイ殿に言われてもなぁ」


(………………)


 いつの間にか蚊帳の外に放り出されてしまった気がするが、グレイが言い負かされるという珍しい光景を見られたので良しとしよう。

 ギルの言う通り、最優先事項は、この()()の調査だ。

 幸いにも禍々しい気配の主は俺達がいる場所から、そう遠くはない。気配の正体を突き止める事さえ出来ればリュウが精霊ならざる者(ロス・オルビト)になったかどうかも明白となる。

 あれこれと考えるのは今じゃない。今は、少しでも明確な情報を得るため行動あるのみだ。


「グレイ、ギル、レイメイ。俺は、この気配の正体を知りたい。協力してくれ」


 すぐに頷いてくれた三人が心から頼もしく思えた。


 見つけてくれと言わんばかりに主張の強い気配を辿るのは非常に容易だった。

 また有り難いことに魔物等による妨害も無かった。レイメイとリュウが前もって魔物達を片付けてくれていたお蔭だろう。

 そんな小さな幸運が重なり、俺達は難なく気配の主を突き止めることが出来た。


 気配の主は、やはり精霊ならざる者(ロス・オルビト)だった。

 以前に見た人型とは違って、世間的には〝ひし形〟と称される図形のような形態をしているが、周囲に振り撒かれた粘着性に加えて毒性もある濃い紫色の物質は間違いなく以前と同じものだったためグレイが導き出した可能性が確信に変わるのに時間はかからなかった。

 本体から伸びた人間の手のような形をした複数の触手が何かを探すように四方八方へと動き回ってはいるが、俺達の存在に気付いているわけでは無さそうだ。


「……っ、(ひで)ぇ臭いだな。鼻が曲がりそうだ」


(この辺りの空気は、あまり吸わない方が良さそうですね。この臭いからして良い影響があるとは思えません)


「では、もう少し距離を取るか?」


「いや、このまま様子を見ていても意味がありません。こちらが敵意のある行動さえ取らなければ奴は襲ってこない。とりあえず先に俺とグレイで奴に接近してみようと思います。レイメイさん達は俺達を視界に捉えつつ、臭いが薄まっている後方で待機して下さい」


 気配の正体が精霊ならざる者(ロス・オルビト)であることは分かった。今度は、この精霊ならざる者(ロス・オルビト)()()()()を突き止めなければならない。

 精霊が扱うという特殊性はあるが、毒は毒。毒に最も有効なのは浄化魔法(ベーレイニガン)

 浄化魔法(ベーレイニガン)が使える俺とグレイならば、毒に汚染された地形も問題なく進めるはずだ。


(分かりました。いつ何が起こるか分からないので俺が先行します。仮に毒を受けたとしても、この身体なら問題無いので)


「……あぁ、頼む」


 本音を言えば、その条件を受け入れたくはなかったのだが、先ほどの二の舞を演じないようにと判断しての返事だ。

 それに元々、グレイを盾にしよう等とは微塵も考えていない。何かあれば俺が真っ先に動けば良いことだ。


「何かあれば言ってくれ。空気(かぜ)度りで、すぐに駆けつける」


 レイメイの心強い言葉に感謝の意を込めて頷いていると、グレイもまたギルから何か言われているようであった。

 どのような言葉をギルから受け取ったのかは聞き取ることが出来なかったが、グレイの顔から真剣さが増したところを見ると向こうも向こうで何か心を打つような言葉を貰ったのだろう。


「行けるか、グレイ?」


(えぇ、いつでも行けますよ)


 俺の前に立ったグレイが早速、浄化魔法(ベーレイニガン)で毒化された周辺の地形を浄化する。

 グレイの能力なら辺り一帯を範囲にして魔法を発動させる事も可能ではあるが、精霊ならざる者(ロス・オルビト)に敵意ある行為と認識されてしまっては本末転倒だ。なので、自分達の周囲だけを浄化しながら少しずつ近付いていく事にしたのだ。

 彼が先行すると言ったのは俺に魔法を使わせないという意図もあったのだと、この時に気付いた。

 グレイは進行可能範囲まで進み、再び浄化魔法(ベーレイニガン)で進行方向である地形を浄化していく。俺達が少しずつ距離を詰める中、精霊ならざる者(ロス・オルビト)が襲ってくる様子は無い。

 さすがに俺達の存在には気付いたようで、いくつかの触手の先が明らかに俺達の方へと付けられている。こちらの出方を窺っている、と言ったところだろうか。


浄化魔法(ベーレイニガン)


 グレイが五度目の浄化魔法(ベーレイニガン)を発動させる。目先の地形が浄化されたにも関わらずグレイは前に進もうとはせず、その場に(しゃが)みこんだ。

 もしや、この毒に侵された空気に当てられてしまったのだろうか?


「大丈夫か、グレイ? 体調が優れないなら今からでもギル達の所に……」


(あぁ、いえ、違うんです。浄化した場所に何か落ちてたようなので)


 ……落ちてた? 浄化魔法(ベーレイニガン)は、指定した範囲を浄化する効果しか無い。つまり、この魔法を使ったからといって汚染される前の状態に戻るわけでは無いということだ。

 精霊ならざる者(ロス・オルビト)が発生させる毒は草木だけでなく、魔物の肉や骨すら跡形もなく溶かしてしまう。その毒に覆われてなお侵食を抑え、グレイに発見されるまで形を保ち続けたというのか。


(……何でしょう、これは?)


「見せてみろ」


 グレイから受け取った物を見る。

 人骨のような黄色みのある白を纏った()()は剣の切っ先のような形をしていた。


(形状は肉食魔物の牙に似ていますが、その割には小振りな気がします。それに先端は緩やかで尖りも無い。他に気になる点があるとすれば根に近い部分に開けられた〝細い穴〟でしょうか。その穴は明らかに自然に開いたものではありません。恐らくは誰かが意図的に開けたものかと)


「誰か? まるで持ち主が人間であるかのような言い方だな」


(人間とは限りませんよ。鬼人(オーガ)獣人(ケモノビト)のように容姿的な特徴が人と変わらない種族だっているわけですから)


 ──鬼人(オーガ)は一生の内に一度だけツノの生え変わりが起こります。昔から女の鬼人オーガは、生え変わりで落ちたツノを御守りにして肌身離さず持つようにしているんです。


 ……何で、こんな時にヒメカの言葉を思い出す?

 どう考えたって彼女とは何の関係も……


 ──これは、その時のツノで作った御守りです。……リュウさん、これを貴方に持っていてほしいんです。


 ヒメカがリュウに託した御守りは何の装飾も加工もされておらず、ただ紐を通すための()()()()が開けられていた。

 手にある物を、もう一度見る。

 偶然なことに、これにも細い糸が通るほどの小さな穴が開いている。…………偶然、だよな?


(魔王様、大丈夫ですか?)


「……あぁ、大丈夫だ。問題ない」


(下手な嘘は止めて下さい。どう見ても問題しかないじゃないですか。顔が異常なまでに青白く……っ、?!)


 グレイが言葉を呑み込んだ直後、彼は切羽詰まった様子で俺に突進してきた。


「ぅ、おっ?!」


 突然のことに俺は避けることも出来ず、与えられた衝撃に身を任せるようにグレイと共に倒れ込む。

 「いきなり何をするんだ」と文句を言ってやろうと上体を起こした時、今度は俺が言葉を呑み込んだ。

 俺に覆い被さるように倒れたグレイの足元でジクジクと音を立てる紫色の物体。

 一度、浄化された場所に再び毒が発生したことになる。いや、発生したというより、これは……


「カ…………ェ、セ……」


 途切れ途切れながらも、ねっとりと纏わり付くような声に身体中の筋肉が硬直した。

 何処からともなく流れ落ちる冷や汗が、じっとりと肌にしみる。

 口から漏れる呼気は波打つように震えている。それが興奮か恐怖によるものかなど確かめるまでも無い。


「念のために聞くが……今、何か言ったか?」


(……いえ、何も)


 あぁ、本当に。どうして、こうも上手くいかないのだろう。

 グレイを羨ましく思う。奴に背中を向けている彼には俺達の方を向けられた触手も、花開くようにパックリと開かれた触手の先から唾液のような透明な液体が垂れ流しにしている姿も見らずに済んでいるのだから。

 

「予定変更だ、グレイ。どうやら俺達は知らず知らずのうちに奴の逆鱗に触れてしまったらしい」


 精霊ならざる者(ロス・オルビト)にとって本体であり核であろう〝ひし形〟の物体(オブジェ)だけは不動のまま不気味な沈黙を守っていた。

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