315話_敵でないことの証明
グレイ達はレイメイ達に会うことが出来ただろうか?
あれから何の連絡も無いが……あの二人のことだ、きっと上手くやってくれているに違いない。
今頃はレイメイ達と合流して、この森に向かっているはずだ。
そう、信じるしかなかった。今、この場から動けない俺にとっては。
「小僧、その女を引き渡せ」
ロゼッタとの和解後、魔物討伐に一段落ついた者達が次々に戻ってきた。
戦いを終え、更に疲労を背負う彼らの目に最初に映ったのがロゼッタ。しかも、よりにもよって彼女が俺と再会の抱擁を交わしている場面を目撃されてしまったのだ。
「おい、聞こえなかったか。その女を渡せ」
皆、怒りに支配され、話を聞いてもらえるような状態ではない。例え事実であっても言い訳とも取れる言い分は逆効果でしかないだろう。
それでも伝えなければならない。今の彼女に彼らと敵対する意思は無いという事を。
「……出来ません。彼女は操られていた。これまでの行為は彼女の意思とは無関係だったんです」
「だから見逃せってか? そりゃあ冗談キツいぜ、小僧。仲間が何人も殺されてる。大体、そんな嘘か本当かも分からない理由で俺達が納得すると思うか?」
俺は、何も言わなかった。言えなかった。
分かっていたからだ。そんな理由で納得してもらえるはずが無い、と。
「魔王様……っ」
俺の背中に隠したロゼッタが弱々しく言葉を零す。
彼女の心境を思えば不安になるのも無理はない。いや、それ以上に彼女の心を食い荒らしているのは〝後悔〟の方か。
彼女は魔王のために動いてくれただけだ。手段は違えど、グレイと同じように俺に会いたいが為に色々と手を尽くしてくれただけ。
その代償として、こんな惨劇を生み出されることになろうとは彼女自身も予想すらしていなかっただろう。
だが、彼らの言い分が理不尽だとは思わない。
この戦いで家族や友人、仲間を失った者からすれば、そんなもの言い訳にもならない。
本人の意志であろうと無かろうと彼女が魔王軍として名乗り、ピィザァーヌを見せしめに痛めつけた事実は変えようが無いのだから。
「前に出るな、ロゼッタ」
「で、でも」
彼女を見るために振り返ろうとした時、何かが俺の右頬を掠めた。
恐る恐る頬に触れると、指先に鮮やかな〝赤〟が付着した。
先ほど掠めた何かが頬を切ったのは明白。問題は何が頬を掠めたのか、だ。
後方で金属製の物が落ちたような音が聞こえて今度こそ振り返ると、一本の短剣が地に伏せているのが見えた。
「ごめんね、ライ君。当てるつもりは無かったんだけど……でも、これで少しは分かってもらえたかな、今の状況を」
先ほどまで抗議していた男とは別の若い男が、俺を見据えている。
男の顔には見覚えがあった。ジャミンだ。
「彼女、君の知り合いなんだってね。けど、本当に唯の知り合いなのかな?」
唯でさえ悪い状況が、更に悪くなる予感がした。
「……それは、どういう意味ですか?」
「あれ、今のじゃ伝わらなかったかな。僕が聞きたいのはね、君達が〝裏〟で繋がってるんじゃないかって事さ。ライ君、君も本当は魔王の手下なんじゃないか?」
疑いの目、騒つく周囲。
このままでは不味いと、すぐさま否定したが、もはや無意味だった。
単純なことだ。疑わしい人物の言葉など、誰が信用できると言うのか。
「聞いた話では、君がこの戦いに参加している本当の目的は魔王の傘下であるという疑いを晴らす為らしいじゃないか。元から疑われるような要素がある上に魔王直属の部下の一人が知り合い? そんなの前もって仕組んでいたとしか考えられないじゃないか」
そんなこと言われても全て不運やら、すれ違いやらの果てに起こった結果であって、つまりは偶然なんだよ。本当に。あと、正確には一人じゃなくて二人なんだけどな……と、主張したところで信じてもらえないのは目に見えている。
かと言って、このまま黙っていても分が悪い。
視界の端でアンドレアスが何か言おうとしているのをローウェンが必死になって止めている。
それで良い。彼の善意を無下にするつもりは無いが、ここで出てこられても事態は悪化するだけだ。
ローウェンも、それが分かっているからこそ彼を足止めしている。
「退け、ローウェン! 何故、我の邪魔をする?!」
「いくら王子のご命令でも聞き入れられないからです」
「だから、それは何故かと訊いている! あのような状況を前に黙って見ていろと言うのか?!」
「王子、まだお気付きになりませんか? ライ様が私達に力添えを要求されない理由を」
アンドレアスは「何が言いたい?」と言いげな目でローウェンを見る。
「……思慮深い方だ。彼は、あえて私達を介入させない事で自分だけでなく私達も守ってくださっているのですよ」
王族の言葉は時に、この世の唯一の平等とされる法ですら捩じ伏せる。
アンドレアスの協力を得れば、彼らを押さえ込むことは出来るだろう。上辺だけの了解が必要なら、その方が効率も良い。
しかし、それでは意味が無い。彼らからの信頼を得なければ、結局は同じこと。
更に懸念しているのは、俺達を擁護したアンドレアスにも疑心の矛先が向けられる事だ。
発言力が強いという事は、それだけ言葉の撤回が難しいという事だ。立場が上であればあるほど言動の一つ一つに伴う責任は大きくなる。
使いどころを誤れば自分の首をも絞めかねない。
良くても称号剥奪。最悪の場合でも処刑は免れるだろうが、国外追放は避けられないだろう。
どうやらアンドレアスにも意図は伝わったらしい。彼の声が聞こえなくなったことで、そのことを確認した。
彼の表情や姿が見えないように視界から外した。きっと彼は今、泣きそうな顔をして自分を見ているだろうから。
「何を言っても信じてもらえないことは分かっています。それでも言わせて下さい。俺も彼女も魔王との繋がりは無い。だから貴方達と敵対する理由も無い!」
「じゃあ、君が無害であるという証拠は?」
無いよ、そんなもの。あるわけが無い。
自分が人間であるか否かの証明の方が、まだ楽だ。
「俺から提示できる証拠は、ありません」
「……そうか。証拠が無い以上、君を受け入れるわけにはいかない。でも、ライ君、君は命の恩人だ。だから僕は君を信じたいし、皆にも信じてもらいたい」
純粋に俺を気に掛けてくれているのが声や表情から伝わってくる。
「証拠が無いと言うなら作れば良いんだ。僕に考えがある」
絶望に浸るのは、まだ早いかも知れない。
見返りを求めているわけではないが、やはり人助けというのはしておいて損は無いという事だ。
ジャミンは腰に差していた剣を鞘ごと引き抜くと、俺に投げ渡した。
剣は難なく受け取ったが、彼の意図を汲み取ることは出来ない。渡された剣を見るが、どう見ても普通の剣だ。
……この剣で、どうやって俺達が無害であることを証明させるつもりなのだろうか?
「さぁ、ライ君。その剣で彼女を殺すんだ」
「え……、」
彼は今、何と言った? 彼女を、ロゼッタを殺せと言ったのか?
思考が上手く働かない。頭の中にあるのは「何故?」という疑問と、「きっと今のは聞き間違いだ」という意味のない現実逃避ばかり。
思考が定まらないまま俺は口を開く。
「あ、あの、ジャミンさん……?」
ジャミンは「どうしたの?」と言わんばかりの顔で俺を見つめている。
……何だ、これは。俺が普通じゃないのか? この騒つく気持ちは、感覚は間違っていると言うのか?
ジャミンという人間が初めて怖く思えた。何が怖いのかと問われると答えに困るが、その明白な理由が分からないというのも彼を怖いと感じる要因の一つかも知れない。
「……あー、また出やがったな。アイツの悪癖が」
偶然、拾った声に俺は神経を集中させた。
「悪癖ぃ? 何だい、そりゃ」
「アイツ、悪い奴じゃねぇんだけどよ。あー、何て言や良いかな……線引きがしっかりしてるって言えば分かるか?」
「線引き、ですか?」
「もっと分かりやすく言うなら〝優先順位〟だな。それが固定されちまってるわけよ」
「はぁ? そんなの別に普通じゃねぇか。優先順位なら誰にだってあるんだからよ」
「バカ、ちゃんと話を聞けって。確かに優先順位は誰にだってあるだろうが、その順位ってのは時と場合によっちゃ変動したりするもんだろ? けど、アイツには変動が無ぇのよ。端から順位が固定されちまってんだ。だから順位付けされた当人や他人の意見なんて知ったこっちゃねぇの。何しろ、アイツは自分の感覚を主軸にして生きてるような奴だからな」
「えーと、つまり……一度気に入った相手は気に入ったまま、嫌いな相手は嫌いなままってことですか?」
「ま、そういうこと。順位が確立した後で恩を売ろうが裏切ろうが関係ねぇ。アイツの場合、第一印象で全てが決まるんだ。そういやアイツ、あのライとかいう奴のことを命の恩人だとか言ってたろ? そして、女は自分に攻撃してきた敵。どっちがアイツにとって優先して守るべき対象かなんて考えるまでもねぇだろ。しかも俺達には意思の確認すらしねぇ。その方法で認めても良いか確認するもんだろ、普通はよぉ。これだから貴族様は嫌なんだ。どいつもこいつも自分勝手でやりにくいったらありゃしないぜ」
「無害そうな顔して結構えげつねぇのな、あのジャミンって奴……」
「そこがまた奴の厄介どこよ。だが、気に入られちまえば、これ以上に頼りになる味方はいないと思うぜ。何たって何回裏切ろうが見放すこたぁ無ぇんだからよ」
全ての会話を聞き終え、率直に思った。俺の理解の範疇を超えている、と。
優先順位が固定? 第一印象で全てが決まる?
そんなの聞いたことが無い。
初めは良い印象を待てなかった相手でも接していくうちに良いところを知って自然と仲良くなっていく事なんて、ざらにある。
彼には、それすら無かったというのか? たったの一度も?
──じゃあ、君が無害であるという証拠は?
──証拠が無い以上、君を受け入れるわけにはいかない。でも、ライ君、君は命の恩人だ。だから僕は君を信じたいし、皆にも信じてもらいたい
改めてジャミンとの会話を思い返してみれば……あの時、彼は〝君〟とは言ったが〝君達〟とは言わなかった。
まさか最初からロゼッタは頭数に入れていなかったというのか。
ジャミンを見る。まるで「大丈夫、必ず上手くいく」と伝えているのかのように、こちらを見て頷いている。
あの様子を見る限り、彼は俺を追い込むために、この状況を作り出したわけでは無さそうだ。全て、俺を救いたいという一心での行動なのだと自覚するほか無かった。
相手に悪意が無いだけに厄介この上ない。
やっと取り戻せたのに。やっと本当の再会を果たせたのに。
手放さなければならないのか。……俺が、この剣で?
いつもは単なる武器としてしか見ていなかった剣が今は酷く恐ろしい。
皆が、俺の行く末を見守っている。頼りになる仲間はいない。
「魔王様」
冷静を装ったロゼッタの声が長い沈黙を破った。
伊達に長い付き合いではない。表情を確認しなくても、その声だけで分かってしまう。俺よりも先に、彼女が覚悟を決めたことを。
ジャミンが俺に渡したのは彼女との繋がりを断ち切るための物なのだと改めて理解した瞬間、手にある剣が異様に重く感じられた。




