314話_進化─未知の領域へ─
グレイ達が駆けつけた時、勝敗は既に決していた。
どこか遠い目をして立ち尽くすレイメイに安堵したのも束の間、グレイは彼の元へと駆け寄る。
ギルは横たわる首のない遺体を警戒するように見つめながら、ゆっくりとした足取りでグレイの後を追っていた。
(胸部を一突き……位置的には心臓か。さすがに心臓を貫かれりゃ、化け物といえど一溜りもないわな)
魔力感知を応用して生命感知を行ったギルは目の前の化け物の死を確信する。
(レイメイさん!)
「……グレイ殿」
レイメイは気まずそうに視線を泳がせ、グレイの方を決して見ようとしない。
自分を治療してくれた恩人の制止を振り切り、また刀を振るってしまったのだ。今度こそ、お咎め無しとはいかない。
自分の処遇を覚悟したレイメイであったが、グレイは彼を責めるつもりなど無かった。
(良かったです、ご無事で)
「っ、!」
予想もしていなかった言葉にレイメイは思わずグレイを見た。今のは都合の良い妄想が生み出した幻聴だったのでないかと疑いながら。
少し困ったような、しかしながら慈愛に満ちたグレイの顔。あの声が、言葉が、幻聴でなかったことを理解する。
(俺がライさんから頼まれたのは貴方の治療と支援だけですから)
グレイは遠回しに個人的な事情への介入もとい復讐の妨害をするつもりは初めから無かったことを告げる。
ただ彼はレイメイに気付いて欲しかったのだ。復讐だけを糧に今日まで懸命に生きてきたわけでは無いはずだ、と。
レイメイは思い出す。夢か現かも分からない場所で聞いた、亡き父の言葉を。
──周りを、よく見てみろ。お前は一人じゃない。
自分は一人じゃない。その短き言葉の、なんと心強いことか。
一人ではない事が、こんなに嬉しい事だと知らなかった。誇らしい事だと知らなかった。
少し前までは孤独になることを望んでいたはずなのに。そうするのが正しいのだと心から思っていたはずなのに。
今は純粋に怖い。一人になる事が。
「知らず知らずのうちに拙者は、こんなにも弱くなってしまったのか……」
図らずも口に出してしまったレイメイの言葉に、首を振って否定したのはグレイだった。
(孤独に打ち勝てないことを弱いと言っているのなら、それは違うと思います。そもそも孤独というのは悪人であろうと善人であろうと、人間であろうと鬼人であろうと関係なく付き纏ってくるものですから。だから〝どうすれば勝てるのか〟ではなく〝どうすれば上手く付き合えるのか〟が重要だと俺は思いますけどね)
「…………」
レイメイはグレイの言っていることが今一つ理解できなかった。言葉の意味としてではなく、理屈として。
だが、完全に読み解くことは出来なくても聞き流してはいけない大事なこと言っているのは何となく分かった。
(ところでレイメイさん、前から気になっていたのですが……その髪、どうなさったんですか?)
「は、髪?」
唐突な話題の切り替えに動揺してしまったレイメイであったが、視界に入った自分の髪の毛先に目を見張った。
白一色だった髪の毛先が薄紅赤色に染まっている。
雪景色に現れた控えめな春の色。それは、まるで開花しようとしている新たな力の目覚めを告げているかのようだった。
「な、何だ、これは?!」
毛先を彩っているのが血ではないと分かり、レイメイは困惑の声を漏らす。
ギルも彼と同様に困惑の表情を見せたが、グレイだけは何かを考えるような顔をしてレイメイを見ていた。
(……もしかしたら〝進化〟が起こったのかも知れません)
聞き慣れない言葉にレイメイは首を傾げる。
(偽りなき忠誠の効果による影響か、それとも別の要因があるのか。詳しいことは調べてみなければ分かりませんが、恐らく……)
「は? おい、ちょっと待て。今、偽りなき忠誠って言ったか?」
(えぇ、言いましたよ。ですが、重要なのはそこじゃないので適当に聞き流して下さい)
「はぁ?!」
雑に扱われるギルを不憫には思いながらも、レイメイは密かにグレイの対応に感謝していた。
(進化によって引き起こされる変化現象には大きく分けて二種類あります。それは目に見える変化と見えない変化です。前者は主に肉体の進化、そして後者は能力の進化。……鬼人が成長過程でツノの生え変わりが起こることは知っていますが、髪の色が変化したという事例は聞いたことがありません)
「そんなの単にテメェが知らなかっただけだろ」
(俺も最初は、そう思っていました。先ほどのレイメイさんの反応を見るまでは)
「あ? どういうことだ?」
(俺が髪の変色を指摘した時、レイメイさんは明らかに動揺していました。もし、あの髪の変色が彼の中で当然に起こる現象として認識されているのなら、あのような反応をするはずが無い)
ギルの目から見てもレイメイが狼狽えていたのは明白であった。
確かに自分に起こると分かっている変化なら指摘されたとしても反応できるはずだとグレイの主張にギルは素直に納得する。
「……けどよ、だからって進化って決めつけるのは安直すぎやしねぇか?」
(彼は偽りなき忠誠の儀を受けています。この魔法が与える効果は貴方も知っているでしょう。可能性は充分あります)
二人の話を、どこか他人事のようにレイメイは聞いていた。
実感が無いのだ。自分が進化したという実感が。
今まで出来なかったことが出来るようになったことも進化と呼べるのなら一つだけ心当たりがある。
魔法だ。以前のレイメイは魔法が使えなかったが、今は使える。
進化に身体が追いついていないせいで発動後の肉体的負担が大きいという欠点はあるが、それも今後の特訓次第で克服できる。
無魔法者に魔力を注いだからといって必ずしも魔法が使えるようになるわけではない。
精霊の加護を受け継いでいるレイメイは長い時間をかけて魔法との相性が良い肉体に作り替えられていた。
だからこそ偽りなき忠誠の発動が成功した証として与えられる二つ名〝忠義の下僕〟に付与される能力の上昇という報酬を難なく受け取ることが出来たのだ。
「進化……」
未だ半信半疑なレイメイに、グレイは苦笑するしかなかった。
身長や体重のように視覚的に認識できる成長とは違う。かと言って、知識や学力のように日頃から意識的に積み重ねて得たものとも違う。
本人すら自覚していない潜在意識の中で何の前触れもなく起こる化学反応。
自覚していないのだから、その反応が起こるタイミングも条件も分からない。分からないが、進化と言っても良いレベルの変化がレイメイの身に起こったのは事実。
ただ、そのことを上手く説明できる者がいないだけだ。
本来、進化は第三者の口から説明するものでは無い。己で自覚することが何より理解を深める近道なのだから。
(進化とは言っても、まだ能力としては安定していないでしょうから実感が湧かないのも無理ありません。ですから、こう考えては如何でしょう。自分は今、成長しているのだと)
レイメイの頭の中で、何も無かったパズルの台紙に漸く一つの欠片が埋められたような気がした。
何か考えるように自分の世界に入り込んだレイメイを見守るグレイの隣で、ギルが「けっ」と不満そうな声を漏らす。
「んだよ、結局はテメェの勘違いか。だっせぇ」
(せっかちな方ですね。まだ、そうだと決まったわけでもないのに……最早、進化であるか否かなんてどうでも良いんですよ。彼自身が納得のいく形で、この変化を受け入れてくれさえすれば)
「鬼人は常に強さを求める種族。強くなれると分かれば、どんな事だろうと喜んで受け入れるだろうよ」
グレイは何も言わずにギルを見つめていた。彼が、まだ何か言いたげな顔をしていたからだ。
自分の言葉を待っているのだと分かり、ギルは少し気まずそうに頭を掻きながら何かを誤魔化すように咳払いをした。
「あー、仮に、仮にだぞ、レイメイがテメェの言う通り〝進化〟しているとして……この後、どうなると思う?」
(どうなる、とは?)
「アイツ、鬼人だろ。俺が知る限り、鬼人といや稀少の鬼系種族の中で最上位種族だったはずだ。その上なんて、あるのか?」
(…………分かりません)
予想外の回答にギルは少しだけ目を丸くしたが、すぐに興味を失せたように目を細めた。
「テメェにも答えられねぇ事があったんだな」
(何、当たり前なこと言ってるんですか。寧ろ、知らない事の方が多いですよ。というか、答えられなかったのは今のが初めてじゃ無かったと思いますが)
「そうだったか?」
本気なのか惚けているのか判断が難しい声色が何となく不快ではあったが、グレイは不満そうに眉を吊り上げるだけで言い返すことは無かった。
ここで何か反論すれば相手の思う壺だと思ったからだ。
(……それに鬼人のような他種族との関わりを極力持ちたがらない種族の事ともなれば書物や伝聞で得られる情報量など高が知れてますから)
自ら放った言葉ではあるが、なんとも言い訳じみた物言いにグレイは自分が少し嫌いになった。
それでもギルにだけは悟られたくなくて何事も無かったかのように振る舞いながらグレイは話を本題へと軌道修正していく。
そんなグレイの思惑は無意味であった。
何故ならギルの意識はグレイの発言ではなく、グレイ自身に向けられていたからだ。正確には、前の世界にいた頃のグレイだが。
魔王に匹敵するほどの知識を持っていたグレイは、それをひけらかすどころか更に知識を得ようと奮闘していた。
こういう奴を〝努力家〟と言うのだろうと当時のギルは密かに思っていた。……思っていただけで、決して認めていたわけではない。
(貴方も知っての通り鬼人は上位種族なので、それ以上の進化は無いと一般的には言われています)
「なんか含みのある言い方だな」
(先ほども言いましたが、世に出回っている鬼人の情報は少ないんです。俺達が知らないだけで、本当はいるのかも知れません。彼らよりも高位の存在が)
グレイもギルも揃ってレイメイの方を見る。注目の的となった人物は暫く思考顔を晒していたが、二人の視線に気付くと困り顔のまま笑みを浮かべた。
その表情は気恥ずかしいというより、視線が自分に向けられている理由が分からず困惑しているようであった。
(あの、レイメイさん。一つ、お聞きしたいんですが)
この状況で自分に何を聞きたいのだろう?
グレイとギルの遣り取りを聞いていなかったレイメイの顔が緊張で自然と強張る。
(鬼人よりも高位にあたる種族は存在するのでしょうか?)
「いや、そのような種族がいるという話は聞いたことが無いな。名付けなら分かるが……」
(名付け?)
「個々の強さを評定し、序列化するための制度みたいなものだ。拙者達は、これに則って同族間の優劣をつけている」
(なるほど。要は、その方の地位を示す階級ということですね)
あまり他種族に関心を示さない鬼人の特徴が、そのまま良くも悪くも生かされてしまった階級制度というわけかとギルも心の中で納得した。
グレイは〝名付け〟について、もう少し詳しく聞いてみることにした。
上位種族がいない。つまりは自分達が最も高次な存在であるということ。
捻くれた言い方をすれば、同位である同族だけが脅威。故に、同族間で優劣をつける。
誰に従い、誰に尽くせば良いのかを明確にする為に。
レイメイからの説明を受ける中で、グレイとギルが気になったのは〝名付け〟の最上階級に位置する『鬼』であった。
最も位の高い階級でありながら志す者がいない。その矛盾が露呈した時点で、最強を名乗るためだけに設けられた称号でないことはグレイもギルも察しが付いた。
更にレイメイの話を聞いていく中で、彼らは自ずと『鬼』という階級が定められた本当の意味を知ることとなる。
『鬼』とは更なる強さを追い求めるための目標ではなく、暗にこれ以上強くなってはならないという意図が込められた最後の一線なのだと。
レイメイの身に起こった異変と彼から聞いた話で、グレイとギルは一つの可能性を導き出した。
それは『鬼』という未踏の領域にレイメイが踏み込もうとしている可能性。
この可能性が現実となった時、果たして彼は自分達のことを仲間だと思ってくれるだろうか?
あの昔話のように全てを失い、最後は一人虚しく散っていくのではないだろうか?
何にせよ、あくまでも可能性の話だ。今は結論を急ぐ必要は無い。
(とはいえ、あの方には話しておくべきでしょうね。まぁ、話さなくても彼の姿を見れば嫌でも理解してしまうでしょうが)
何でもかんでも都合よく事が運ぶわけでないことは痛いほど理解している。
出来ることなら自分達だけで解決したいというのがグレイの本音だが、今回ばかりはそうもいかない。一度、始まってしまった進化は本人にも止めることは出来ないのだから。
ライにとって不都合な事態は、例え一つの可能性であったとしても看過できないのだ。
(さて……この進化、吉と出るか凶と出るか)
まさか通常ならば讃えられるべき進化が吉凶すら知り得ない脅威になろうとは誰が予想できただろう。
しかし、彼らは間もなく知ることとなる。それすらも凌ぐ脅威が、すぐそこまで迫っていることを。




