313話_鬼〈キサラギ〉
人の世界に爵位などといった身分を示す称号があるように、鬼人の世界にも〝名付け〟と呼ばれる階級が存在する。
階級とは言っても爵位のような格式ばったものではなく鬼人族の中で設けられた、謂わば、強さの格付けである。
元は一つであった鬼人が四つの族に分断された今現在でも、この階級は彼らの俗識として生き続けている。
名付けは、四つの階級で成り立っている。
階級が低い順から『能』、『成』、『慧』、『鬼』である。
あらゆる物事を争いで決める血気盛んな一族、鬼人。
一族を纏める頭領を決める手段も例外なく争いになるわけだが、仮にも一族の代表となる存在であるからには肉体的にも精神的にも相応の強さを兼ね備えていなければならない。
故に、頭領の座をかけた争いに参加できるのは『慧』以上の階級を与えられた者のみ。名付けの中で最も低い『能』は言わずもがな、一族の中でも並程度に強い者の証である『成』の者も必然的に頭領にはなれない。
レイメイは『慧』の称号を与えられていた。
彼は人間の年齢に換算すると、およそ20代前半にあたる。その若さで『慧』の称号を与えられているのはレイメイを含めて二名。そもそも『慧』は『能』や『成』に比べて階層が非常に薄く、最も取得が困難とされている。
階級の判定基準は各一族の頭領のみが把握しており、次期頭領が確定した時点で引き継がれるのが常例なのだが、ソウリュウ族は先代のトキワが次期頭領を正式に決定する前に亡くなってしまっているためレイメイは知らない。
先述したように名付けには『慧』の上位である『鬼』という階級があるが、実質的な最上位は『慧』である。
『鬼』は鬼人の頂点。しかしながら、それを志す者はいない。
肉体的な強さを一番に求める鬼人一族にとっての〝頂点〟を、あえて定義するならば〝他者を寄せ付けない圧倒的な力〟。
ここでの他者とは他種族は勿論のこと同族である鬼人も例外ではない。友人、家族、恋人……そんな心の拠り所とも呼べる存在さえも。
鬼人は凶暴性を帯びている種族ではあるが、無慈悲ではない。一度、心を許した相手には生涯尽くす傾向にある彼らにとって全ての縁を切り捨てることなど不可能。
全てを捨てる覚悟が無い者には到達することの出来ない領域──それが『鬼』である。
そんな未知の力に惹かれながらも、その階級を志す者がいない理由は他にもあった。
鬼人族の間で語り継がれている昔話の一つに〝手向けの丹花〟という話がある。
とある村に住む身体が大きく、力持ちの鬼人の話だ。
厳つい見た目とは裏腹に性格は心優しく、村一番の人気者で愛する妻と娘と一緒に幸せに暮らしていた。
村の近くには人間達が暮らす村があり、鬼人も人間も互いを快く思っていなかった。
牽制し合うことで何とか争いは免れているものの、僅かでも綻びが出てしまえば、いつ争いになってもおかしくない状況。
心優しい鬼人は人間と仲良くなれる方法は無いかと密かに考えていた。考えて、考えて、良案が浮かばぬまま月日だけが過ぎ、とうとう望まぬ日が来てしまった。
鬼人の子どもが人間の子どもに怪我を負わせてしまったのである。
石を投げつけられて激昂した鬼人の子どもが人間の子どもの顔を引っ掻いたのだ。
子どもといえど鬼人の爪は鋭い。針のように尖った爪先が運悪く片目の眼球を掠め、結果的に失明させてしまった。
先に仕掛けたのは人間だが、明らかな過剰防衛であった。
この事は互いの村中に知れ渡り、冷戦による均衡状態は呆気なく崩壊した。
鬼人と人間による争い。決着は早々につくと思われたが、人間側が魔法や科学技術により発達した武器を導入したことで鬼人側は苦戦を強いられていた。
倒れる仲間、無惨に踏み散らされた若き命を目の当たりにしたことで彼は精神が砕かれる寸前のところまで追い詰められていた。
そして、ある日、精神は完全に砕けた。愛する娘が殺されたのだ。
遺体と対面した時、彼女の頬に半ば乾いた幾筋もの涙痕があるのを見た。
娘は、どのような最期を遂げたのか。娘は、何を見て泣いていたのか。
娘と共にいたはずの妻の遺体は未だに見つかっていない。その時点で、ある程度は推察できる。
何より、その涙痕こそが非道で残酷な現実が彼女の目の前で繰り広げられていたことを裏付けている。
愛しい存在を、守るべき存在を失ったことで彼は心を捨てた。愛する者達との未来を全否定された彼に、もはや未練などあるはずも無かった。
自我を手放した彼が最後に見たのは、地獄。
周りは人間や鬼人の遺体ばかりで、立っているのは自分だけ。
手や身体に付着した血を呆然と見ている内に、彼はある事に気付いた。
何人かの鬼人は自分の足に縋りつくような体勢で亡くなっていたのだ。
最初は自分に助けを求めた末に絶命してしまったのかと思ったが、そう解釈するには不可解な点が二つある。
こんなにも近くにいながら何故助けてやれなかったのか?
何故、自分だけ助かったのか?
何か思い出せないかと記憶を探れば、その行為を阻むかのように頭痛が起こる。
それ以上は踏み込むなと、思い出すなと言われている気がしたが、彼は記憶を掘り起こすことだけに集中した。
頭痛との戦いの末、彼は全てを思い出した。思い出さなければ良かったと思った。
そこら中に転がる人間や鬼人の遺体は彼自身が作り出したものだったのだ。
誰よりも力の強かった彼は、一時的に自我を失ったことで日頃から無意識に制御していた力をも解放してしまったのである。
やがて、その力は人間や仲間にも狂気の牙を向けた。大人、子ども、男、女と見境なく。
よりにもよって、誰よりも人間と鬼人の和睦を願っていた彼の手によって。
一人になった鬼人は咽び泣いた。膝を折り、神に懺悔するように。
物語の最後は、村から離れた林の中で血で赤く染まった娘の亡骸を愛おしむように抱き抱えながら息絶えている鬼人を偶然通りかかった旅人が見つける場面で締め括られている。
この昔話の主人公である鬼人の名は、キサラギ。ちなみに昔話の表題にもなっている〝丹花〟はキサラギの娘の名前でもある。
名付けの階級の『鬼』は、この物語に由来して付けられたものだと言われている。
これが単なる昔話か否かは現代でも明らかとなってはいないが、何れにせよ、この昔話が今でも語り継がれているという事は、少なくとも鬼人達は作り話としては切り離しがたい一つの教訓として受け止めているという事だ。
力に身を委ねたことで全てを失った哀れなキサラギのようにはならない。なりたくない。
一族や家族のことだけを気に掛けていたら、人間など村から追い出すなり根絶やしにするなりしてしまえていたら、あのような末路にはならなかっただろうに。
他種族を遠ざけて一族を重んじるという思考の根底は、この昔話にあると言っても過言ではない。
彼らにとって、この昔話は人間どころか同族をも凌駕するほどの力を持っていながら優しさという脆い枷で力を制御し、その代償として大切なものを失い、理性を破壊されたことで制御を失った力もとい本来の力で敵も味方も殲滅してしまった哀れな男の話でしかない。
言ってしまえば『鬼』とは目指すべき最上階級ではなく、超えてはならない境界線なのだ。
しかし今、その超えてはならない領域の目前まで足を踏み入れてしまっている者がいた──レイメイである。
ギルの魔法を目眩しに利用するだけでなく空気分身でグレイの目を欺く芸当までやってのけた彼は再び刀を振るっていた。
男の首から生え伸びた蔦のようなものが鞭のようにそり曲がり、レイメイに襲いかかる。
持っていた刀は先ほどの爆風の衝撃で落としてしまったのか男の手には何も無かったが、化け物へと成り果てた者には関係のないことだ。
予測困難な不規則な動きにレイメイも何とか反応しているが、さすがに全ての攻撃を避けきることは出来なかったようで身体の所々が切れて出血している。
この攻防戦も、そう長くは続かない。長期戦は、まだ体調が万全でないレイメイにとって分が悪い。
自分のことは自分が一番よく分かっている。分かるが故に気持ちが先走ってしまうのだ。
太刀筋に余裕が感じられないのが嫌でも分かる。戦いにおいて焦りは禁物だ。かと言って、相手が気を落ち着かせる時間を与えてくれるわけじゃない。相手が強敵ならば尚更だ。
「うぉぉぉぉお゛!!!!」
レイメイが力の限り叫びながら刀を八の字に振るっては迫り来る触手を斬り落とすが、何度斬り落としても触手が迫る速度も数も変わらない。
斬ってもすぐに再生してしまうせいか、それとも数が多いせいか。或いは、その両方か。
どれが真実であろうとレイメイは、どうでも良かった。何が真実であろうと自分がやるべき事は変わらないからだ。
今度こそ目の前の敵を討つ。復讐を果たす。レイメイの頭にあるのは、それだけだった。
触手の攻撃可能範囲外まで後退したレイメイは腰を落とした低姿勢のまま刀を横向きに構える。
レイメイを捕らえようと、触手と共に男の身体が前に出た。
今や男の肉体は、この触手達の苗床だ。自由も無ければ、意志も無い。
この短時間で数え切れないほどの触手を斬り捨ててきたレイメイには分かる。
触手を斬ったところで意味はない。その後方にある男の肉体こそが奴等の急所だ。
だが、肉体を単に傷付ければ良いというわけでは無い。先ほども言った通り、急所を狙わなければならない。
人間の急所と言えば幾つか挙げられるが、その急所の一つある首が斬り落とされている今、確実に仕留めるならば心臓を狙うしかない。
目を閉じ、息を殺し、目の前の化け物から感じ取れる気配と音だけに集中する。
ドクン、ドクンと奏でられる生命の音を拾った瞬間、レイメイは開眼した。
開かれた瞳孔が、肉眼では見えないはずの心臓を捉える。
「蒼龍裏隗流、弓張り────四苑綾ノ波」
空気を含んだ掠れ声を合図に振るわれたのは、たったの一太刀。
何事も無かったかのようにレイメイの横を通過する化け物。
レイメイは目を伏せながら、流れるように刀を鞘に収めた。
カチリと刀が鞘に収まる音が響くと、化け物の一部となった男の身体が倒れる。
触手も養分を失った植物のように萎れ、陸に上がった魚のように弱々しく震えていたが、次第に大人しくなった。
今度こそ本当に全てが終わったのだと自覚した時、レイメイは深く息を吐いた。未だ収まりそうにない異様な昂揚を宥めるように。




