312話_鬼となる《中》
転がった男の首をレイメイは虚ろな瞳の奥に落とし込んでいた。
無言となった首を見つめながら、レイメイは男の言葉を思い返していた。
────どうだ、今の気分は? 最高だろォ?
レイメイが声を発せていたなら、まだ男の聴覚機能が生きていたなら彼は間違いなく、こう答えていた。「最悪だ」と。
胃の中のものを全部ぶち撒けてしまいそうな嫌悪感とも似ている。
これが復讐を成し遂げた者への報酬だというのか?
折角、皆の仇を討ったのに。心が晴れない。救われた気がしない。
一族を壊滅の一歩手前まで追いやった元凶を倒したというのに、この虚無感は何だ?
男の死体をバラバラに切り刻めば、この得体の知れない感情から解放されるのだろうか?
誰かに問いかけるまでもなく、それは否であると分かる。
切り刻もうが焼き払おうが、もう無意味なのだ。男は死んだのだから。
意思を失った肉塊に何かしたところで却って虚しくなるだけだ。
失ったものが戻ってくるわけじゃない。何もかもが無かったことになるわけでもない。そんなことは最初から分かっていたはずなのに。
(……分かりません、父上。拙者は……間違っていたのでしょうか?)
幼い頃から自分を育ててくれた親であり教え導いてくれた師でもあった父は、もう居ない。
答えが返ってこないことなど百も承知。それでも問いかけずにはいられない。
誰でも良いから教えてほしい。自分の行いに、この復讐に、意味はあったのかと。
口内に広がる金臭い血の味でレイメイは自分が深手を負っていたことを思い出した。
怪我を意識した途端、それまで感じなかった容赦のない熱と痛みがレイメイを襲う。
心なしか、視界もボヤけている。一層の事、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られたが、何とか辛うじて意識だけは保っていた。
(ライ殿と合流しなければ…………いや、その前にリュウ殿を…………)
やるべき事は分かっているのに身体が動かない。動かす気力がないと言っても良い。
復讐を終えたことで、レイメイは生きていなければならない理由を失ってしまっていた。
致命傷とも言える怪我を言い訳にして、彼は逝くべき場所へ向かおうとしている。意識を名も顔も知らない誰かに託す代わりに、幸せだった頃の〝故郷〟を彼は求めようとしている。
(父上、母上……拙者も、今そちらに……)
意識を完全に手放そうとした直前、誰かに強く背中を引っ張られた。
意識の中でレイメイは振り返るが、そこには真っ暗な空間が広がるばかりで何も無い。
────ぁ、……ま!
気の所為だったのだろうかと首を傾げた彼の耳に確かに届いた〝声〟。何かを言っているようだが、上手く聞き取れない。
声を聞く事だけに集中するためレイメイは一度、目を閉じた。
────ぁ、に……ま! …………兄様!!
なんと愛おしい声だろう。そう思うのも当然だ。
何故なら、声の正体は……唯一残された、大切な家族なのだから。
自分に呼びかける声の主が愛する妹であると分かった時、何処からともなく吹いた風がレイメイの身体を包み込む。
まるで両親に抱きしめられたかのような優しい温もりを感じながらレイメイは、ゆっくりと目を開けた。
「……、っ!」
目を開けた先には何も無かった真っ暗な空間ではなく、懐かしい故郷と会いたいと焦がれていた家族や仲間がいた。
それだけではない。生きているはずのヒメカ達もいる。
彼女達の存在が、今自分がいる場所が天国ではないことを教えてくれた。
目の前の彼らは何も言わず、ただレイメイに微笑みかけていた。心から労わるように、慈しむように。
もう二度と見ることは出来ないと思った光景を前に、レイメイは一筋の涙を零した。
伝えたいことは山ほどあるのに、感情の糸が切れたように止め処なく溢れてだした涙が邪魔をする。
涙で視界が不明瞭になっても彼には分かる。この夢のような時間に別れを告げなければならないことを。
「っ、待ってくれ! 父上、母上!!」
彼らの姿が光の泡となって消える直前、父親のトキワが何かを伝えるように口を開いた。
残念ながら声は聞こえなかったため彼が何と言ったのか正確には分からなかったが……レイメイには、その口元が「生きろ」と言っているように見えた。
お前が失ってしまったものは多い。だが、全てを失ったわけじゃない。それに、新たに得たものもあったはずだ。
今、お前が守るべきものは何だ? 気にかけるべきものは何だ?
周りを、よく見てみろ。お前は一人じゃない。
…………そうだろ、レイメイ。
朧げな意識の中で、レイメイは確かに父の声を聞いた。
父の言った〝得たもの〟が何であるかなど考えるまでもない。
こうして彼は現実へと帰ってきた。今度こそ失わない為に。守るべき者達を守る為に。
(……良かった。気が付かれたようですね)
意識を取り戻したレイメイが最初に目にしたのは、安堵した表情で自分を見下ろすグレイと見慣れない人相の悪そうな男だった。
人相の悪そうな男とは、言わずもがなギルのことである。
「グ、レィ、ど」
(あぁ、無理に声を発する必要はありません。何か言いたいことがある時は念話でお願いします)
言われた通りに念話で「分かった」と呟いたレイメイに、グレイは応えるように頷いた。
(グレイ殿、どうして此処に?)
(ライさんに頼まれたんです。レイメイさんが危険な状態だから力を貸してほしいと)
グレイの言葉で、レイメイは喉元に感じていた痛みが無くなっていることに気付いた。
恐る恐る喉を手で触れると、ぱっくりと開いていたはずの箇所が完全に塞がっている。
(痛みや違和感は、ありませんか?)
小さく首を横に振ることで意思表示をする。
どうやら一命を取り留めたらしいと他人事のように自己分析しながらレイメイは脳裏にライの姿を思い浮かべる。
(……ライ殿には一生、足を向けて寝られないな)
新たに増えてしまった、しかも自分の一生を捧げたとしても返せそうにない程の大きな恩にレイメイは不甲斐ない自分に呆れるように笑った。
(笑みを見せるだけの余裕はある、か)
ぎこちないレイメイの笑みを見て、グレイもまた口元を緩めた。
〝笑う〟というのは精神面において重要な要素だ。
心に余裕のない者は笑わない。笑えないのだから。
「おい、もう治療は終わったんだろ。とっとと戻るぞ」
(終わってませんよ。傷口は塞がっていますが、まだ機能の方が完全には回復していないんですから)
「あ? そんなの魔法で何とかすりゃあ良いだろうが」
(こればかりは魔法でも、どうにもならないんですよ。外傷は兎も角、神経や筋肉などへの魔法の干渉は自動的に制限されてしまうんです。それ自体の損傷を修復することは可能ですが、機能面については患者の自己治癒力に懸けるしかありません)
小難しい解説を聞きながらギルは気怠そうに頭を掻いた。
「何だ、治癒魔法も大したこと無ぇな」
(治癒魔法すら満足に使えない無能は黙ってて下さい)
「むのっ?! グレイ、テメェ……ッ!」
二人の関係性が見えてこないレイメイは困惑しながらも成り行きを見守ることしか出来ない。
「お前のことは昔から気に食わなかったが、今はもっと気に食わねぇ! あんま調子に乗ってると爆散させるぞ」
(何、自分ばかりがみたいに言ってるんですか。言っときますけど、気に食わないのは俺だって同じですからね。ライさんの命令があるから共に行動しているだけで、そうでなかったら貴方とだなんて真っ平御免です)
「俺だって、あの人から頼まれてなきゃテメェなんかと一緒にいねぇよ!」
こんなにも容赦のない言葉を吐くグレイに呆気に取られていたレイメイであったが、それだけ気遣いの不要な相手(=親しい関係)なのだろうと解釈することにした。
(……レイメイさん)
思考を読み取ったかのようなタイミングで向けられたグレイの鋭い視線に内心騒ついたが、責めるような意思は感じられないことから何か別の話題なのだろうとレイメイは視線を逸らさずに彼の言葉を待つ。
待ちながらも今から振られる話題については彼の中で察しが付いていた。
(もし良ければ話して頂けませんか? 俺達が来るまでの間、此処で何があったのかを)
予想通りの展開にレイメイも、この時ばかりは自分の勘の良さを呪った。
グレイ達にとっては至極当然な疑問だが、レイメイにとっては今すぐにでも忘れたい失態だ。これまでの経緯を話せというのは、彼にとって醜態を自ら暴露するのと同じ。
しかし、話さないわけにはいかない。彼らに恩があるからというのもあるが、何より後ろめたい気持ちで彼らと今後向き合うのは失礼だと感じたのだ。
(聞いてくれるか、グレイ殿。それから……)
(彼は、ギル。敵と見誤っても致し方ない顔つきですが、一応、今は俺達の仲間なので安心して下さい)
「誤解を招くような紹介は止めろ。お前、確かレイメイっつったか。……さっきは悪かったな」
何に対する謝罪だとレイメイが不思議そうにギルを見つめ、グレイもまた物珍しそうな顔をして彼を見た。
(おや、貴方にしては珍しい。先ほどのこと、それなりに気にされていたんですね)
「……少なくとも病み上がりの奴の前で言うことじゃなかったからな」
レイメイの体調を無視して戻ることを急かすような発言をしたことにギルは謝っていたのだ。
レイメイ自身としては全く気にしていなかった事だけに、謝罪の真意を理解するのに時間を費やしてしまった。
(反省しているのは分かりましたが、今のでは誠意が感じられませんね。もう一度、ちゃんと謝って下さい)
「はぁ?! だから、さっき謝っただろうが!」
(〝悪かった〟という、どこか上から目線な言い方が個人的に気に入りませんでした)
「それ、単にテメェの好みの問題じゃねぇか!!」
もはや漫才と化しつつある二人の遣り取りにレイメイは再び疎外感を抱かざるを得ない。
だが、分かったこともある。それはギルも悪い人間ではないという事だ。
彼もまたライに認められた存在。ならば、レイメイが示す意志は一つだ。
レイメイはギルに向けて右手を挙げた。まるで握手を求めるかのように。
真っ先にレイメイの意図に気付いたグレイが視線でギルに彼の意思を伝える。付き合いが長いだけあって、ギルは向けられた視線一つでグレイが何を伝えようとしているのかを理解した。
「ん」
しゃがみ込んだギルは迷わずレイメイの手を取った。ギルにとっては今日で二度目の握手だ。
(以後よろしく頼む、ギル殿)
「あぁ」
手を取り合う二人越しに、グレイは新たな絆という新芽の芽吹きを感じていた。
「…………………………、」
首のない死体の指先が僅かに動いた。
動くはずのない死体に何やら異変が起こり始めているが、気付けた者は一人もいない。




