31話_元凶、登場
その湖は昔読んだ童話に出てくる真実の鏡ように澄んでいたが、世界で1番美しい女ではなく、海のように青い空と魚のように流れる白い雲を映し出していた。
「此処に、ソフィアとルイーズが眠っているんだな」
俺の言葉に、ミーナは頷いた。
「私が、2人に眠っててってお願いしたの」
彼女の言う〝お願い〟とは、恐らく言霊の事だろう。
竜使いは、竜にのみ有効な言霊を使う事が出来る。
しかし、どの竜にでも有効なわけではなく、心を通わせた竜にのみ通用する特別な言霊だ。
(詳しいんですね)
突然、脳内に響いたグレイの声に声は発しなかったものの、肩をピクリと動かしてしまった。
(お前、とうとう俺の思考にまで乱入してきたな)
(乱入だなんて人聞きの悪い。魔王様が大声で独り言を言い続けるものだから見ていられなくなって声をかけた次第ですよ)
思考の声に大きいも小さいもあるか。
(それで、今の話は本当ですか?)
自分からペース乱しておいて、無理やり修正かけてきたグレイに諦めの溜め息をこぼし、彼に合わせる事にした。
(本で読んだ事があるだけだから、本当かどうかは分からない。実際に会うのは、これが初めてだからな)
(これ、会ってるって言えるんですかね? 当の本人……いや、当竜は湖に眠ってるんですよね)
余計な事を言う彼に、俺は念話拒否をした。
俺が強制的に切った事が分かったグレイは、あからさまに眉を顰めた。
「2人を起こさないのか?」
「起こしたいけど……」
ミーナの言葉は、それ以上続かなかった。
大方、起こしたいのが本音なのだろうが何かが邪魔してそれが出来ないのだろう。
どちらにせよ、このままでは食べ物は与えられない。
「ライ?」
サクッ、サクッと草を踏みながら、湖へと近づいて行く。
湖と陸の境目まで来て跪くと、湖に俺の顔が映りだす。
この湖は思っていたよりも深いようで、底が見えない。
俺は手に持っていた果実を水面に、そっと乗せるように置いた。
チャプッと水音を立ててバランス良く浮いた果実は湖の中央に引っ張られるように、少しずつ俺から離れていく。
暫く眺めていると、俺の隣に来たミーナも手に持っていた果実を水面にそっと浮かべた。
俺が置いた果実を追いかけるようにミーナが置いた果実も、湖の中央の方へと流れていく。
「ソフィアとルイーズ、食べてくれるかな」
誰に問うわけでもなく呟かれた言葉に、俺は思わず頷いた。
少し肌寒くなったと感じた時、クシュンと可愛いらしい嚔が聞こえた。
横を見ると、ミーナは恥ずかしそうに口元を手で覆っていた。
「そろそろ帰るか」
俺がそう言うとミーナは頷き、立ち上がった。
グレイとアランは俺達に気を遣っていたのか、思ったよりも離れた場所にいた。
俺達が立ち上がると、2人も立ち上がり俺とミーナの元へと歩み寄った。
よく見ると、グレイの表情がいつもよりも険しい。
(意外と根に持つタイプだからな、此奴は)
長年の付き合ってきた相手の分析を冷静にしていると、既に先の方へ行っていたアランに声をかけられた。
「ライ、グレイさん、早く行こうよ!」
彼の右手は、しっかりとミーナの手を握っていた。ミーナも、俺達の方を見ている。
「……行くか」
『……はい』
互いに呆れたように笑うと、アラン達を追いかけるように歩き出した。
湖で未だに浮かぶ2つの果実は綺麗に二手に分かれ、それぞれの違う方へと漂っていた。
家が目先に見え始めた時、俺達は思わず足を止めた。
「ライ、あれ……」
「しっ、早く隠れろ」
ガサッと音は立ててしまったが、家の周囲をウロウロと徘徊している男達の耳までは届かなかったようだ。
「多分、村の人達だよね? どうして、こんな所に」
「お前達が村に行っている間も来た。ミーナを探しているようだったが」
また彼らが来たのだろうか。だとしたら、ご苦労様だなと伝えてやりたい。
「くそっ、何処に行ったんだ!」
「は、早く捕まえないと、俺達……っ、」
やはりミーナが目的のようだが、男達からは焦りを感じる。
(何故、あんなにも必死になってミーナを探してるんだ?)
そんな俺の疑問は、すぐに解決した。
「まだ見つからないのですか?」
先ほどまでの村人とは明らかに違う声質。
男の声だろうが、喉を患っているのか声が所々、掠れている。
「ガ、ガウス様!!」
(ガウス?)
少し前にも聞いた名前に、俺は思わず茂みから少し顔を出した。
村人達とは明らかに雰囲気が違う。
やけに重そうな槍を背中に抱え、黒いフード付きのマントが彼の身体をしっかりと包んでいるため、その姿を鮮明に確認する事が出来ないが、何故か俺は、その男に見覚えがあった。
黒いフードに顔を包まれた男。そして、あの槍……
「あの人、村を出る時にすれ違った人だ」
「何?」
それは本当か、と続けようとした言葉を飲み込む。
隣で様子を伺っていたミーナが突然、俺にしがみ付いてきたからだ。
早くこの時が過ぎて欲しいと言わんばかりに、力一杯目を瞑っている。
ミーナの記憶で見た多くの竜をたった1人で殺していった男と酷似している格好や武器。
そして何よりミーナの反応がそうだと告げていた。
間違いない。彼こそ、彼女の記憶の中にいた男だ。
「とりあえず一度村に戻りましょう。暗い森の中で捜索をするのは危険です」
「し、しかし……」
「そんなに慌てなくても、まだ時間はありますよ。それに、この森の何処かに竜がいるかも知れないのですよ?」
男の言葉に、声を詰まらせた村人達はそそくさと村の方へと引き返したが、ガウスだけは帰らずにミーナが拠点としているボロい家を見つめている。
「……チッ、使えねぇ奴等だな」
ザァッと森の中を駆ける風が、男の呟きを俺達へと運んできた。
それから間もなく、男は村の方へと歩いて行った。
男が姿を消した事を確認すると、ホッと胸をなで下ろしたアランを筆頭に各々が安心したように息を吐く中、ミーナの表情だけはまだ安心を取り戻していなかった。
「帰ろう、ミーナ」
俺がそう言うが、ミーナはその場に蹲ったまま動かない。
(……自分の両親を殺した張本人がいた場所に、例えそこが今の家であったとしても戻りたくはないよな)
「それなら今日は此処で寝ようよ」
アランの突然の提案に、全員が彼の方を見た。
「出発するまでに少し時間があったでしょ? その時に僕、簡易テントを持ってきたんだ。もしかしたら野宿する事になるかもと思って。なんと、地面に置いたら一瞬でテントになる優れ物なんだよ!」
円形状に包まれた手の平くらいの大きさの布の塊を持って、いつだったかテレビで見た通販番組さながらの力説し始めた幼馴染を、俺は呆然と見つめていた。
『そんな便利な物があるんですね』
だが、グレイは違った。
布の塊に興味津々だとばかりに目を輝かせながら、アランに詰め寄っている。
「……テント?」
あれだけテコでも動かないとばかりに蹲っていた少女はアランの言葉にスッと立ち上がり、歩み寄って行った。
「ミーナちゃんも、テントで寝てみたい?」
「うん」
アランの曇りのない笑顔にミーナも笑顔で応える。
なんだか釈然としないが、とりあえず彼女に笑顔が戻ったから良しとしよう。
『あの、アランさん。本当に地面に置いたら一瞬でテントになるんですか?』
(お前は、いつまで引っ張るんだ)
先ほどまで、わき上がっていた言葉にならない感情は彼らのせいで、すっかり冷めてしまったが、それでも脳内には未だに〝あの男〟の姿がちらついて離れない。
(ガウス……)
どう足掻いても避ける事は出来ないであろう存在。
近い未来で、彼とは対峙する事になるだろう。
(その時は、ミーナの目の前で地面にめり込むほど頭を下げさせてやる)
そして、それ相応の償いをしてもらおうじゃないか。
胸の奥底で目覚めようとしている感情を宥めながら、俺は湖へと向かうアラン達を追ったのだった。




