235.5話_閑話:理想と現実
一度だけ剣を交えてから両者は互いの出方を窺うように対峙している。
気が抜けないことに変わりないが、この状況はアンドレアスにとって幸運だった。
相手は、聖騎士団の団長。
あのまま本格的に真剣での勝負へと持ち込まれてしまったら、まずアンドレアスに勝ち目は無い。
だからといって、ハッタリをかましたところで通用する相手でも無い。
ライ達を心配させまいと強気に出たところまでは良かったものの本当は問題だらけな上に何の考えも無しに飛び出してしまった為、この後に自分が何をするべきかすらアンドレアスには分からない。
本当は、こうしてレオンと対立する未来など想像していなかった。
この胸糞悪い会議が早く終わりますようにと願いながら、ひたすら耐えて、耐えて耐えて耐えて耐え続けるつもりだった。
だから何も発言するつもりは無かったし、どのような結論が出たとしても受け入れるつもりだった。
つまり当初の予定では、アンドレアスはハヤトを見捨てるつもりだったのだ。
例え本意でなくとも、抗議の声を上げない時点で彼等と同罪なのだから。
それなのに……咄嗟に、身体が動いてしまった。
レオンがライが腕を斬り落としたのを見た瞬間、それまで意思を持たなかった人形に自我が芽生えたかのようにアンドレアスはライの元へと駆け出していた。
そして今もこうして自分の父親を守る聖騎士に刃を向けてしまっている。
これは立派な謀反行為だ。王子だからといって許される行為では無い。
それでも、納刀するつもりは無かった。
今ここで自分が動かなければ、きっと未来の自分が〝何故、あの時ああしなかったのか〟と後悔するから。
「剣をお納め下さい、王子。訓練以外で、貴方と剣を交えたくはありません」
「それは我も同じだ、レオン殿。こんな形で貴殿と争いたくは無い。貴殿も同じ考えだと言うならば、どうか剣を納めてはもらえぬか?」
「それは出来ません。俺達は、王の盾であり槍でもある。忠誠を誓った主人に危機が迫っているならば誰よりも早く王の元へ駆けつけ、その使命を全うのが我々の務めですから」
「それは実に見事な心意気だ。父上も貴殿のような騎士を持てて、さぞかし鼻が高いであろうな」
その時、アンドレアスはレオンが見せた瞬きも許されないほどに瞬間的ながらも悲しげな笑みを見逃さなかった。
「……聖騎士は、主人である陛下の考えに疑問を抱いてはいけない。反論してはいけない。貴方が先ほど仰ったように、俺達は陛下の意思のままに動く駒に過ぎないのです。そして、陛下の意思を実現させることこそが聖騎士が陛下に掲げた忠義」
「随分と妄信的な忠義だな。父上の意向であれば愛する妻を差し出すことも御子息の友人に斬りかかることにも何の抵抗も無い、と?」
「王子、貴方は眩しいほどに真っ直ぐな方です。我々の思考を理解できないのも致し方ないのでしょう。ですが、これだけは心に留めておいて下さい。……綺麗事だけでは何も変えられないのですよ」
次の瞬間、アンドレアスの手から剣が消えていた。
レオンの一振りによって弾き飛ばされてしまったのだと気付いたのは、獣を狙う狩人のように血気盛んな紅色の瞳が目と鼻の先まで迫っていた時だった。
弾き飛ばされた衝撃で、身体が後方へと大きく傾く。
自分を見つめるレオンの表情からは既に勝利を確信したかのような余裕すら感じられる。
そんな彼の表情を見てアンドレアスは思った──その澄まし顔を、何としても崩してやりたいと。
後方に傾いた身体を片足で支え、その足を軸にして身体を回転させる。
その回転の勢いを利用して、浮いたままのもう片足を振り回す。
彼は、倒れかけていた体勢から器用にも回し蹴りを繰り出したのだ。
あの状態から反撃されるとは微塵も想定していなかったレオンは庇う体勢に入ったが間に合わず、アンドレアスの蹴りは彼の脇腹を直撃した。
「ぐっ……!」
呻き声を上げて体勢は崩してもレオンの身体が地に伏せることは無かったが、それでもアンドレアスは清々しい気分だった。
訓練の時には一度も攻撃を与えられなかった彼に、漸く一矢報えたのだから。
痛みがあるのか脇腹を押さえ、不満そうに眉を顰めてアンドレアスを見つめている。
先ほどの澄まし顔よりも、ずっと良い。駒という無機物な表現の似合わない人間らしい表情だ。
(これぞ、戦いに勝って勝負に負ける! ……いや、逆だったか? 戦いに負けて勝負に勝つ!!)
一体、どこから習得した言葉なのか?
そもそも、この状況にその言葉は相応しいのか?
そんな疑問の声が何処からともなく聞こえてきたが、満足げな笑みを浮かべている本人を前にしてみればそのような疑問は野暮というものだ。
「貴殿の言う〝綺麗事〟が具体的にどのようなものを指すのか我には分からぬが、確かにこの世界には闇が多すぎる。ほんの一部ではあるが我も、その闇を何度か見てきた。そして、その度に思う。このままでは駄目だと! 体裁ばかりを気にして塗り固められた虚像を完膚なきまでに破壊しなければ、この世界は破綻してしまう。そうは思わないか、レオン殿」
「…………」
「父上は立派な方だ。心から尊敬している。だが、今回ばかりは賛同できない。魔王という最大の脅威を前にした今、我等がすべきことは互いに手を取り合い、脅威に立ち向かうことだ。こんな責任を擦り付け合うような話し合いなどでは無い」
「……貴方が仰っていることは、結局は理想論です。無礼を承知で申し上げますが俺には、今の貴方は自分に不都合な現実から目を背けているようにしか見えません」
「すぐに分かってもらおうとは思わない。言葉で解決できるほど単純な問題でないことなど承知の上だ。だがな、レオン殿。我は心から望んでしまった。皆が笑い合い、幸せを感じ、種族も立場も関係なく支え合えるような世界を。王都の魔法学校で行われた実技試験でライ殿やアラン殿が協力して敵に立ち向かう姿を見て、その想いは更に強まった。この世界のほとんどが良からぬ闇に染まってしまっていても、希望の光が完全に無くなったわけじゃない。そう思えたのだ。僅かでも希望がある限り、周りから何を言われようが我は我が理想を貫き通す!」
唐紅の髪が彼の意思の強さを表すかのように炎の如き揺らめきを見せる。
もう彼には何を言っても無駄なのだろうとレオンは悟った。
「俺に貴方の考えを否定する権利はありません。そのまま己の理想論を貫きたいのならば、貫き続ければ良い。ただ、貴方の希望の光とやらであるライ・サナタスが捕えられるのは時間の問題でしょう。今、彼らの元にアメリアが向かいました。彼女は変じ……少し独特な感性を持っていますが、強い騎士であるということは貴方もご存知でしょう。今の彼らでは彼女に勝てません。想定外の会議で聖騎士が俺と彼女しかいないからもしかしたらと期待されていたのかも知れませんが、読みが外れてしまいましたね」
「…………」
今度は、アンドレアスが顰め顔を作る番だった。
レオンの視線を追うように顔を動かすと、入り口付近では巨大な斧が壁となって向こう側が見えなくなっており、ライとハヤトは女性と何やら話をしているのが見えた。
彼女こそが、レオンの言っていた〝アメリア〟だ。
アンドレアスも彼女のことは知っている。訓練という名目の中だけだが、剣を交えたことも何度かある。
それだけに心に余裕を取り戻すことが出来ない。
彼女は強い。アンドレアスの中では、レオンの次に。
(……ライ殿)
自分が信じる希望の光は、この程度で掻き消されたりはしない。
そう思いながらも彼女の強さを知るアンドレアスは、不安を完全に払拭することは出来なかった。




