223話_驚天動地
彼女は、俺を守ってくれている。
彼女もまたアルステッドの話を聞いていたからこそ、自力で治したなんて子ども騙しにもならない嘘を吐いてまで真実を隠そうとしてくれている。
俺が、彼らにとって都合の良い人形にされないように。
「カグヤさん、あからさまな嘘を吐くのは止めて頂きたい。今は貴女の戯れに付き合っている場合では……」
「二度も言わせるな、アルステッド」
爆破寸前の爆弾を前にしたような、この緊張感。
アルステッドもカーテンの奥なら只ならぬ威圧を感じ取ったのか彼の足が一歩分だけ後退していた。
「儂が自力で治したと言っておるんじゃ。ならば、それが真実。それで、この件は終いで良いではないか。それとも何か? 儂が、このまま衰弱していった方が御主には好都合じゃったか?」
「まさか! この世界に結界師の存在は必要不可欠。そのようなこと思うはずがありません」
「……今の御主が求めるのは、あくまで結界師としての儂ということじゃな」
「っ!」
何処か寂しげなカグヤの声に、アルステッドの表情が大きく崩れる。
彼女を傷つけてしまった自分を責めるような顔して、彼は何かを言おうと口を開く。
「違う……私は、……私は、ただ……」
「今の御主の立場上、その考えに至るのは致し方ないことじゃ。昔のように己の感情のみで物事を見て良い身分では無いからの」
「……もう、あの頃とは違うんです。私は、知ってしまった。ただ直向きに己の正義を連ねたって何の意味もない事も。祈るだけでは何も救えない事も。過去を嘆き続けても何も変わりはしない事も」
その言葉の中に隠された彼の想いを俺は知らない。
カリンもハヤトも、俺と同じ心境なのだろう。同じ空間に居るはずなのに、取り残されてしまったのような顔をしてアルステッドを見つめている。
だが、ヴォルフだけは違った。
アルステッドと付き合いの長い彼だからこそ分かるもの。
それが具体的にどのようなものなのかは分からないが、彼の表情から部外者が気安く立ち入って良い事情でないことだけは分かる。
生きる厄災でのハヤトの扱いの件に関しては未だに腹立たしいとは思うが、それは過去に彼が培ってきたものが基盤となっていたのだとしたら……彼は、誰よりも辛い立場にあるのかも知れない。
「やはり御主、まだキールとレティシアのことを……」
「それは違いますよ、カグヤさん。彼らは私にとっての〝過去〟だ。それ以上でもそれ以下でも無い」
キール、そしてレティシア。
初めて聞く名前に、俺は眉を顰める。
カリンとハヤトも聞き覚えがないようで、互いに困惑の表情を伺いながら首を傾げている。
そんな俺達の視線に気付いたアルステッドは居心地悪そうに咳払いをした。
「そんなことより今は貴女のことだ。貴方の心臓が一度、機能を停止したことは我々の方でも確認済みです。貴女が先ほど言っていたことが真実だとすれば、貴方は一度止まった心臓を自力で再び稼働させたことになる。どうしても私は、貴女にそのような力があるとは思えない。そんなことが仮に可能だとすれば、誰かが貴女に魔法を使ったとしか考えられない。しかも単なる治癒魔法ではない、死者を蘇らせることが出来るとされる蘇生魔法を」
「御主が何を言いたいのか、さっぱり分からんな。毎度のことながら御主の言い回しは諄くて好かん」
「あくまでもシラを切るおつもりですね。……分かりました。この件に関しては追々、確認していくことにしますよ。幸い、重要参考人もこの場に居るようですから」
重要参考人とは誰の事を言っているのか。
ご丁寧なことに、その答えはアルステッドの視線が示している。
(……まぁ、そうだよな)
俺だ。
アルステッドは、俺が彼女に何かをしたと疑っている。いや、確信していると言っても良いかも知れない。
恐らくは、あの質問も俺が蘇生魔法も扱える可能性を視野に入れる為のものだったのだろう。
……しかし、それにしても少し拍子抜けした。
彼のことだから、てっきり今から問い詰められるかと覚悟していたのだが、追々確認すると言うことは早急に真実を求めるつもりは無いということだ。
「御主にしては珍しく往生際が良いではないか。よもや何か企んでいるわけではあるまいな?」
「私の態度が原因であることは重々承知していますが、ここまで貴女に疑心を持たれていると思うと悲しくなりますね」
「おや。まだ御主に、そのような繊細な感情が残っていたとは思わなんだ」
「…………」
何とも言い難いような表情をしているアルステッドに、ほんの少しだけ同情した。ほんの少しだけ。
「今回は、貴女が本当に回復したのかを確認するのが第一の目的ですから」
「ほぉ、第一のということは第二の目的もあるということじゃな」
「……時々、貴女には結界だけでなく思考を読み取る能力も持っているのではないかと疑ってしまうんですよね」
「そんな力があったなら、もちっとマシな人生を送っておったわ。それで、第二の目的とやらは儂等にも教えてもらえるのかの?」
「えぇ、例え私が教えなかったとしても遅かれ早かれ知ることになるでしょうから」
どういう意味なのだろうと疑問が浮かんだ時、アルステッドは何故かヴォルフの方を一瞥した後、再びカグヤの居る方を見た。
「つい先ほど各国のギルド長や私やヴォルフを含めた教育機関の上層部等に緊急招集がかかりました。それから、カリン君にも」
「私……ですか?」
「あぁ。君の他にもギルド職員のファイル君も呼ばれている……と言えば察して頂けるかな?」
アルステッドの狙い通り、今の言葉でカリンは何かを察したらしい。
顔を青褪めさせているところを見ると、彼女にとって良い報せでは無かったようだ。
「まさか御主、第二の目的というのは……」
「恐らくは貴女の推測通り。カリン・ヴィギナーを連れて行くことが此処に来た第二の目的です」
「ま、待て! 何故、カリンを……それにファイルもと言っておったな。御主等は兎も角、カリン達にまで招集がかかる意味が分からん!」
「それだけの事態が起ころうとしているということですよ。万が一でも彼らの力が必要になるかも知れない事態が」
「ば、馬鹿を言え! 御主も分かっておるだろう?! あの力を使うと言うことは、それは即ち、彼女達の……」
「現れたんですよ」
「……何?」
心臓が嫌に高鳴っているのが分かる。
その先を知りたいような、知りたくないような妙な感覚。
「現れたとは、何のことじゃ? 一体、この世界に何が起ころうとしておる?!」
感情を言葉に乗せるカグヤに対し、アルステッドは不自然なほどに冷静だった。
いや、あえて冷静に振る舞っていると言った方が正しいだろう。
よく見ると、彼の表情筋が変に引き攣っている。
「絵本の世界に収まっていれば良かったものを、とうとう現れてしまったんですよ──魔王が」
現実として受け入れるには、あまりにも非現実的で。
嘘として受け入れるには、あまりにも卑劣で。
どう反応すれば良いのか正解を見出せないまま、アルステッドの言葉に誰も返すことが出来なかった。




