216話_架空の善人
あの村に、特別な思い入れがあった訳じゃない。
アランと再会した村という意味では強く記憶に残る場所ではあるが、それだけだ。
アラン以外に特別、親しかった者がいた訳でも無い。その証拠に、村にいたアラン以外の子ども達の顔は思い出せても名前までは思い出せない。
しかも思い出せなかったのは人の名前だけではない。ナチャーロという村の名前もだ。
顔も名前も知らない生徒のお蔭で、あの村がナチャーロという名前であったことを思い出すことが出来たのだ。
確かに彼らの言う通り、ナチャーロという村の名前が出た時は動揺した。
彼らに同情の眼差しを向けられる資格など俺には無い。
だから、正直に話すことにした。
このまま何も言わず、彼らの優しさに甘え続ける自分を想像するだけで吐き気すら覚える。
これ以上、彼らの慈愛を踏み躙ることだけはしたくなかった。
何より、彼らの曇りない瞳に〝故郷を失くした哀れな俺〟という虚像が映るのが許せなかったのだ。
「…………」
(…………)
本音を晒してから、グレイもリュウも沈黙が続いている。
予想通りと言えば予想通りの反応だ。俺だって、突然こんなことを言われたら何と返せば良いか分からない。
だが、今は戸惑うことしか出来なかったとしても時間が経てば自然と感情は生まれる。
戸惑いの後に生まれる感情があるとすれば、それは……失望だ。
顔を上げるのが怖い。失望した彼らの瞳と向き合うのが怖い。
自ら招いたことなのに柄にもなく畏怖の感情に支配されている自分に笑いが込み上げ、昔の話とはいえ俺が魔王だったのかと思うと更に笑えてくる。
「……行こう」
「は?」
何処にと問いかける前に腕を掴まれて無理やり顔を上げさせられる。
「行こう、ナチャーロ村に!」
率直に、此奴は何を言ってるんだろうと思った。
「……俺の話、聞いてたか? まさか言葉が理解できなかったとか……」
「ば、馬鹿にすんなよ?! 普通に理解できたっつーの!」
ムキーッと変わった雄叫びを上げるリュウを横目に、グレイには〝どうしたんだ、此奴は?〟と説明を求めたが〝さぁ?〟と他人事のように軽く流された。
「故郷に思い入れがどうとか、そういう難しい話はとりあえず置いとこうぜ。オレ達が今持ってる情報は人から聞いたものばかりだろ? 実際に自分の目で見て確かめたものじゃないから事実かどうかも分からない。……つーか、オレまだ信じてねぇもん。村が二つも消滅したなんて、そんな御伽話でも中々聞かないような話。本当はライも、そうなんだろ? 大体、お前は他人から得た情報だけで納得できるほど物分かり良くないもんな」
今、軽く馬鹿にされた気がする。しかも本人自体が自覚してないほど無意識に。
だが、今ので先ほどの彼の言葉の真意が少しだけ理解できた。
恐らく彼は、俺がまだ故郷を失ったということに対して半信半疑だと思っているのだ。事実かどうかも分からず曖昧だから感情が定まっていないのだと、そう思っているのだろう。
……お人好しにも程がある。普通なら、ここは事実だろうがそうでなかろうが故郷を失ったことに対して特に何も思わない俺を責めるところだろうに。
要するに此奴は、どうしても俺を〝良い人〟にしたいらしい。
リュウのことは兎も角として、隣で肩を震わせているグレイ。お前だけは絶対に許さん。
「でも行くにしたって、授業はどうする? お前だって講習があるだろ。まさか、サボるつもりか?」
「そ、それは……」
学校事情を突き付けると、リュウの表情は呆気なく崩れた。
「お前の提案は嬉しかったよ。気にならないと言ったら嘘になるが、これはお前の進級を犠牲にしてまでしなきゃいけないことじゃ……」
────ピピピピッ!
言葉を遮る電子音に、全員が音の鳴ったパソコンを見た。
「……メールか?」
タイミングに違和感を覚えながらも立ち上がり、パソコンを開いてメールの内容を確認する。
メールに記されていたのは、本日の授業に関するものだった。
〝本日の授業について〟という題名の時点で嫌な予感はしていた。
それでも、まさかと僅かな望みを持って最後まで本文に目を通したのだ。目を通して……心底、後悔した。
グレイやスカーレットだけじゃない。偶然とはいえ教師達さえも彼の味方をしようというのか。
「何か重要なメール? なぁ、何て書いてあんの?」
(……リュウさん、どうやら天は貴方に味方してくれたみたいですよ)
「え、どういう事?」
グレイの奴、俺の思考を読みやがったな。
読まされるような隙を作る方が悪いんですよ。
……いつか、あの見るからに鬱陶しい前髪を歪みのない芸術的な直線に切り揃えてやる。
自身の心に、そう強く誓った。




