213話_転ずる忠誠と覚悟
昔も今も、グレイのことは信頼している。
今回のことだって彼を疑っているわけじゃない。
それでも納得できないと思うのは、彼が疑惑を向けている相手が昔の仲間だからだ。
ギィルもギルも、キャンディも魔王軍の中でも一癖も二癖もある奴だった。
隙あらば俺に洗脳魔法をかけてこようとするは、嫌っているのか目すら合わせてくれないはで色々と悩みの種にもなったが……決して悪い奴等ではなかった。
俺のことを心底嫌っていただろうに最後まで付いてきてくれた。
普段は嫌がらせばかりだったが、本当に必要な時は力になってくれた。
彼らの気持ちはどうだったかは今更確認しようもないが、少なくとも俺は……彼らのことを気に入っていたし信頼もしていたのだ。
そんな相手に疑心も敵意も向けることが、何となく憚られる。
論理的な理屈ではない。あくまでも俺個人の感情の問題だ。
(俺は、試験直前まで天眼通で王都全体の様子を見ていた。もし彼らが王都内にいたなら、その時点で分かっていた筈だ。だが、彼ららしき者の姿も魔力も何も見つからなかった。仮に俺が天眼通を解除した直後に侵入したとしても、かなり短時間の中で全てを終わらせたことになる)
(だから、彼らには不可能だと? 今回の件に彼らは関係ないと、そう仰りたいのですか? ……いや、違いますね。ただ貴方は、彼らがそんなことをするはずが無いと信じたいだけでしょう。でも、俺の言うことを真っ向から否定したくもない。だから遠回しに可能性を潰していくしかない。誰に対しても優しく平等な貴方のことです。自分で言えないから、俺に〝さっきのは勘違いだった〟と言わせたいんでしょう?)
(………………)
肯定も否定も出来なくて、言葉に詰まる。
グレイの方を見ることも出来なくて、自然と視線が床に向く。
優柔不断だと、我ながら思う。
気を遣ってなのか、その言葉を避けてくれていたようだがグレイからも指摘された。
誰に対しても優しく平等、と。
まだ確たる証拠が何もないからグレイの見解は、あくまで推測に過ぎない。
だが、それは逆を言えば〝真実である可能性もある〟ということ。
彼の言う通りだ。
俺は、自分にとって都合の悪いものを排除しようとしていた。
まだ、そうだと決まったわけじゃないからと言い訳をして考えることすら放棄しようとしていた。
……かつての仲間が、敵になるかも知れない。
その可能性を少しでも無くしたくて、卑怯な手口で彼を丸め込もうとしていた。
(貴方の立場なら、そのような反応になるのも当然です。ですから魔王様、もしもの時は貴方は何もしなくて良い)
それは、歴とした戦力外通告。
彼の仮説が正しかった時、俺が使いものにならないであろうことを見通した上での忠告だ。
(勘違いしないで下さい。俺は、貴方に失望したわけじゃない。寧ろ、改めて安心しましたよ。やはり貴方は昔と変わらない優しい方だ。だから俺は、この世界でも貴方について行くと決めた。昔に比べて出来ることが増えた今の自分なら貴方の役に立てる。まさに今、その時が来たんだと嬉しく思ってるくらいなんです)
まぁ、まだ確定したわけじゃありませんがと言ったグレイの口元には深い笑みが刻まれている。
取り繕った言葉じゃない。本当に、前々から思っていたのだろうと思わせるまでの活気さえ感じる。
(魔王様……昔の俺は精々、貴方の盾くらいにしかなれなかった。でも、今は違う。もし貴方が望むなら、このグレイ・キーラン──喜んで、貴方の盾にも剣にもなりましょう)
床しか見えなかった視界の端に、グレイの身体が映り込む。
少しだけ顔を上げると、まるで王に忠誠を捧げる騎士のように床に片膝をついたグレイの姿が見えた。
狡い、卑怯だ。人のことを言える立場ではないとわかっていながらも、そう思わずにはいられない。
拒むはずが無い。拒めるはずが無い。
親愛なる部下の想いを汲み取らない〝王〟がいるわけが無い。
いるとしたら、汲み取れられない余程の事情があるか或いは、その者が真の王として相応しくない愚者であるかだ。
例え、今はその関係と違っていても、長い年月をかけて身体に刻まれた想いは風化されない。
これだけの覚悟を見せられて、想いを向けられて何も返せなかったら俺は魔王としてどころか人として自分が心から嫌いになりそうだ。
「……グレイ、顔を上げろ」
俺は、念話を解いた。これは念話ではなく、言葉として発するべきだと思ったからだ。
グレイは既に、覚悟を決めている。
かつての仲間と、命を狩る剣を交える覚悟を。
ならば俺も、相応の覚悟を持って応えなければ。
グレイが顔を上げたのを確認して、しっかりと彼の顔を見て言い放つ。
「その時は、俺も戦場に立つ。部下の不始末は、その上に立つ者が責任を負うのが道理だ。それに……この世界に魔王は必要ないからな」
言い切ったことへの安心感と、妙な虚しさに揺れる瞳を隠すように目蓋を閉じた。
脳裏に浮かぶのは彼らが昔、俺に向けていた表情と声。
浮かんだ情景に当時の苦労を思い出したが、思い出すのも嫌だと思うような思い出は一つもなかった。
まだ彼らが敵になると決まったわけじゃない。だから現時点では、あくまでも仮説だ。
この仮説が現実となり、彼らが敵として俺達の前に現れることがあれば……その先の言葉は胸の奥に秘めておく。
今なら、まだ自分に都合の良い夢を見るくらいは許されるだろうから。




