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210.5話_閑話:小さな疑念

 かつての魔王城は、時間という概念から取り残されてしまったかのように何一つ変わっていなかった。

 部屋の間取り、置かれた書物や家具までも含めた全てが、彼らの知る城の姿そのものだ。

 毒の霧(ポイズン・ミスト)に包まれていた城は何年、何十年……いや、もしかしたら何百年もの間、放置され続けていたであろうにも関わらず、壁や床が朽ち果てるどころか棚や机には埃すら確認できない。

 まるでギル達の〝あの日に帰りたい〟という想いを具現化したかのように、城は当時の姿のまま彼らを迎え入れた。

 どれを視界に入れても懐かしい。そう思う度に、思い知らされる。

 懐かしいと思ってしまうほどに、この城で過ごした日々は過去の記憶(もの)になってしまったのだと。


「……何だか、あの頃に戻ったみたいね」


 ロゼッタは自分の声に驚いた。

 自分の口から出た声が、思っていたよりも寂寥(せきりょう)感に満ちたものだったから。

 彼女の言葉に、先を歩いていたギルが足を止める。

 振り返った彼の顔は、不満を露わにしていた。


「何、らしくもなく感傷的になってんだよ」


「感傷的にもなるわよ。アンタだって、少しはなるでしょ?」


「ならねぇよ、そんなもん。テメェと一緒にすんな」


 容赦なくロゼッタを一蹴し、ギルは再び前を向いて歩き始める。


「それに戻ったんじゃねぇ。()()()()()んだよ、俺達は」


 戻ると大して変わらないのではとロゼッタは思ったが、それ以上に〝帰ってきた〟という言葉の方がしっくりくるような気がした。

 本人が認めたくないだけで、本当はギルもロゼッタと変わらないのかも知れない。

 あの日と同じ景色。だけど、あの日とは違う。

 共に過ごしてきた仲間も、心から愛していた魔王もいない。


(……違うわね。だって魔王様は此処にいる。私達と一緒に、帰ってきたんだもの)


 ツンと鼻の奥に鈍い刺激が走る。

 じわじわと溜まってきた涙を拭き取りたかったが、今は両手が塞がっていて出来ない。

 限界まで溜まってしまった涙が、とうとうロゼッタの頬に一筋の線を作り始めた時だった。


「まぁ! 見て、エド。あんなところに泣き虫さんがいるわ」


「本当だね、ウル。あの人、ぼくたちより大人なのに」


 カラカラと小骨をかち合わせたような笑い声。

 一体、何処から……なんて疑問を持つ必要も無かった。

 今、ギル達がいるのは最上階の〝魔王の間〟まで直結する階段が設置された大広間。

 その大広間の壁の一部と支える柱は水槽となっている。

 単なる御洒落ではない。()()()()の為に作られた特別な領域。

 特殊な体質を持つ彼らが、この城に移り住むと決めた時に魔王が作り出したものだった。


「げっ、出たな。サイコパス人魚」


 眉を顰めたギルに、上半身は女身、下半身には魚の尾びれを持つ人魚──ウルは不思議そうに首を傾げる。


「ねぇ、エド。サイコパスって何かしら?」


「きっと人間が勝手に名前をつけた蛸系モンスター(オクトパス)の一種だよ。人間は、何でもかんでも名前をつけたがる変わった生き物だからね」


 ウルの疑問に答えたのは男人の上半身と魚の尾びれを持つもう一人の人魚──エドだ。


(ちげ)ぇわ。サイコパスって言葉があんだよ。意味は自分で辞書でも使って調べやがれ」


「ジショ? エド、また新しい言葉が出てきたわ」


 また同じことの繰り返しになりそうな予感がしたギルは、水槽の中で優雅に泳ぐ2人の人魚を呆然と見つめているロゼッタに声をかけて先を急ごうと歩き出す。


「ねぇ、待って! わたし、あなた達のこと知ってる。ギィギィちゃんとロゼちゃんでしょ?」


「おい、テメェ! その呼び方やめろって何回も言ってんだろうが!!」


 目的地まで進むはずだった足が再び止まった。

 ちなみに〝ロゼちゃん〟は言わずもがな、ロゼッタのこと。

 〝ギィギィちゃん〟はギルとギィルの両者を掛け合わせた、ウルだけが使う特別な愛称である。(ギル達が、そう呼んで良いと許可したことは一度もない)


「つか、やっぱテメェらも記憶持ちかよ」


「テメェら〝も〟ってことはギィギィちゃん達も、わたし達と同じってことね。嬉しいわ。ねぇ、エド?」


「そうだね、ウル。でもライがいたら、もっと嬉しかったな」


「魔王様ならいるわよ、此処に」


 そう言ってロゼッタは抱えているアランをウル達に見せつけるように水槽へと近付く。

 ウルとテラもロゼッタの言う〝魔王様〟を見るために水槽越しの彼女に近付いてアランを凝視する。

 興味深そうに輝いていた瞳が次第に光を失っていく。

 最後には興味を完全に失い、尾びれを揺らしながらロゼッタから離れた。


「ちょ、ちょっと何よ、その反応?! 今は気を失ってて別人に見えるかも知れないけど、彼は正真正銘の……」


「それ、偽物だよ」


 確信を滲ませた言葉に、ロゼッタは思わず声を漏らす。


「な、何言ってるのよ……冗談でも言って良いことと悪いことがあるわよ」


 声が震えているのが自分でも分かる。

 何故こんなにも動揺しているのか、それはロゼッタにも分からなかった。


「冗談? ぼくは本当のことを言っただけだよ。その()は確かに、ライにほんの少しだけ似てるけど中身は全然違う。偽物以外の何者でもないよ」


「可愛そう……ロゼちゃんは魔力を感じられないから、これが偽物かどうかも分からないのね」


 彼らが何を言っているのか分からない。

 分からない、分からない。分かりたくない。

 魔王様が偽物?

 それじゃあ今、私が抱えている〝彼〟は……誰?


「……嘘よ」


 認めない。認めるわけにはいかない。

 彼は、魔王だ。誰が、何と言おうとも。


「嘘じゃないよ。だって、その人からライの魔力なんて全然……」


 その瞬間、分厚い水槽のガラスに亀裂が走ったのを見て、エドは言葉を呑んだ。


「それ以上、言ったら……いくら昔の仲間でも許さないわよ」


 ロゼッタの殺気に、彼らは幼子(おさなご)の如く純真無垢な瞳を曇らせる。

 その瞳は純粋に彼女を哀れんでいる。それが余計にロゼッタに不快感を抱かせた。


「ロゼッタ、そのくらいにしとけ。その水槽を割ったら俺達がどうなるか、分からないわけじゃねぇだろ」


「…………」


 ギルを一瞥した後、彼女の足が水槽から離れると細かな硝子の破片が霧雨のように音も立てずに落ちていく。

 ロゼッタは何も言わず、足早に最上階へと続く階段へと向かう。

 だが、ギルは動かない。視線だけは彼女を追いかけているが、足はその場に縫い付けられたままだ。


「ロゼちゃんと一緒に行かないの?」


「行かねぇ。どうせ辿り着く場所は一緒だ。いつでも追いかけられる。それより俺が気になってんのは、()()()()()()の続きだ」


「さっきの言葉?」


 どの言葉のことだろうとウルとエドが互いの顔を見合わせながら考える仕草を見せる。

 煩わしそうに舌打ちをしたギルは、エドを見た。


「さっきテメェが言いかけてた奴だ。ロゼッタの奴がキレたせいで聞けなかったけどな」


「あぁ、あれか」


 合点がいったとばかりに頷いたエドは、ギルの方へと近付いてきた。

 反射的に、ギルもエドの方へと足を進める。


「魔力感知ができる君ならもう分かってるかも知れないけど、ロゼッタが運んでいた人間からライの魔力を全然感じなかったんだ」


 エドは、こう言っているが、そもそもギルの中には魔力感知をしようという発想すら無かった。

 何故ならギルもまたロゼッタと同じように〝彼〟が魔王であると信じていたからだ。


「……魔力については魔力感知してねぇから知らねぇ。けど、あの人が魔王なのは確かだ。俺達が城を訪れようとした時には晴れなかった霧が、あの人を連れて来たら晴れた。この城に受け入れられた時点で、あの人が魔王であることを証明してるようなもんだろ」


「確かに、あの霧が薄まってきたのが分かった時は、ぼく達も驚いたよ。だって、この世界に来てから霧が晴れるどころか薄まるなんてこと一度も無かったから。だから、ぼく達は慌てて()()()()()()()()んだ。毒のない空気に触れたら、ぼく達はただの水になっちゃうから」


 彼らにとって〝ただの水になる〟は、生き物にとっての〝死〟と同等の意味を持っていた。


「じゃあ、やっぱり、この水は……」


「猛毒だよ。君達が一滴でも飲んじゃうと大変なことになるから気を付けてね」


 エドとウルは、毒の霧(ポイズン・ミスト)の中でも生息できる稀少な存在だった。

 しかも、その存在や鱗、髪などといった身体の一部すらも商人の間で高値で売買されるほどに重宝されている人魚。

 商売をしている者からすれば、彼らは喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。

 それでも今日まで彼らが悠々とした暮らしが出来たのは、この異常なまでの毒耐性のお蔭である。

 しかし、そんな無敵そうな彼らにも弱点はある。

 それは人間が普通に生活できる無毒空間では彼らは生きていけないということだ。

 人間や一般的なモンスターにとっては脅威となる毒の霧(ポイズン・ミスト)は彼らにとっての生命線。

 大部分の生物が酸素を取り込まなければ生きていけないように、彼らも常時、毒を取り込まなければならないのだ。


「ライが、ぼく達の為に作ってくれた新しい住処(すみか)。理由は分からないけど、この城の中はライの魔力で溢れてる。だから、この水槽は残ったままだし、時間が経っても城は朽ち果てない」


 なるほどとギルは素直に納得した。

 それなら、今日まで手入れされていなかったであろう城が埃一つないほど清潔に保たれているのも頷ける。


「……つまりギィギィちゃんも、ロゼちゃんと同じ考えだってことだよね?」


 エドの後ろから顔を出したウルが恐る恐るギルに問いかける。


「あぁ。テメェらの言葉で心変わりするくらいなら、最初からこんなことしてねぇよ」


 自分達が連れてきた彼が魔王じゃないかも知れないなんて今更、指摘されても困る。

 少なくとも彼らは、彼が魔王であるという前提で動いているのだから。

 主犯である彼らが、その前提を疑ってしまったら今までの行動が全て水の泡になってしまう。

 一瞬でも心が揺らいだところで、歩みを止める理由にはならない。

 それを踏まえた上で、先ほどのロゼッタの怒りにはエドの言葉に動揺してしまった自分に喝を入れる意味も含まれていたのだろうとギルは解釈した。

 彼女は、自分達が探し続けた魔王を誰よりも早く見つけ出した第一発見者だ。

 彼女が〝魔王を見つけた〟と言ったから、ギルもキャンディも尽力してきた。

 その彼女の自信が崩壊してしまったら、今日まで自分達がやってきたことは無意味になる。

 況してや王都に入るために宝石類や馬車を盗み、人を騙し、意識を別の方へ向かせるために勇者学校の図書館を爆破。

 どの行動を取っても、情状酌量の余地もない犯罪である。

 例え、その過程で誰の命も奪っていないとしても許されることではない。

 覚悟は最初からあった。魔王さえ戻ってくれれば彼らは良かったのだから。

 だが、その肝心の魔王が本人では無かったら……?


(まさか、ここで前提を覆されそうになるとはな……)


 しかもロゼッタが、あそこまで動揺を見せるとは想定外だった。

 彼女が動揺を見せることさえなければ、こんなモヤモヤとした気持ちを抱えなくて済んだだろうに。


「…………」


 ロゼッタやキャンディには黙っておいた方が良いだろう……少なくとも、()()

 ギルは漸く、ロゼッタを追うべく歩きだした。

 不覚にも芽生えてしまった疑念の若葉を摘み取るために。

[新たな登場人物]


◎エド

・元魔王軍で、この世界では珍しい毒耐性の強い人魚。というか、毒に侵された場所でしか生きられない。

・妹のウルとは生まれた時から、いつも一緒。

・魔王軍に入る前は、弱肉強食の森に生息するモンスター達を牛耳るような存在だった。


◎ウル

・エドの妹で、彼と同じ強い毒耐性を持った人魚。

・唯一の肉親である兄と同じくらい魔王を慕っていた。

・幼いが故に、良くも悪くも言葉を選ばない。

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