表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/551

207.5話_閑話:蟷螂の斧

 紅林は、少し前の自分を殺したくなった。

 実際にその気は無くとも、そう思わずにはいられないほどの後悔が(つた)となって彼の心に蔓延(はびこ)っている。

 そんな心情とは裏腹に、彼の身体は前進を続ける。

 生きる厄災(リヴ・ディザスター)がいる地点まで行くまでの足にとギルドが用意した荷物運搬兼移動用の鹿(ケルスウ)に跨ってしまった時点で、後退も逃亡も不可能。

 定めた場所まで荷物を確実に運ぶよう調教され、一般の鹿(ケルウス)の何倍も早い速度で走り抜けられるよう訓練されてきた鹿(ケルウス)の脚を止める方法など紅林が知っているわけが無い。

 先ほどからガチガチと歯を鳴らしてしまうのは振動で自分の身体が揺れているせいだと必死に言い訳をしながら、紅林は前方の〝怪物〟を見つめる。

 今から自分は一人で、()()と戦わなければならないのか。

 そう考えただけで、吐き気がした。


 少し前の彼は今とは違い、どちらかと言えば希望の光の下に居た。

 実は、紅林は模擬戦闘において初心者とは思えないほどの好成績を収めていた。

 元いた世界で実戦どころか殴り合いの喧嘩すらしたことが無かった彼がこれだけの結果が残せたのは、様々なゲームを通して無意識に培った戦略知識と異世界転生者のみに与えられる〝特権〟のお蔭だ。

 特権とは、一言で言えば能力(スキル)のことである。

 それは誰の目にも見えるような分かり易いものではなく、その身体の持ち主である紅林自身でなければ気付けないほどの小さな変化。

 動体視力や敏捷性といった肉体的なものから危険察知といった第六感(シックスセンス)まで。

 この世界で生きていけるように彼の身体は進化し、また必要な力は能力(スキル)として備わったのだ。

 だから彼は、自分が今まで操作してきたゲームのキャラクターのように敵の攻撃を身軽に躱し、確実に急所を突いて仕留めるという一連の動きを難なく会得できたという訳だ。

 それが彼に少しずつ自信を宿らせる切っ掛けとなった。

 何なら終盤辺りでは、戦闘終了後に某RPGのレベルアップの音楽を脳内再生するほどの余裕も見せていた。

 ……それが今は、どうだろう?

 望まぬ死刑を直前に控えている囚人のような重苦しい表情で〝時〟が来るのを待っている。


 嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 頼む、止まってくれ。これ以上、先に進みたくない。

 

 心は拒んでも、今の彼は手綱を掴んでいる自分の手を離すことも出来ない。

 〝精神的に〟出来ないのでは無い。もっと単純なものだ。

 目的地に辿り着くまでの間、彼は鹿(ケルウス)から降りることが出来ない。つまり〝物理的に〟出来ないのだ。

 逃げ出さないように。心変わりして裏切ることが無いように。

 魔法で強制的に、彼が自分達の思い通りに行動するよう仕向けたのだ。

 魔法に対抗する術が無い紅林は、彼らに従うしかない。

 このまま生きる厄災(リヴ・ディザスター)の所まで行って、彼の持つ魔剣で倒す。


(……どうせ強制させるなら、心も支配してくれれば良かったのに)


 身体だけでなく意識も奪ってくれていたら、知らない内に全て終わっていただろうに。

 この世界の魔法事情など知る由もない紅林にとっては、当然の不満だった。

 不満が解消されぬまま、無理やり戦地へと向かわされているのだからアルステッドに対する不信感が募るのも無理はない。

 相手の心を意図的に操作することが出来る思考(マインド・)操作魔法(コントロール)等の魔法は、日常的な使用が禁止されている。

 禁止されている魔法の使用が明るみに出てしまえば、いくら国の為とはいえ不問にはならない。

 それも考慮した上でアルステッドは、あくまでも合法的な手段で事を進めているのだ。

 例え、不本意だったとしても彼の策を受け入れている時点でヴォルフやギルドの者達も同罪。故に、告げ口という行為は自分で自分の首を絞めるものにしかならない。

 だから誰も彼に手を差し伸べない。真実を教えない。

 ただでさえギルド内でも弱者的な立ち位置である非戦闘員(彼ら)が平穏に暮らしていく為には長い物に巻かれるしか道は無いのだから。


 ◇


 来てしまった。とうとう辿り着いてしまった。

 目の前には生きる厄災(リヴ・ディザスター)

 紅林を此処まで乗せて来た鹿(ケルウス)は彼が降りたのを確認した瞬間、軽快な足音を立てながら来た道を引き返してしまった。

 それを止めることも、追いかけることも、紅林には出来ない。

 彼に許されたのは、抜刀と構えのみ。

 剣の切っ先を生きる厄災(リヴ・ディザスター)へと向けた途端、魔法による拘束が解けたのを感じた。

 魔法の鎖から解放されて身軽になったはずの身体が嫌に重い。

 紅林には、その理由が分かっていたが、あえて分からない振りをした。

 この()()を認めてしまったら、自分はまともに立ってさえいられなくなる。

 普段の半分も出せていないであろう手の力を必死に込めて柄を握る。

 この時から……正しくは、生きる厄災(リヴ・ディザスター)という存在を認識した時から、自分は負けると紅林は確信していた。

 敵の身体が自分の身体の何百倍も大きいからだとか、そんな単純な理由では無い。

 ゴーレム等といった巨大な敵は、模擬決闘で何度か戦ったし、何なら打ち勝った。

 だが、目の前の()()は違う。ゴーレムなど比では無い。

 易々と武器を向けて良い相手じゃない。出来るなら、見なかったことにして早急に去るのが賢明だとさえ思う。

 それだけ、目の前の怪物は異常過ぎた。

 異世界に来たことで研ぎ澄まされた危険察知能力が警報を鳴らし続ける。

 今すぐ逃げろと、囁いてくる。

 自分が敵う相手ではない。それは充分過ぎるほどに本能で悟った。

 では潔く尻尾を巻いて逃げるのかと問われたところで彼が首を縦に振ることは無いだろう。


『ハヤト君、頼んだぞ』


 前もって渡されていた通信用のインカムから聞こえてくるアルステッドの声に、彼は逆らうことが出来ない。

 それでも、僅かばかりの反抗としてアルステッドの言葉に彼が返すことは無かった。

 このくらいの抵抗は許して欲しい。こっちは命を賭けているのだから。


一層(いっそ)、死んでしまった方が楽になれるかも知れない……)


 その瞬間の記憶は曖昧だが、一度は死んでいる身。

 前の世界なら兎も角、この世界に未練がある訳でも……

 ない。

 そう続く筈だった言葉は、ふいに脳裏に浮かんだ複数の人影によって掻き消された。

 ドジでおっちょこちょいだけど、やんわりとした物腰と優しい笑顔が素敵だったガチャール。

 普段は年下とは思えないほどしっかりしてるけど、時折見せる表情や仕草は年相応だったデルタ。

 頼れる兄貴分で、実の兄がいたらこんな感じだったのだろうかと密かに憧れさえ抱いていたファイル。

 結局、彼らには最後の挨拶も御礼も言えないままだ。

 彼らが、彼らだけが、アルステッドの案に最後まで反対してくれていたのに。

 更に、もう一人。紅林には、御礼を言わなければならない人がいた。

 カグヤ・アマクサ……いや、天草(あまくさ) 月姫(かぐや)だ。

 自分と同じ異世界から来た彼女の存在が、どれだけ心の支えになっていたことか。

 彼女が倒れ、自分が彼女が目覚めるまでの()()()()()結界師という称号を受け継ぐことになるという話を聞いた時は、今度は自分が彼女を支えられる存在になれるのだと喜んだほどだ。

 ……それも蓋を開ければ、恩を仇で返すような結果となってしまった訳だが。


(……ごめんなさい)


 短い間でしたが、皆と過ごせた時間だけは本当に楽しかった。


(……ありがとう)


 こんな僕の気持ちに寄り添ってくれて。


 気付いた時には、紅林の足は目標へと向かって駆け出していた。

 さっきよりも身体が軽い。恐怖が少し薄れたのかも知れない。


「うぁああああああああああ゛!!!!」


 僅かに残っていた恐怖を吐き出すかの如く放った叫喚は、人間か獣かの区別もつかないようなものとなって辺りに響き渡る。

 地面を踏み台にして、紅林は生きる厄災(リヴ・ディザスター)の真上まで跳び上がった。

 振り下ろされた剣。迷いのない一直線の筋を描いた剣の切っ先が生きる厄災(リヴ・ディザスター)を捉えた……かのように思われた。


「う、わっ?!」


 予想外の突風に、支えのない紅林の身体が吹っ飛ばされる。

 突風は、生きる厄災(リヴ・ディザスター)羽撃(はばた)きによって起こったものだった。

 紅林は、風の抵抗に耐えるので精一杯。

 飛ばされた彼の身体が向かう先に大きな岩があることに彼が気付いたのは、岩との距離が数十メートルほどしか無かった時だった。

 この勢いで岩にぶつかってしまえば、怪我で済まない。

 骨折……いや、これは骨が砕けてしまうかも知れない。打ちどころが悪ければ最悪、死んでしまうかも。

 悪化していく未来予想図に、紅林は思わず脳内に言葉を零す。

 こんなに呆気なく……?

 自分は、あの怪物に傷一つ付けられないまま死ぬのか?

 そんなの、あんまりじゃないか。


(くそ……っ、くそ、くそ!)


 こんな時に、神頼みはしない。

 神様がいないことは、この世界に来た時点で分かってしまったから。

 だから、神様以外の〝誰か〟に願う。

 もし僕に、この運命を変えるだけの力があるならば……今、その力を解放してほしい。

 もし僕にそんな力は無くて……だけど、こんなにも呆気ない最期を迎えるようなモブでも無いと言うならば……信じさせて欲しい。


 ────この世界の、真の〝主人公(ヒーロー)〟の存在を!


風の絨毯(ウインド・カーペット)!」


 天から声が降ってきた。何処かで聞いたような声だった。

 風の抵抗も来るはずだった衝撃も感じない。

 感じるのは、優しく肌に触れるような心地良い風だけだ。

 この風が自分の身体を浮かせているのだと理解するのに、不思議と時間はかからなかった。


「間に合って良かった。怪我はありませんか?」


 声の主を見ようと顔を上げると、そこに居たのは此方に手を差し伸べる少年。

 紅林は、その少年の名を知っていた。


「君は、確か……ライ君」


 どうして君のような子どもが此処にと、問いかけるまでも無かった。

 ずっと解けなかった難問が、何故今まで解けなかったのかと疑問を抱いてしまうほどに、あっさりと解けてしまったような妙な感覚だ。

 自分が思っていたよりも身近なところに〝求めていたもの〟が落ちていたから、そう思うのかも知れない。


(そうか、彼が……)


 その先を言うのは何となく恐れ多い気がして、胸の奥に仕舞い込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ