199話_試験当日
時間の流れとしては、決して速くは無かった気がする。寧ろ、遅いと感じるくらいだ。
そんな時間も、今日で終わりを迎える。
色々とあった試験前の期間を終えた俺は試験日前日という貴重な最後の1日を呆気なく終え、待ちに待った試験日の朝を迎えた。
現在の時刻、午前7時32分。
試験時刻まで、残り2時間28分。
試験会場である闘技場まで向かうには、まだまだ早過ぎる。
闘技場というのは校内にある建物の一つで、初めての実技試験が行われた場所でもある。
試験日時を知ったのは、つい先ほどのことだ。寮に置かれたパソコンに届いたメールで知った。
そのメールは、もう受信履歴に残されてはいない。
全文を読み終えてメール画面を閉じた瞬間、そのデータが跡形もなく消滅したのだ。
恐らく、特定の人物が読了したことを確認すると自動的に削除されるように設定されていたのだろう。
(ライ、オデカケ?)
休日に制服を着ている俺を不思議に思ったのか、スカーレットが尋ねる。
俺と同じ時間帯に、しっかりと起きてきたスカーレット。
現在進行形で、よだれを垂らして眠っているリュウには是非とも見習ってほしい習慣である。
「あぁ、昼頃には帰れると思う」
(ワカッタ! スカーレット、ルスバン! ガンバル!)
なんと利口なスライムだろう。
撫でてやると嬉しそうに身体を震わせながら、もっと撫でろと触手を腕に絡めてくる。
(昨日まで見た限り、王都内に明らかに異常なもの見当たらなかった。やはり、マナが言っていた〝怪物〟というのは外からやって来る可能性が高いな……そうなると、もう天眼通は解除しても良さそうだな)
試験前の最後の1日は、天眼通による王都の監視に費やした。
可能な範囲を全て見尽くしたが、特別変わった所も気になる要素も無かった。
だからこその判断、だからこその決断。
現段階で、やれることはやったつもりだ。
事前に原因を突きとめられなかったのは非常に残念だが、仕方がない。
それが起こると分かっているのだから、本番を迎えた時、誰よりも冷静に対処すれば良いだけの話だ。
爆発が起こったのならば、誰よりも速く場所を特定して駆けつける。
怪物が現れたのならば、誰よりも速く正体を見破り、倒す。
昔と、何も変わらない。今回は、自分が追われる立場ではなく追いかける立場な分だけ、かなり楽だ。
現在の時刻、8時47分。
試験時刻まで、残り1時間13分。
会場に行くには、まだ早い。
退屈そうにスカーレットが、リュウの頬を触手で突いている。
時折、顔を歪ませているものの、リュウが起きる様子は無い。
俺は、既に朝食も支度も終えている。
後は、時間が刻々と過ぎていくのを眺めて……いや、やはり最後に天眼通で王都を見てみるか。
どうせ何も見つからないことは分かっている。それでも、最後……もう一度だけ。
現在の時刻、9時28分。
試験時刻まで、残り32分。
予想通り、爆発や怪物に繋がりそうなものは見当たらなかった。
ただ一つ……気になったことがあるとすれば、勇者学校に通じる門の前で門番と話をしていた、ローブを身に纏った3人組。
彼らが、少し前にシャモンと一緒に歩いていた者達だということは、すぐに分かった。
彼らの話に門番は訝しげな表情を浮かべながらも、最終的には彼らを門の奥へと通した。
誰にも見せまいとばかりに全員がフード深く被った姿に怪しさは感じるが、市場に行けば、彼らのように顔を隠している奴等は珍しくはない。
フードに隠された彼らの顔は確認せず、魔力の有無だけを確認したが……結果は全員、魔力無し。
魔法を使わなくても爆発を起こせる手段はあるが、彼らの荷物等を見た限り、爆発を起こせそうな物は無かった。
魔法も使えないのに、道具も無いのに、爆発を起こせるはずが無い。
勝手に魔力感知や持ち物を見てしまったことを心の中で謝りながら、俺は今度こそ天眼通を解除した。
現在の時刻、9時46分。
試験時刻まで、残り12分。
向かった闘技場には、既にカリンとアルステッド、そしてアリナとグレイもいた。
他にも、ビィザァーナにビィザァーヌと……見慣れない男女の姿もある。
女性の方は髪色といい目付きといい、どことなくカリンに似ているような気がした。
どうやら、俺が一番最後だったらしい。
慌てて、こちらに微笑むアルステッドの元へ駆け寄る
「すみません、遅くなってしまって……」
「いやいや、問題ないよ。試験開始まで、まだ10分ほどあるからね。それより昨日は、しっかり眠れたかね?」
「はい」
寧ろ、俺よりも貴方の方が眠れてなさそうですね。
アルステッドの顔を見て生まれた言葉を飲み込みながら頷いた。
「そうか。それは良かった。開始時刻まで、ゆっくりと過ごすと良い……と言っても、今は、それも難しいだろう。試験開始まで、彼女と軽く話でもすると良い。少しは、緊張が解れるんじゃないかな?」
「彼女……?」
彼女とは誰のことだという問いかけに、アルステッドは視線で答える。
俺から視線を外した彼の目が、俺の後ろに広がる景色を見つめるかのように僅かに狭まる。
彼の目線を追いかけるように後ろを振り返ると、この辺りでは珍しい茜と白の2つの色が混じり合ったような色の長い髪を靡かせながら、こちらに手を振る女性──マリアの姿が。
「か、母さん……?」
予想もしていなかった展開に、思わず声にも動揺が現れてしまった。
駆け寄ってきたマリアは、悪戯を見事に成功させた子どものような笑みを浮かべながら、口から零れる笑い声を押さえ込むように両手を口元に添えていた。
「フフッ、驚いた? 実は昨日、アルステッドさんがサラの家に訪ねてきて、私に貴方の試験を観に来ないかって誘って下さったの」
驚いたどころの話ではない。基本、魔法学校は生徒や職員といった関係者以外は立ち入り禁止 だ。
当然、生徒の家族も例外では無い。
この状況を説明をしてくれと、アルステッドに視線で訴える。
「飛び級試験は、色々な意味で特例だからね。まぁ、ちょっとしたサプライズだとでも思ってくれ給え」
そんな説明で納得できると思っているのか?
何が、ちょっとした、だ。お蔭で、緊張とは違う意味で心臓が煩くなってしまったではないか。
驚きと動揺で異常なほどに早鐘を打つ鼓動を鎮めるように大きく息を吐いていると、カリン似の女性と目が合う。
それまで無表情だった彼女は薄い笑みを浮かべて会釈した後、俺から視線を逸らした。
(……何だ?)
服装や指輪等の装飾品を見る限り、彼女が平民の育ちでないことは容易に想像できる。
彼女の隣にいる男も同じだ。
着ている服も、手に持っている杖も、時計も何もかも。これでもかとばかりに自身の価値を主張している。
彼らは、この空間には相応しくない。
受け取り方によっては失礼極まりない表現だが、的は得ているように思えた。
長く見つめすぎていたせいか、カリン似の女性の隣にいた男が俺の方へと近づいて来た。
「やぁ、君とは初めましてだね。私は、ウィリアム・ヴィギナー。今日は、娘をよろしく頼むよ」
そう言って手を差し伸べたウィリアムの笑みは初対面の俺でさえも気が抜けそうなほどに穏やかで、まだ碌に話もしたことが無いのに〝彼は心優しい性格に違いない〟と根拠のない確信を植えつけられた。
「初めまして。お……私は、ライ・サナタスと申します」
危うく〝俺〟と言いかけた口を慌てて修正しながら、簡単に自己紹介を済ませる。
ウィリアムは、そんな俺を微笑ましそうに見つめ、ウィリアムの後に続くように俺の元へとやって来た女性に目を向ける。
「私の隣にいる彼女は、妻の……」
「ヘンリー・ヴィギナーと申します」
ウィリアムの声が皆を包み込むような優しい陽だまりとするならば、ヘンリーと名乗った女性の声は温もりすら奪う吹雪のようだ。
そう思うほどに、彼らの声色は対称的だった。
「今日は、どうか彼女の足を引っ張らないよう、お願い致します」
一瞬、何の話をされているのか分からなかった。
彼女の足を引っ張る……?
彼女というのはカリンのことだと分かるが、〝足を引っ張る〟とは……?
「こら、ヘンリー。そんなことを言ってはいけないよ。アルステッドから聞いた話では、彼もカリンに負けないくらい優秀だそうじゃないか」
「それは、あくまでも他人から見た評価でしょう? 私達が実際に彼の実力を見たわけではありません。いくらアルステッド理事長の御言葉とはいえ、私は自分の目で見たものしか信じられませんので」
アルステッド本人が目の前にいるにも関わらず躊躇なく言葉を発するヘンリー。
申し訳なさそうにアルステッドを見つめるウィリアムに対し、彼は〝相変わらずだね〟と笑う。
「ウィリアム君、そろそろ試験の開始時刻だ。観客用の席に案内したいのだが……」
「おっと、そうだったね」
では、と軽く頭を下げたウィリアムとヘンリーはカリンの元へと向かう。
最後に、彼女に一言、激励の言葉でも手向けようとしているのだろう。
「カリン、君の健闘を心から祈っているよ。今日までの君の努力の証を、是非とも僕達に見せてほしい」
「はい。ありがとうございます、お父様」
制服のスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げながらカリンはウィリアムに御礼を述べる。
「………………」
ヘンリーは、カリンを見下ろすだけで何も言わない。その眼差しからは、我が子を想う母親のような温もりは感じられない。
同じ〝母親〟でもマリアやサラとは、また違ったタイプだ。
「ヴィギナー家の名の価値を下げるような結果にだけはならないように」
漸く口を開いたかと思えば、彼女の口から出た言葉は、それだけ。
明らかに、俺の知っている〝激励〟とは違う。今のでは心に圧力がかかってしまっても、おかしくは無い。
「……勿論です、お母様」
カリンが今、どのような表情で言葉を返したのだろう?
その疑問すらも消化できないほどに、カリンは深く顔を俯かせてしまっていた。
「マリアさんも、こちらへ。席まで御案内します」
終始見守っていたアルステッドが、唐突にマリアへと手を差し伸べる。
しかし、マリアは彼の手を取らず、思い出したような表情を浮かべて〝少しだけ時間を頂いても良いですか?〟と問いかけた。
「えぇ、勿論」
マリアの要求を快く了承したアルステッドに、彼女は御礼を述べ……俺を見る。
もしかしたら、彼女も、何か俺に言葉を手向けようとしてくれているのかも知れない。
恥ずかしいような、嬉しいような……そんな複雑な気持ちが、俺の心に渦巻き始めた時だった。
フワリと、そよ風のように心地良い温もりに包まれる。
その温もりの正体が、女性特有の撓やかな身体であると分かるのに、そう時間はかからなかった。
香水とは違う自然な柔らかさを纏う匂いが、いつもより少しだけ早く脈打つ鼓動が、俺に〝彼女〟の存在を教えてくるのだ。
母親に抱擁されたという事実。それに対しては、何の抵抗も無い。
ただ、今、この状況を、とてつもなく恥ずかしいと感じるのは、他人の目があるから。
今、マリアからの抱擁を受けている自分の姿を、アルステッドが、カリンが、グレイが、アリナが……兎に角、この場にいる全員が見ている。
その事実が、俺の羞恥心を駆り立ててしまっているのだ。
だからといって……
(今、この腕を振り払ったら……きっと悲しむだろうな)
背中に回された彼女の腕からは、俺を離すまいとばかりの力強さを感じる。
出来ることなら、彼女が悲しむようなことはしたくない。
だから俺には初めから、皆の視線に耐えながら抱擁を受け入れるという選択肢しか無い。
……いつまで、そうしていただろうか。
ほんの数秒だったような気もするし、数分だった気もする。
羞恥心による精神的苦痛は、時間という概念すらも狂わせてしまったらしい。
離れていく彼女の体温が、香りが、何だか切ない。だが、手を伸ばすわけにもいかず下唇を軽く噛む。
俺から離れたマリアは満足そうな笑みを浮かべていた。この笑顔だけで、先ほどまでの羞恥心すら無かったことに出来る自分が怖い。
そんな自分から逃げるように彼女から視線を外して……後悔した。
ニヤニヤと口元を大袈裟なほどに緩ませたグレイを見つけてしまったのだ。
あの顔は間違いなく、俺にとっては不快なことを考えている時の顔だ。
即座にグレイから視線を逸らした先に捉えたのは、ヘンリーだった。
相変わらずの無表情を向けているかと思いきや……彼女は今にも泣きそうな顔をして俺達を見ていた。
まるで何かに耐えるような、何かを後悔しているような、そんな表情に俺は思わず、彼女を凝視してしまった。
俺の視線に気付いた彼女は、慌てた様子で顔を逸らしてしまった。
「突然、ごめんなさいね。本当は、頑張れとか色々言いたいことはあったの。でも、今の貴方には言葉よりも、こうした方が伝わるんじゃないかと思って……」
マリアの声で我に返り、改めて彼女を見る。
元から怒っているわけでは無いが、そう言って眉を下げた笑みを浮かべられては……俺は、もう何も言えない。
「ありがとう、母さん」
彼女を宥めるように笑みを作ると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、安心したように微笑んだ。
◇
緊張の糸が張り巡らされた闘技場内。その中央に立つのは、俺とカリンのみ。
あれから、程なくして他の者達はアルステッドの案内により観客席へと移動した。
息を吐くことさえも躊躇わせるような緊迫感に、柄にもなく鼓動が速まる。
《これより……カリン・ヴィギナー、ライ・サナタスの飛び級試験を開始する!》
アルステッドの言葉に、俺もカリンも分かり易いほどに身体を強張らせた。
《合格条件は、両者による魔力融合を発動させること。それが出来なければ、両者共に不合格とする》
カリンの方を見ると、彼女もまた俺を見ていた。重なる視線を、俺も彼女も逸らさない。
《カリン君、ライ君、準備は良いかね?》
アルステッドの問いかけに、俺とカリンは同時に頷き、同時に前を見て、同時に口を開く。
「「はい!!」」
俺達の返事に、アルステッドが笑った……ような気がした。
《よろしい、良い返事だ。君達が、この約1週間で得た成果を充分に発揮してくれることを願っているよ。それでは……試験かぃ、」
────ドォォォォォォオオン!!!!
突如、鳴り響いた爆発音は、アルステッドの試験開始の合図をかき消した。
次回は、とうとう……




