198.5話_閑話:手掛かり探し《中》
未来の勇者を育成するための学校があることは、ずっと前から知っていた。
当時は、この世界にも〝勇者〟という目障りなものが実在しているのかと辟易したが、その実力が昔と比べると天と地ほどの差があると理解した瞬間から、彼らは勇者という存在を軽視しはじめていたのだが。
それでも怒りや屈辱を隠せないでいるのは、前世の記憶があるから。
自分達の主である魔王を殺し、その首を持ち帰った重罪人が勇者であるという記憶がある以上、誰にも理解出来ぬであろう彼らの感情が本当の意味で浄化されることは無い。
忘れられたら、どんなに楽だっただろう?
しかし、この世界の創造主は、それすら許さなかった。
自分達が犯してきた罪を今世でも背負えというのか、それとも前世では果たせなかった復讐を果たす機会を与えてくれたのか。
気紛れな神が求める未来など知る由もないが、少なくとも前世の記憶を与えられた張本人達の解釈は後者に近いものだった。
神も分かっているのだ。あんな結末は可笑しい、と。
あの時、本来あるべきだったのは世界を我が物にした魔王によって高らかに宣言される勝利。卑しい欲望を偽善で塗り固めたような奴らに敗北するなど有り得ない。
そのあり得ない結末を迎えてしまったからこそ、神は我々に与えて下さった。
魔王が世界の頂点として君臨するという正しき未来へと修正するための機会を。
だからこそ、彼らは探し続けた。自分達の救世主──魔王を探し続けた。
探して、探して、探し続けて……漸く居場所を突き止めた。
今、自分達がいる王都の何処かに主がいる。
そう意識した途端、獣の本能にも似た純粋な怒りの中で微かながらも喜びが込み上がる。
死してなお誰一人、彼への忠誠の色が僅かでも褪せたことの無い彼らだからこそ抱ける感情。
前世で果たせなかった復讐は魔王と合流してからでも出来る、いや、魔王がいなければ始められない。
「どうする?」
長いような短いような思考の糸を断ち切るようなタイミングで、シャモンが最後の問いかけをする。
ギル達の中では既に、答えは出揃っていた。
シャモンに気付かれないように、フードの奥から互いの視線を交わらせる。同時に小さく頷くと代表としてギルが全員の意思を彼に伝えた。
恐らく予想通りだったであろう返事にシャモンは「お前さん達なら、そう言ってくれると思ったぜ」と嬉しくて堪らないとばかりの笑みを見せた。
◇
口約束だけの相利共生の契約を結んだシャモン達は店の場所を確保した後、最低限の荷物を持って勇者学校へと向かっていた。
向かう最中、話題となったのは〝魔法〟だった。切っ掛けは自分が不在の間に売り物を取られないようにとかけた結界魔法である。
「シャモンさん、魔法が扱えたんですね」
「あぁ……と言っても、簡単な奴だけな。商売に必要そうなものは何とか習得してきたが、それ以外は、からっきし駄目だ。魔法といや、お前さん達も使えるんだろ?」
「はい。今は制御されているので使えませんが」
余計なことしやがってとシャモンの言葉に返しながらギルは心の中で本音を零す。
「ちなみに私は魔法を使えません。使えるのはルシューとキルステンだけです」
「え、」
予想外とばかりに目を丸くしたシャモンは、ロゼッタが抱えている荷物と彼女を交互に見た。
「いやいや、嬢ちゃん……いや、確か、メアリとか言ったか? 冗談としちゃ面白いが、いくら何でもあからさま過ぎるぜ? 大柄の男でさえも情けなくヒーヒー息を乱しながら、やっとこさ引きずるような大量の荷物を軽々と抱えておいて、それは無いだろ」
ケラケラと笑うシャモンに対し、キャンディとギルは、ただ遠くを見つめている。
ちなみにメアリというのは、ロゼッタの偽名である。
(……ま、当然と言えば当然の反応だな)
(何も知らないって幸せで良いよねー)
明らかに人の力だけでは動かせないような物でも、彼女は布団でも抱えるかのように軽々と持ち上げてしまう。
それが魔法によるものでは無く、彼女自身の力なのだということを中々、信じてもらえない。
魔力感知が出来る者なら彼女の力ではないと気付けるが、それが出来ない者はシャモンのように〝そんな馬鹿な〟と軽く笑って済ますのが一般的である。
だから、今更、訂正しようとは思わない。
信じるも信じないも貴方次第と、相手に委ねる。昔から、そう決めているのだ。
「それにしても……これだけの食べ物を毎日、運んでいるんですか?」
「まさか! こんな重労働を毎日してたら、あっという間に肩や腰が使い物にならなくなっちまうだろ。頻度としては月に1、2回程度。この荷物はな、全部、学校の寮で出される食事に使われるんだ」
それは運ぶ量が、これだけ多くなるわけだ。
ロゼッタが抱える数個の大きな木箱。そして自分達が持つ、小さいながらも数の多い布袋とシャモンが引く荷車に積まれた木箱と大きな布袋。
これが当初の予定ならばシャモン1人で運んでいた量だと思うと、それだけで身体の節々が痛くなる。
「それってさぁ、アンタのとこの野菜とか果物が、それだけ美味しいってこと?」
「キルステン」
さっきは見逃してやったが、こういう時くらい口調や振る舞いには気を付けろ。
そんな意を込めて、ギルがキャンディの偽名を呟く。
彼女は〝すみませんでした〟と謝罪の言葉は述べたものの、明らかに気持ちが込められていなかった。
シャモンは笑い声を上げながら、気にするなとギルの肩を遠慮なく叩く。
「俺ぁ、変に畏まられるより嬢ちゃんくらいの馴れ馴れしさが丁度良いぜ。何なら、メアリとルシューも堅苦しい敬語なんて抜いてくれて構わねぇんだぜ? というか、その話し方は素じゃないんだろ? 特に、ルシュー。無礼を承知で言わせてもらうが……お前、普段は結構、口悪いだろ」
「ぶふっ!」
疑う余地もない断定的なシャモンの言葉にキャンディが噴き出し、ギルは驚きで目を見開いた直後に訝しむように目を細めた。
「もし、よろしければ……その結論に至った理由を、お聞きしたいのですが」
「理由って言えるほど大したもんじゃねぇよ。ただ俺は、お前とフォルクスの会話を聞いて、何となく、そう思っただけだ」
「会話……?」
会話というのは、どの会話だ?
そう首を捻ってしまうくらい、ギルには心当たりが無かった。
何故なら、あの時の彼は、自分でも痛々しいと思うほどに振る舞いを完璧に偽っていたという自覚があるから。
「ほら、あの時……フォルクスに入国を認めないって言われた時、お前、一瞬だけ素が出ただろ」
シャモンの言葉で、過去の会話が鮮明に蘇る。
──ルシュー・ガラム、君達の王都への入国は認めない。無論、同伴者の2名についてもだ。君達は、我々と共に来てもらう。
──……は?
──どうか、御理解頂きたい。例え、君達に非は無くとも、こちらが安全性を確認できない限り通すわけにはいかない。況してや、これまで一度も王都を訪ねたことが無い者となれば尚更だ。
(おいおい、待てよ……まさか、あの〝は?〟って一言だけで、俺の素の口調を見抜いたって言うのか?)
混乱するギルが思わずフードを少し上げてシャモンの顔を見るが、その表情を見る限り、彼がハッタリをかましているようには、どうしても見えなかった。
「……それだけ、ですか?」
「あぁ。だから言ったろ? 理由って言えるほど大したもんじゃねぇって。職業柄、色々な奴と話す機会が多いせいか、自然と分かっちまうんだよ。其奴の声色や口調の違和感って奴がよ」
つまりシャモンは自分が今まで積み上げてきた経験という根拠がありそうで無い理由で、ギルの本性を見抜いたことになる。
「……私の声にも、ありましたか? その違和感というものは」
「あったな。こうして普通に会話している分には何も感じねぇが……あの時は、確かにあった。あの遣り取りが無きゃ、俺も全く気付けなかったよ。お前さん、相当、猫をかぶるのが上手いようだな。ま、若い内に、それなりの苦労してりゃ嫌でも、そうなるか」
シャモンという男は、良くも悪くも言葉を飾らない。それが、この短時間でギルが得た彼への印象だった。
悪い人間でないことは充分に分かる。ただ、態とか否かはさて置き、彼の言葉には自ら敵を作れるだけの刺々しさがある。
こればかりは受け取り手によって考え方が異なるだろうが、少なくともギルは、そう感じた。
「おっ、見えてきたぜ。手前にある、あのでっけぇ建物が勇者学校だ。ちなみに奥にある同じくらいのデカさがある建物が魔法学校。どっちも本当に学校かって思うくらい無駄に広くて……」
「あっ!」
シャモンに耳を傾けていたロゼッタが、何かを思い出したような声を上げた。
「どうした? 何か気になるものでもあったか?」
そう言って辺りを見渡したシャモンだが、彼の目には学校の門付近にいる門番と複数の生徒くらいしか確認できなかった。
「あ、いえ……そういえば前に王都に二つの大きな学校があるという話を耳にしていたので」
「そりゃ恐らく……いや、目の前にある学校のことで間違いねぇな。そもそも王都で学校と呼べる建物は、あの二つしか無ぇ」
シャモンは特に疑う様子もなく、前方に見える学校の説明を再開する。
「……何か、あったか?」
ロゼッタとさり気なく距離を詰めたギルが、彼女に問いかける。
数秒ほど沈黙の後、ロゼッタが近くにいる者ならば辛うじて聞き取れる程度の小声で呟いた。
「勇者学校の生徒が着てる服。あの人が身に付けていたものと同じだわ」
「っ、……本当か?!」
一瞬の動揺を隠してギルが問いかけると、ロゼッタのフードが僅かに上下した。
「間違いないわ。でも、どうして勇者が集う学校なんかに……」
この時、ギルの頭の中で二つの可能性が生まれていた。
一つは、彼が自分を殺した勇者に復讐するために、態と生徒として学校に潜り込んだ可能性。
もう一つは、そもそも彼には前世の記憶がなく、純粋に勇者を目指している可能性。
前者が事実だとしたら、ロゼッタと再会した時点で何かある筈だ。
ロゼッタから聞いた話では、彼は自分を見ても何かを思い出す様子も、懐かしむ様子も無かったらしい……つまり、これは……
予想外の事態に、ギルは思考を詰まらせる。
彼らは、魔王も自分達と同様に記憶があることを前提に話を進めてきた。
いや、それ以前にロゼッタから話を聞いた時点で疑うべきだった。
それを有ろうことか彼女が出会ったという魔王が本人か否かという事項に捉われて、最も確認すべきことを見落としてしまっていた。いくら自分達が会いに行ったところで、肝心の相手が何も憶えていなければ意味が無い。
「あの人が、どんな服着てようが今更どうでも良いじゃん。それからさぁ、アンタも面倒臭そうなことばっか考えるの止めたら? 鬱陶しいんだけど」
ギル達の数歩前を行くキャンディが独り言でも言うかのように言葉を放つ。
幸いにも彼女の声は、彼女の更に先を行きながら未だに説明に夢中になっているシャモンの耳には届いていない。
「……顔も見てねぇくせに俺の考えてることが分かんのかよ」
「分かる分かる、丸分かり。気持ち悪いお面被ってようがフードで顔を隠してようが、そんな辛気臭い雰囲気を垂れ流してたら、嫌でも分かるっつの」
(……そういやギィルの時も仮面で顔を隠してたのに表情を当ててやがったな)
自分が内側に閉じこもっていた時の記憶を呼び起こす。
ギルとギィルは人格としては別物だが、互いが得た情報や記憶を共有することが出来るのだ。
「仮に、ワタシ達のことを憶えてなかったとして、何か問題あるわけ? 憶えてないなら思い出させれば良いだけの話でしょ。ま、2人には無理だろうけど」
「……お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか。いや、それ以前に俺は、お前には〝何も話さなくて良い〟と言った筈なんだがな」
「えぇー、今そこ突っ込む? てか、人の心配してる余裕あるわけ? 他に策が無い以上、ワタシがやるしか無いじゃん。実際、ワタシにしか出来ないことなんだから。……まぁ、魔法を封じられたのは予想外だったけど、それでワタシの魔法自体が解けたわけじゃ無さそうだし。こんな拘束、壊そうと思えば、すぐにでも壊せるしね」
キャンディは一度もギル達の方を振り返らないまま、淡々と言葉を紡いでいく。
「それにワタシに万が一のことがあったとしても、あの人さえ戻ってくれば全部解決でしょ。だから、頑張れる。だから、我慢できる。痛いのは大っ嫌いだけど、あの人の為なら、どんな無茶だって出来る。アンタ達だって同じでしょ?」
キャンディの問いかけに誰も答えない、答えられない。
それでも、キャンディは静かに笑みを浮かべる。
まるで、彼らの答えなど既に分かっているかのように。
突然、前を行っていたシャモンの足が止まる。
「お前さん達は此処で待っててくれ。門にいる奴に話してくるからよ」
門の方に駆けて行くシャモンを見送りながら、そのまま三人は視線を上へ上へと上げていく。
彼らの目には空高く聳える勇者学校が映し出される……が、キャンディの瞳に映る学校と、その周辺の風景だけが全体的に赤みを帯びていた。
「いよいよね」
「あぁ」
「ま、何とかなるでしょ」
今、自分の顔がフードに隠れていて良かったとキャンディは心から思った。
(……今のワタシを見たら、絶対二人とも騒ぐだろうしね)
見上げた際に、彼女の目から頬へと伝う一筋の涙。
普段なら透明であるはずのそれは、赤い糸のような跡を残して地面に落ちた。




