196話_それは、まるで白昼夢のような
カリンが部屋を去ってからの約一時間。
俺は、天眼通が得てきた情報を一つ一つ確認していた。
まだ途中だが、現時点で怪しい箇所は見当たらない。
勿論、人通りの少ない裏路地等、またフードや仮面で顔を隠している不審人物に見られなくもない服装の者達も監視対象として含めた上での結果。
本心としては俺自身が常時、確認した方が監視の精密さが上がるのだが、如何せん、俺にも自分の時間というものがある。
先ほどのカリンのような予定には無い来客が、また来る可能性も否定出来ない以上、物も言えぬ監視状態になるわけにはいかない。
今だって、部屋に俺とスカーレットしか居ないからこそ、こうして各映像を空間上に広げての確認が出来ているのだ。
(まぁ、何か異常があれば分かるから、基本的には放置しても問題は無いだろうが……)
少なくとも下手に動けない今は、こうして王都内の様子を少し離れた場所から観察することしか出来ない。
「ん?」
王都の門付近の映像が映り込んだ時、見覚えのある顔を捉えた。
(シャモンさん、少し前に検問を抜けたのか……珍しいな。この時間滞なら、既に市場に居る筈だが……)
楽しそうに話をするシャモンの隣には、フードを深く被って顔を隠した誰かがいた。
大きな馬車を引いているところを見ると、この人物も商人なのだろう。
天眼通が異常を示さなかったということは、このような身なりをしているが、このフードを被った人物は普通の商人ということになる。
そもそも、フードで顔を隠しているからという理由だけでは、この者が王都内の爆発や怪物の襲撃に関与しているという証拠にはならない。
そもそも、顔を隠している者は彼以外にも存在する。
つまり、この者は余程の恥ずかしがり屋、若しくは人見知りか。または、顔を見せられない何かしらの理由があるのだろう。
(……いや、それはそれで商人としてやっていけるのか?)
俺だったら、いくら商人と名乗っているとはいえ、顔も見えない相手から物を買う気にはなれない。
……まぁ、大きな声では言えないような物を商品として売買している者は世界に少なからず存在しているわけだし、もしかしたら、その類かも知れない。
何にせよ、深く追求すると切りが無い。
一旦、全ての映像を消して、倒れ込むようにベッドに横になる。
正直……今世では楽が出来ると思っていた。
魔王という立場から学生という平凡な立場になったのだ、少しくらい期待したって許されるだろう。
家族、幼馴染み、友人、先輩。
家族との団欒、充実した学校生活。
この世界で初めて得られたものもあれば、昔の時点で得られていたものもある。
前世に不満があるわけでは無い。勿論、今世にも。
ただ、何というか……
(俺が勝手にやってることとはいえ、明らかに学生の本分の範疇を超えてるんだよな……)
学生の本分は、端的に言えば勉強だ。
間違っても、王都全体を天眼通で見守ることでは無い。
それならば今すぐ止めて、学生は学生らしく、目の前の試験にのみ集中すれば良いのでは?
顔も名前も知らない心の住人からの尤もな問いかけに頷きはするものの、納得は出来ない。
昔からの、悪い癖のようなものだ。
癖というものは、そう簡単には直せない。直せたら、苦労しない。
もしかすると、グレイが前に言っていたのは、この事だったのかも知れない。
────今も昔も優し過ぎるんですよ、貴方は。
放っておけば良い案件も進んで関わっていくことを、彼は優しさと捉えたのかも知れないと、今なら思う。
だとしたら、彼は盛大な勘違いをしている。
俺が、あれこれ関わろうとするのは所謂、贖罪だ。
前の世界では出来なかったことを、この世界で実行しているだけ。ただ、それだけ。
多くの者達に迷惑をかけてしまった分、一人でも多くの者の支えになりたい。
そんな自己満足にも似た想いの上で成り立つ行為だ。
優しさなんて綺麗なものでは無い。寧ろ、その行動自体を罪滅ぼしとして処理しようとする汚らわしく卑しい感情だ。
今も昔も優しいんじゃない……今も昔も醜いんだ、俺は。
(……もう止めよう。昔のことなど、考えるだけ無駄だ)
これまでの思考を振り払うように壁の方に寝返りを打つ。
暫く横になっていたせいか、思考が途切れた瞬間に眠気が襲ってきた。
目蓋が異様に重い。
……目を開けるのも辛くなってきた。
まだ外は明るいが、偶には昼寝も悪くないだろう。
「ライ、ネルノ?」
俺の意識は、一足先に夢と現の境界を彷徨っているらしい。
スカーレットの万能念話が、これまでの中で最も鮮明に聞こえる。
まるで……俺の耳元で直接、囁いているのではないかと思うくらい、近くに……
「ライ、ネル。スカーレット、ネル」
後ろの方でギシリと音を立てて軋むベッドのスプリング。
新たに加わった重みでベッドの一部が歪んだ感触が、俺にも伝わってきた。
……スカーレットって、こんなに重かったか?
これまで、どんなに乱暴に飛び乗っても、ここまでベッドが沈むことは無かったはずだが……
「スカーレット……お前、何か重い物でも持って……」
後ろにいるであろうスカーレットを見ようと振り返った瞬間、俺は声も出せないほどに驚駭した。
眠気を吹き飛ばすほどの衝撃を与えた張本人は、不思議そうに首を傾げて俺を見つめている。
(まさか、そんな……)
あり得ない。
彼女が……あの時、救うことが出来なかった彼女が、こんな所にいるわけが無い。
……ならば、これは夢か?
反射的に頬を抓ると、ジンワリとした鈍い痛みが、目の前の光景は現実のものだと告げる。
「………………ミーナ、なのか?」
痛む頬に手を添えながら問いかけるが、目の前の少女は問いかけには答えず、肩を震わせて控えめにクスクスと笑うだけ。
震える肩と一緒に、彼女の薄緑色の髪も揺れ動いた。




