195話_決意表明
スカーレットとカリンが打ち解けてから数分後。
彼女は本来の目的を思い出したようで、いつもの自信溢れる引き締まった顔を俺へと向けた。
「私が態々、此処に来たのは……最後に、アンタの意思を確認したかったから」
「俺の、意思……?」
頷いたカリンは椅子から立ち上がり、俺の前に来た。
「今更、アンタを信頼してないわけじゃ無いのよ。……ただ、私が安心したいだけ」
俺を見つめる彼女の瞳が、心の内に隠している不安を表すかのように僅かに揺れている。
もしかしたら、彼女は不安なのかも知れない。
魔力融合を実際に発動させたのは、たった一度だけ。
後は、魔力を温存させるためと言われ、特別なことは何もしていない。だからこそ、不安だったのだろう。
本当に、このまま当日を迎えても良いのか?
本当は、まだやるべき事があるのではないか?
彼女のことだ。大方、このようなことを考えながら、日々を過ごしていたに違いない。
魔力融合を無事に発動させた後の、グレイの言葉を思い出す。
── 魔力融合の良い所は、一度成功させてしまえば〝術者の精神に大きな乱れが生じる〟或いは〝術者のどちらかが魔法を発動できない状況になった〟等の理由でも無い限り、失敗を恐れる必要が無いことです。
精神の大きな乱れも、魔力融合の発動成功率に影響を及ぼす要因の一つだと、彼は言っていた。
今のカリンの精神は、決して安定しているとは言えない。
だが、俺の言葉には彼女の精神に安寧をもたらすだけの力があるとは思えない。
俺だけに限らず、今は誰が何と言おうが、彼女の不安を完全に取り除くことは出来ないだろう。
不安を生み出している根源である飛び級試験が終わらない限り、誰の言葉も、彼女の心の奥までは届かない。
そうだと自覚していても彼女が俺を訪ねたのは、自身の不安を共有するためだろう。
不安というものの量自体を減らせないのならば、自分と同じ立場である仲間と分け合って負担を減らせば良い。
要は、互いに理解し合っている者同士のみに許された感情の共有だ。
光栄なことに、俺は彼女にとっての、それだけの立ち位置として受け入れてもらえたらしい。
……なんて大袈裟に言ったが、単純に俺が試験の相棒だったからだろう。
友人であるカツェを頼ろうにも、彼女には試験のことは話せない。
だから、唯一、本音を明かせる俺の所に来た。そうに決まっている。
彼女が、俺に気を許したわけでは無いのだ。
(……って、これじゃ、まるで拗ねてるみたいじゃないか)
彼女が自分に気を許していようがいまいが、試験の合否には関係ない。
今日に至るまで、試験以外のことにも意識を向けていたから、思考が疲れているだけ。
そう結論付けて、無理やり思考を中断する。
「俺の意志は、試験を受けると決めた日から変わらない。目指すは、合格のみ。それ以外の結末は眼中に無い」
「私達がやってきたのは、たった一度の発動だけよ? 少しは不安とか無いわけ?」
「無いな」
即答した俺を、カリンが意外そうに見つめる。
「学内で優秀とされる俺達が組むんだ。ある意味、敵なしだろ」
飛び級試験を受けられるという時点で、学内の成績が上位であることは確定している。
勿論、成績が全てというわけでは無いが、少しでも自信を付ける要因くらいにはなるだろう。
「……随分と、自分の実力に自信があるのね」
「当然だ。それだけの事は、してきたからな」
それこそ、いつ殺されるかも分からない平穏とは無縁な世界にいたのだ。
魔王になる前も後も、生きるために、そして野望を叶えるために力を付け、仲間を増やし、最終的には世界が全ての悪の根源だと認めるほどにまで成り上がった。
この程度の試験で一々、不安がっていたら魔王という肩書きは背負えない。
まぁ、あくまで過去の話で、今は、そのつもりは全く無いのだが……
「お前は違うのか? 今日まで、何の努力もしてこなかった、と。これまでも今回のことも全て、〝偶然〟そうなった結果だったのか?」
「っ、違う!!」
感情のままに、カリンが叫ぶ。
彼女の大声に驚いたスカーレットは、いつの間にか回収していた花冠を持ったまま、隠れるように俺の後ろに避難した。
そんなスカーレットの姿を見ていた彼女は、我に返ったような表情をした後、小さく謝罪の言葉を呟いた。
「……自分で言うのも何だけど、私は小さい頃から、この学校に入るために沢山、勉強してきた。皆が遊んでる時も、美味しそうなお菓子を食べている時も、私だけは厳しい家庭教師に何度も泣かされながら魔法の練習も熟してきた。この学校に入るために費やした時間も努力も、誰にも負けない! 勿論、時間や労力をかけた分の実力は、しっかり身に付いてる! それは、今日まで得てきた結果が証明してくれているわ」
彼女は、自分の変化に気付いているのだろうか?
……いや、きっと気付いていないだろう。
鏡も無しに、自分で自分の顔は見られないのだから。
「〝偶然〟なんて言葉では片付けさせない。これは〝必然〟よ! そうなって当たり前なの。それは、この先の事だって同じ。だって私は今日まで、そう自信を持って言えるだけの努力を、してきたんだから!」
そこまで言い放った彼女は、俺の顔を見るなりポカンと気の抜けた表情を見せた。
「ちょっと何、笑ってるのよ。馬鹿にしてんの?」
彼女からの指摘を受けて、さり気なく口元を隠す。
「いや、カリンが俺の思っていた通りの奴だったと分かって安心しただけだ」
「な、何よ、それ」
この短時間で急激に変貌を遂げた彼女を微笑ましい気持ちで見つめていたせいで勘違いをされてしまったが今更、誤解を解こうとは思わない。
今の彼女には、その必要は無いからだ。
自信溢れる表情を彼女の見ていると、入学したばかりの時に行ったクラス分け召喚で見た彼女のことを思い出す。
彼女の周囲にいた生徒達が彼女に称賛の言葉を飛ばす中でも、彼女は毅然とした態度で肯定するだけだった。
初めは謙虚も知らない自惚れ屋なのかと思っていたが……あれは彼女が長い時間と苦労を積み上げて構築した自信があったからこその態度だっただと今なら思う。
確実に自分は竜を召喚する。
優秀な者達が配属される竜クラスになると分かっていたからこその振る舞いだったのだと、改めて気付かされた。
「……まぁ、良いわ。アンタが意味分からないことばかり言うのは今に始まったことじゃないし」
ちょっと待て。それは〝まぁ、良いわ〟で流しておけない。
意味分からないことばかり言うって、何だ?
それに、今に始まったことじゃないって……いつから彼女は俺に対して、そのような印象を抱いていたんだ?
「はぁ……何か、アンタと話してたら悩むのも馬鹿らしくなってきたわ」
何故か疲労を負った表情と足取りで窓の方へと向かうカリン。
その表情を浮かべたいのは、俺の方だ。
だが、まぁ……今回は、その曇りのない顔に免じて、何も言わないでおいてやろう。
「俺に言いたかったことは、それだけか?」
窓枠に手を置いた彼女に声をかけると、雲一つない爽やかな青空のような笑みを浮かべた彼女と目が合った。
「もう良いわ。本当は他にもあったんだけど……アンタへの不満とか文句とか」
「全部、悪口じゃないか」
軽く返すと、彼女は笑った。無邪気に遊ぶ子どものように。
彼女の笑みに釣られて、俺も口元を緩ませた。
「それじゃ、また。明後日、遅刻したら許さないわよ」
「するわけないだろ……誰にも見つからないように気をつけて帰れよ」
「瞬間移動するから問題無いわよ」
〝それじゃあ〟と軽く手を振った瞬間、彼女の姿が目の前から消えた。
たった今まで目の前に居たはずなのに、彼女が消えた瞬間、これまでのことは夢だったのではないかと錯覚してしまう。
それでも彼女が部屋に居たことは事実で、その事実は俺しか知らない。
たった、それだけのことが何故か……ほんの少しだけ特別なことに思えた。
次回は、ギル達〝元魔王軍〟視点の閑話になります。




