188話_分ける幸福
横から突き刺さる鬱陶しい視線に対抗するように、目を細めて睨む。
ニヤニヤと締まりのない表情が、また何とも言えない苛立ちを芽生えさせる。
あれから学校の門を潜り、寮へと辿り着いた俺達は今、自室に続く扉の前に佇んでいる。
「さてさて……ライさんが、どうやってスカーレットを説得するのか、楽しみですねぇ」
愉快で仕方がないとばかりにニシシと歯を見せながら笑うリュウに一発くらい容赦ない一撃を喰らわせても誰も責めはしないだろう。
だが、まぁ……世の中、〝先に手を出した方が負け〟なんて言葉もあるから、それは脳内の想像で納めておく。
ガチャリと扉を開けると、俺のベッドの上で飛び跳ねていて遊んでいたらしいスカーレットの動きがピタリと止まった。
あ、これは、やばい。
危険を察知した瞬間、スカーレットが俺の方に向かって触手を伸ばしてきた。
ここまでの流れは、ある意味、予想通りだ。
だから避けることもしないし、リュウを盾にもしない。
「待て」
右手を前に出しながら一声かけると、スカーレットの触手は、俺の手と数センチほどの間隔まで迫った辺りで止まる。
俺の後ろでリュウが〝おっ?〟と、意外そうに声を漏らした。
「実は、お前に土産があるんだ」
(……ミアゲ?)
……読み方としては間違ってないから、訂正はしないでおこう。
スルスルと触手を引いていくスカーレットに一先ず安堵を覚えながら、部屋へと足を踏み入れる。
期待しているのかソワソワと身体を震わせながら、スカーレットは土産を待っている。
「…………」
想像を作り出すことに集中するために、目を閉じる。
思い出せ、あの見た目を、風味を、食感を。
アランの家で食べた料理を思い出しながら、パチンと指を鳴らした。
◇
ポカンと口を開けたまま目の前の光景を見つめるリュウに、今度は俺の口元が三日月を描く。
スカーレットは目の前の料理に夢中で、リュウや俺を気にかける様子は全く無い。
(オイシイ! オイシイ!! オイシイ!!!!)
複数の触手を使いながら料理を運び、口らしき場所に放り投げる。
この動作を一定の間隔で繰り返す度に、スカーレットが料理の感想を述べる。
「あの時、お前が余裕そうに構えてた理由が、やっと分かった」
餌付け(しかも好物)じゃ、抵抗しようが無いもんな。
そう呟いた彼の将来が心配になった。
(まぁ、コイツの場合、もう手遅れかも知れないが)
個人的には、それだけ扱いやす…… 自分に素直なのは良いことだと思う。
天邪鬼な奴や、勝手に自己解決して突っ走るような奴に比べたら、まだ可愛い方だ。
思わず長くなりそうな愚痴を吐いてしまったが、スカーレットに服の裾を引っ張られたことで一旦、愚痴が止まる。
(モウ、ナイ? モット、タベタイ!)
どうやら、こちらの想像以上に、お気に召してもらえたようだ。
パチンと指を鳴らして再び料理を目の前に出せば、待ってましたとばかりにスカーレットは料理に喰らいついた。
もう俺への怒りは完全に無くなっていることだろう。
心の中で、この場にいないアランに感謝を告げながらスカーレットの食事の様子を見守る。
「いいなぁ……」
隣から、ボソリと呟かれた言葉。
まさかと思い視線を横に向けると、期待を込めたようなリュウの瞳とかち合った。
ここは先手必勝。
相手が願望を口にする前に、言葉を紡ぐ。
「お前の分は出さないからな」
「え」
当たり前だろ。
寧ろ、何故、お前の分もあると思った?
そう付け加えれば、彼の表情に絶望が現れた。
……そんなに、か? そんなに食べたかったのか?
確かに、アランの料理は美味かった。美味かったが、そんな世界が終わりを迎えると知ったような表情を浮かべるのは些か大袈裟が過ぎる。
俺の心変わりは初めから期待していなかったようで、リュウは説得の矛先をスカーレットへと変えた。
「なぁ、スカーレット。一口だけで良いからオレにも頂戴」
(イヤ!)
案の定、スカーレットは拒否の姿勢を見せている。
触手で掴んだ料理を、さり気なくリュウから遠ざけている。
というか、スライムに物を強請るな。
これまで聞いたことないぞ、妖精がスライムに物を強請るという事例は。
「そんなこと言わずにさぁ……一口だけで良いんだよ、一口」
(ダメ!)
詰め寄られても嫌なものは嫌と、はっきり言える。
簡単そうで、中々、実行できることじゃない。
意外な形でスカーレットの成長を目の当たりにした俺は、その勇姿を噛みしめるように何度も頷いた。
「……ライって、スカーレットが関わると結構、ポンコツになるよな」
「何か、言ったか?」
「イエ、ナニモ……」
聞こえなかった振りをしてやっただけ有り難いと思え。
リュウは不満そうな表情を浮かべながらもスカーレットへの説得は断念したらしく、拗ねたような乱暴な仕草で自分のベッドに横になった。
(全く……)
何だかんだ言って結局、コイツの思い通りにしてしまうんだよなと自分の甘さに呆れながら指を鳴らそうとして……止めた。
直前になって、気が変わったわけでは無い。ただ、そうする必要が無くなっただけ。
不貞腐れてしまったリュウは俺達に背を向けてしまったいるため、少しずつ近付いているスカーレットの存在に気付かない。
(リュ! リュ!)
惜しい名前の間違いにも、もう慣れた。
何だよと気怠げに答えながら寝返ったリュウの表情は、スカーレットを見た瞬間に変わった。
スカーレットの上に乗った料理。
料理は、ススッと身体から伸びた触手に乗ってリュウの方へと移動する。
まるで、その料理をリュウに差し出すかのように。
「もしかして……オレに、くれるの?」
ベッドを軋ませて上体を起こしたリュウが、料理とスカーレットを交互に見ながら問いかける。
スカーレットからの答えは無い。
代わりに、早く喰えと言わんばかりに料理をリュウの口元へ突きつけた。
「んぶ、っ?!」
リュウの口の中へと無理やり運ばれた料理。
もぐもぐと数回の咀嚼を繰り返した後、リュウは見開いた目を輝かせた。
「え、何これ、美味っ?! いや、それは見た目で充分、伝わってたけどね! 美味っ!!」
うっとりと目を細めて口の中に広がる風味を堪能している。
良かったなとリュウに言葉を零すと、リュウの目の前にあったはずの料理の一部が、何故か俺の目の前にあった。
(ライ、タベル! オイシイ、タベル!)
「いや、俺は良いよ。アランの家で食べたから」
残りは2人で食べろと言っても、差し出された料理は俺の前から消えない。
(……元々は俺が、お前にって出した物だったんだけどな)
呆れながらも小さく口を開けた瞬間、待ってましたとばかりに料理が飛び込んできた。
一瞬、喉の奥まで突っ込まれ咳き込んだが、何とか変な飲み込み方をせずに済んだ。
あぁ、そうだ。この味だ。
当然だが、俺の魔法は、しっかりと俺の記憶を具現化してくれていた。
(ライ、オイシイ?)
スカーレットの問いかけに頷く。
この料理を食べた時の記憶を呼び起こすように、口の中で踊る料理を噛み締めた。




