182話_一難去って、また一難
「これは……?!」
アルステッドが驚きの言葉を漏らすが、俺はファイルと彼を包む光だけに意識を向ける。
これまで彼を見る余裕も無かったため気付けなかったが、彼の身体を覆う鱗や岩のような物体が前見た時よりも多くなっているように感じた。
(カリンの時と同じだ)
彼もまた、人ではない何かの姿へと変わろうとしている。
いや……これは、彼の中で眠っている何かが目覚めようとしている。
何となく、後者の表現の方が相応しいような気がした。
──その通りです。
思考を読み取っていたらしいソフィアが、俺の言葉を肯定する。
──彼の中には、地竜が封印されています。……前に、アザミという鬼人から聞いた竜の腰掛けの話を憶えていますか?
勿論、憶えている。
憶えてはいるが……何故、アザミや話した内容のことを彼女が知っている?
──あの時、私達も話を聞いていましたので。
俺が認識していなかっただけで、あの時から既に彼らの意識は俺の中に存在していたらしい。
それならそうと、もっと早く教えてくれれば良かったものを。
──教えたくても教えられなかったのです。その時はまだ貴方と私達の身体が互いに意思疎通が図れるほど馴染んでいませんでしたから。ですから私達は、その日が来るまで、ずっと待ち続けていたのです。
(それは、どういう……)
意味だと問いかける前に、ファイルを包む光が消える。
まだ所々、鱗や岩のような肌は見受けられるものの光に包まれる前の彼と比較すれば、その箇所は確実に激減していた。
「ぅ……」
光が消えた瞬間、ファイルから小さな呻き声が聞こえた。
重く閉じられていた目が、ゆっくりと開かれる。
開かれた目は何かに反応するように、すぐに閉じられた。
「眩し……っ」
久しい光に、彼の目が驚いてしまったようだ。
声は寝起きのように少し掠れているが、痛みを訴えるような仕草は無い。
彼の身に起きていた事態は、無事に終息を迎えたらしい。
「ファイルさん!」
デルタがファイルの元へと駆け寄り、彼の上に思いきり飛び込んだ。
「ぐふぉ?!」
目覚めたばかりの彼が、予告なしの衝撃を受け止められるわけが無い。
耐え難い衝撃に、彼の口からは人のものとは思えない声が漏れた。
「良かった……っ、本当に良かったです、ファイルさん……私、このまま貴方が目覚めなかったらと思うと、怖くて……っ」
デルタ、気持ちは分かるが、とりあえずファイルさんから降りた方が良い。
折角、目覚めた彼が、再び深い眠りにつきそうだ。
「と、とりあえず、この状況を説明してもらっても良いっすかね?」
ある意味、眠っていた時よりも満身創痍の窮地に至っているファイルが、弱々しくも問いかけた。
彼に、これまでの経緯を説明したのは、ガチャールだった。
ファイルから降りたデルタは、ハヤトが宥めてくれたお蔭で、落ち着きを取り戻した。
今は、お茶を飲みながらガチャールの話に耳を傾け、時折、彼女の言葉に同意するように頷いている。
ガチャールからの話によって、俺達もファイルが倒れた時の状況を把握できた。
突然、身体の痛みを訴え始めた彼は倒れ、意識を失う瞬間まで、のた打ち回っていたらしい。
彼女から話を聞き終えたファイルは、嫌なことを思い出したかのような渋い顔をして頭を抱えていた。
「あぁ、何となく思い出したっす。あの時、頭が割れるような痛みが走って、その痛みが次第に全身に広がって……何かもう息をするのも辛くなって、その後は何も思い出せないっす」
「その先の記憶が無いのは恐らく、息苦しさを感じた直後に君が気を失ってしまったからだろうね」
俺も、アルステッドと同じ意見だった。
「……何か、まだ頭がフワフワするっす」
上半身を起こし話が出来るまで回復したとはいえ、まだ本調子では無さそうだ。
「痛みは?」
「痛みは無いっすね、今のところ。まぁ、変化はそれだけじゃ無さそうっすけど」
そう言って彼は、自分の腕を見る。
彼は体調だけではなく、自身の身体の変化にまで気付いていたらしい。
「ライ君が、オレっちを助けてくれたんすよね? ありがとっす、助かりやした」
「いえ……」
正確には、彼を助けたのは俺ではなく、ルイーズとソフィアだ。
実質、俺は何もしていないが、それを伝えれば色々と面倒なことになりそうなので黙っておこう。
「この御恩は、必ず何らかの形でお返ししやすんで」
そんな風に畏まられると、拭いきれないほどの罪悪感に襲われる。
ルイーズとソフィアの存在は正直、彼らに話しても問題は無いと思っている。
ただ、いざ話そうと思っても何から話していけば良いのか分からないのだ。
それに、彼らの件に関しては自分の中でも未だに分からないことの方が多い。
自分が理解できていないのに他人にも理解を得られるはずが無い。
だから、言わない。だから、言えない。
「……アルステッド理事長」
お茶を飲み終え、一息ついたデルタがアルステッドの名を呼ぶ。
彼も、待っていたとばかりに彼女に視線を向ける。
「先ほどの件ですが……お返事を頂いても、よろしいでしょうか?」
先ほどの件と聞いて、アルステッドが僅かに眉を顰めた。
「彼は貴方が仰っていた擬竜化を止めるだけに留まらず、進行を後退させるだけの力まで示しました。先ほどの私の提案を受け入れて頂けるだけの条件は揃ったはずです」
デルタがアルステッドに提示した提案。
それは、俺に真実とやらを伝えるというもの。
(その真実に竜の腰掛けが関わっていることは、まず間違いない)
ソフィアの言葉もあって、それは確定している。
「そうだね。デルタ君の言う通り、彼は私が求めていた以上の結果を出してくれた。彼にも伝えるべきだろう。彼らが抱えている現実も、彼らを縛っているものの存在も全て」
アルステッドの言葉に、デルタの口角が僅かに上がる。
「それじゃあ……!」
「但し、真実を伝える前に……彼に確認しなければならない事がある」
アルステッドの視線が俺に向けられる。
それは優しいものとは言い難い。寧ろ、警戒されているような……そんな敵意にも近い感情が込められている気がする。
「ライ君。私は君のことを信頼しているし魔法使いとしては尊敬の念すら抱いている。だがね、これだけは、どうしてもはっきりさせておかなければならない。彼らの為に、そして君の為にも」
敵に囲まれたような緊迫感。
逃げる術を全て封じ込まれたような焦燥感。
彼は、何を言おうとしている?
彼は……俺に、何を聞こうとしている?
ドクンと、心臓が嫌な音を立てる。
「君は何故、その力を持っている? ……いや、違うな。君は、その力をどうやって手に入れた?」
アルステッドによって突きつけられた言葉の槍が、俺の心の核を捕らえた。




