177.5話_閑話:消えた結界《上》
1度に纏めると長くなりそうなので、次回まで続く形にしました。
※アルステッド視点で進みます。
※今回、主人公は名前しか登場しません。
アルステッドは、最後の望みをかけた魔法を発動させようとしていた。
これ以上の魔法は自分の生命維持さえも危うくなる。それを承知の上で、彼は魔法を使おうとしているのだ。
未だ目覚めないカグヤの傍らでは、長時間の魔力融合の発動により一気に凄まじい量の魔力を消費してしまったビィザァーナとビィザァーヌが力尽きたように倒れている。
魔力融合は、普通の魔法よりも魔力の消費が激しい。
魔力の無い者は数分もしない内に失神してしまうが、彼女達は数日間も休むことなく魔力融合を発動し続けたのだ。
アルステッドが何度休めと命令しても、2人は聞く耳を持たなかった。そんな彼女達の尽力があったからこそ、カグヤの意識は、まだ〝この世界〟に留まれていると言っても過言ではない。
王都を包む結界が、まだ辛うじて生きているのが何よりの証拠だ。
カグヤの代わりに数多の結界魔法使い達が王都に結界を張り続けていたが、いくら彼女の弟子とはいえ、彼女の力には遠く及ばない。彼女が目覚めるよりも先に、限界を迎えてしまった。
つまり今の王都は、いつ消えてもおかしくないカグヤの結界だけで守られている。
(それでも彼らは、よくやってくれた。彼らの力添えが無ければ、今日まで彼女の治療に専念することは出来なかった)
意識のない彼女達の手に、魔力供給用の薬が入った小瓶を握らせる。
「ここまで、よく頑張ってくれた。後は私に任せて、ゆっくり休み給え。まだまだ若い優秀な人材を失うわけにはいかないからね」
彼女達の前だからと発言を零したものの、この状況を打破するだけの妙案を彼は一つも持っていない。
今更、簡易な魔法を使ったところで結果は目に見えている。
有数の魔導師達の力を以ってしても成し遂げられなかったカグヤの完全な復活を自分一人で実現できるなど微塵も思っていない。
今の彼に出来ることと言えば精々、残り少ない魔力でリスクの高い賭けに出るか、無難な方法で時間を稼いで誰かに後を託すかの二択だ。
前者は、魔法扱う者達の中でも逸出した力を持っているとされているアルステッドでさえも成功例どころか、そもそも試したことすら無い〝異質な魔法〟。
それは通称、〝死者蘇生〟と呼ばれている魔法。
言葉通り、神でさえも不可能と言われている死者の蘇生を実現させることが出来る……と、過去にアルステッドが読んだ文献には書かれていた。
成功例どころか魔法の発動自体、目にしたことが無いのだから、実際の効果は知らない。
いくら、これまで今世に蔓延る理屈を遥かに超える数々の現象を実現させてきた魔法とはいえ、神の領域とも呼べる場所まで踏み超えられるほどの万能性は無い。
魔法にだって出来ないことは存在する。
その代表的な例として挙げられていたものの一つが、死者の蘇生だった。
魔法で物は作れても、生命を生成することは出来ない。出来てはいけない。
それが可能となってしまえば、この世の生物は生命の尊さを忘れて何も感じなくなってしまうから。
だからこそ、神も死んだ人間を生き返らせることはしない。そんな神が避けている死者の蘇生を、神によって作られた我々に出来るわけが無い。
(……と、学生の頃は教わったのだがね)
だが、いざ自分が誰かを教える立場になり、その為に何年もかけて勉学に励み続けた結果……彼は見つけてしまった。
そんな神の意向に逆らう禁断の魔法を。
まるで人の目を避けるように、理事長室に保管されていた古びた書物。
その書物を発見した時、彼は見てはいけないものを見てしまったような罪悪感にも酷似した感情に襲われた。
次第に、彼の胸に沸き立つ数々の疑問。
この書物は、いつから存在している物なのか?
この書物の著者は?
歴代の理事長達は全員、この書物の存在を知っていたのか?
だが、それらの疑問を解く術は既に失われた。
彼が書物を見つけた数日後、先代の理事を務めていた男が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。
誰かに相談しようにも、この魔法を安易に他人の耳に触れさせてはいけないような気がして、信頼の置けるヴォルフやビィザァーナ達にも黙っていた。
一通り書物に目を通したとはいえ、アルステッド自身も死者蘇生のことを深く理解しているわけでは無い。
彼が知識として持っているのは、魔法の存在と発動時の詠唱のみ。その魔法を確実に成功させるための条件等といった書物には記載されていなかったものに関しては何も知らない。
過去の成功例も、失敗した時の代償さえも、彼は何も分かっていないのだ。
そのような状態での発動など、正に〝博打〟以外の何者でも無い。況してや、今の彼の魔力は枯渇の一歩手前。初めから成功への期待など無いに等しかった。
それでも彼は、この魔法を選択肢から外さない。
僅かでも可能性があるならば、それで少しでも良い方向に進めるならば……そう考えられる余地がある分、まだ託せる選択だ。
少なくとも、このまま黙って時間が過ぎるのを待つよりは全然良い。
(……さて、どうする?)
正直、アルステッドは後者の選択を取るのも悪くないと思っている。
ここで焦って、不完全な魔法を発動させたことで今よりも悪い事態を招く可能性が全く無いとは言い切れない。
ここは自分を犠牲にすることで僅かでも時間を稼ぎ、後は優秀な者達に託した方が良いのでは?
幸いにも、この学校には若きながらも並外れた力を持った者達がいる。
ビィザァーナ、ビィザァーヌを筆頭とした教師陣。そして生徒会のアリナ・フェルムンドに本来ならば初等部に所属する年齢でありながら時に先輩を時に教師さえも凌駕する知識と実力を披露するグレイ・キーラン。
更に去年の入学者であり、長い歴史のあるヴィギナー家の血を引くカリン・ヴィギナーと……
(……ライ・サナタス)
特別な血を受け継いでいるわけでも、名のある貴族の家で育てられたわけでも無い。
彼が育った村も極々平凡で特別変わったところは無い。
魔法学校に入学するまでは独学で魔法の知識と技術を学び、今ではギルドに長年所属している者達からも一目置かれる存在になっている。
彼を特別視しているのはアルステッドも同じ。初対面から感じていた彼から漂う雰囲気や魔力への違和感。
何より、彼がライに驚愕したのは勇者と魔法使いが合同で行った実技試験の時だった。
今だからこそ言えるが、あの試験は試験を受けるという選択を取っていた時点で、その者達の合格は決まっていたのだ。
つまりアランとライ、ヒューマとリュウは結果がどうあれ合格は既に決まっていた。
あくまで、あの試験は勇者と魔法使いとの間に協力関係を生み出すためのもの。
あの試験を切っ掛けに、少しでも歴史が生んでしまった両者の溝が埋まればとヴォルフと共に提案したものだった。
……とはいえ、それだけで合格を提示するのは試験としては如何なものかと思い、共闘によるジャイ・アントの討伐課題を急遽追加したのだ。
要するに、勝敗は試験の合否には全く関係無かった。
彼らが協力し、共に戦うことに意味があるのだから。
寧ろ、アルステッドとしては彼らに苦戦を強いらせるために、巨大化しているとはいえ基本は大人しい蟻を態と凶暴化させ、ライ達を襲わせた。
まだまだ戦闘の経験が浅い彼らでは、そう簡単に突破口を開ける筈が無い。それでも目の前に大きな壁が立ちはだかった時、彼らは、どのような行動に出るのだろうとアルステッドは密かに期待していた。
期待して……その期待は、良い意味で裏切られた。
彼らは勇者や魔法使いという立場だけではなく、合格を取り合う競争相手とも手を取り合うことを選んだのだ。
それだけの心の余裕が、あの時の彼らにはあったという事だ。その大きな基盤となったのは、ライの存在だとアルステッドは考えている。
彼の言葉や魔法によるサポートが彼らを支えていたことは終始、試験を見守っていたアルステッドは、よく知っている。
本当に完璧だった。人を安心させる言葉も、突き放す言葉も彼は熟知している。
己の立場を、感情を把握しているからこその選択。
そして何より目を引いたのは、詠唱無しでの魔法。ジャイ・アントを止めるだけの強固な結界を、彼は詠唱も無しに完璧に作り上げた。
魔導師であっても詠唱無しに魔法を発動させられる者は、決して多くはない。
況してや彼のような若い年代ともなれば多く見積もっても片手で数えられる程度だ。
魔法使いとしての基礎を、しっかりと踏めているからこそ為せる業。魔法を扱う中で何が最も重要なのか……彼は既に、その答えを知っている。
行動の面においても実力の面においても際立っていた彼ならば。
本来はカリンに託すはずだった新入生代表に選ばれた証である召喚魔法用の魔法陣を思わず託してしまう程に異質な〝何か〟を放っていた彼ならば。
(もしかしたら、私には見つけられなかった新たな選択を見つけ出してくれるかも知れない)
そんな期待さえ、彼は抱かせてくれる。
彼を含め、こんなにも力強く、そして心から託せる存在がいるのだ。
もう何も迷うことは無い。
(私は、私の出来ることをしよう。なぁに……私の代わりなど、いくらでもいる)
アルステッドは横たわるカグヤの傍らに腰を下ろし、深く息を吸い込んだ。
その時だった。
ほんの一瞬。
僅かでも瞬きするタイミングがズレていたら見落としていたであろう一瞬、カグヤの左手がピクリと動いた。




