176.5話_閑話:彼女が王都に来た理由
寝室へと向かったマリアを迎えたのは、まだ起きていたらしいサラだった。
先に寝ると言っておきながら、彼女はマリアが来るのを待っていたのだ。
「あら、思っていたよりも早かったわね。まぁ、ライ君みたいに賢くて冷静な子なら、貴女の話を意外とすんなり受け入れるんじゃないかとは……」
「言えなかった」
マリアの一言で、サラの顔から笑みが消える。
「そう、なの……ごめんなさい。やっぱり私も、あの時に貴方と……」
「違う……違うのよ、サラ」
ベッドの端に腰を下ろす彼女からは、顔を俯かせたマリアの表情が分からない。
「怖くて言えなかったわけじゃ無いのよ。あの子、数日後に大事な試験を控えてるらしいの。そんな大事な時に言ったら、あの子……きっと試験どころじゃ無くなっちゃう」
「マリア……」
ゆっくりとサラのいるベッドまで足を進めたマリアは、彼女の隣に腰を下ろした。
ギシリとベッドが軋んだ音が、薄暗い静かな部屋に響く。
「……なんて、ただの口実。正直言うと、良かったってホッとしてる自分がいるの。結局……私は何の覚悟も出来てなかったって事よね」
真実を打ち明ける覚悟も、ライに嫌われる覚悟も、何も。
本当なら、ライが試験の話をする前に自分から話を切り出すべきだった。
彼の言葉を遮ってでも言うべきだったのに。
全て〝彼〟を言い訳にしてしまった。
「ごめんなさいね。折角、サラやレオンさんにも協力してもらったのに」
「気にしなくて良いのよ。私も、あの人も貴女の力になりたくてやった事なんだから。それに貴女もライも王都にいる限り、またチャンスは来るわよ」
「……えぇ、そうね」
マリアが突然、遥々、王都まで来た理由。
それは、ライに〝ある真実〟を伝えるため。
〝自分は本当の母親では無い〟と、ライに打ち明けるためだった。
このまま、ずっと黙っていても良いのではないかと、サラに言われた時期もあった。
彼が何かの切っ掛けで真実に辿り着き、最後の確認としてマリアに尋ねるようなことでも無い限り、彼が本当の意味で、この事実を知ることは無い。
態々、彼を傷付けてまで真実を伝える必要は無いのでは……と。
しかしマリアは、どうしても自分の口から真実を告げたかった。
何処で出会い、どのような過程を経て今に至ったのか……彼には、その全てを知る権利がある。
彼が何も知らないのを良いことに自分達だけの判断で、その権利を勝手に奪うのは間違っている。
それが彼女の主張だった、のだが……いざ、犯人を目の前にすると、寒くもないのに唇が震える。
前もって考えておいた言葉も最早、意味を持たない。
真実を伝えた結果、彼と自分の間に修復できないほどに深い心の溝が出来たら、どうしよう。
もう自分とは会いたくない、話したくないと言われたら、どうしよう。
……いや、きっと心優しい彼のことだから、例え嫌悪感を抱いたとしても、ここまで、あからさまな態度は見せないだろう。
代わりに、すぐには気付かないほど、さり気なく自分と距離を置き始めたりとか……
(……それはそれで辛いわね)
サラの言う通り、ずっと黙っているという選択を取れていたら、こんな悩みを抱えることは無かっただろう。
何なら、マリア自身も最初は、ライがもう少し大人になってから打ち明けようと思っていた。
そう思っていたのだが……ライの成長を待つよりも先にマリアの心が折れてしまった。
日が経てば経つほど、彼に隠し事をしていることへの罪悪感が、重荷となって彼女の背中に伸し掛かる。
それに耐え続けられるほど、彼女の心は強くは無かった。
結局は、自分のため。
限界を感じたからこそ、全てを吐いて楽になりたいと思ってしまったのだ。
彼の優しい瞳に、自分が映るたびに。
彼の笑顔が、自分に向けられるたびに。
彼に〝母さん〟と呼ばれるたびに。
胸が締め付けられて、苦しい。
こんな自分に〝ライの母親〟を名乗る資格なんて、あるのだろうか?
何度、自分に問いかけても当然、答えとなる返事は返ってこない。
その答えは誰かに聞いて得られるものでは無い。
現実と、そして自分の心と向き合って初めて得られるものなのだと、顔も名前も知らない誰かに諭されているような気さえした。
何も言わなくなったマリアの肩に、そっとサラの手が置かれる。
「マリア、今の貴女は卑屈になり過ぎてるだけなのよ。私やアラン、そしてレオンも、これまで貴女がライ君を心から大事に想ってきたことを知ってる。貴女は、もっと自分がライ君に向けている愛情に自信を持ちなさい。今日は……きっと、私達と同じように貴女をずっと見守っている神様が、心を落ち着かせるための時間を与えてくれたのよ。無理に、今日話す必要は無い。自分が言えると思った時に言えば良いって」
実際に神様がそう言ったわけでは無いのに、彼女が言うと、本当にそうなんじゃないかと思えるから不思議だ。
昔から、彼女は変わらない。
マリアが落ち込む度に、励ましてくれた。
ライと会った時も、ライの母親になろうと決めた時も彼女の存在があったからこそ、マリアは自分の道を進むことが出来た。
彼女にだって、悩みはある筈なのに。
他人は愚か、マリアやレオンでも力になれないほどの大きな悩みを抱えている筈なのに、彼女が弱音を吐いた姿は一度も見たことが無かった。
それが、自分にはない無い彼女の強さ。
マリアがサラに尊敬の意を示す要因の一つだ。だが、同時に……そんな彼女の強さが怖いと感じる時がある。
付き合いの長いマリアでさえ、サラが無意識に発する〝限界の合図〟の存在に、すぐには気付くことが出来ない。
それだけ彼女は、自分の本心を隠すのが上手なのだ。
だからこそ、怖い。
もし、自分が彼女の限界に気付いた時には既に、何もかもが手遅れだったとしたら。
その結果、彼女を失ってしまうような事になれば……
(……これは、今、考えることじゃ無かったわね)
確定していない未来を気にかけてばかりでは身が持たない。
口を閉ざし続けたマリアは顔を上げて、両手を頬の位置まで上げると……
────パンッ!!
その両手で、両頬を思いきり叩いた。
どうやら思ったよりも強く叩き過ぎたらしい。ジンジンと、両頬に鈍い痛みが走る。
(でも……お蔭で、少しスッキリした)
サラはマリアの突然の行動に、声には出せなかった驚きを、その分、表情で表していた。
そんな彼女の表情が面白くて、マリアはクスクスと身体を揺らして笑う。
「驚かせて、ごめんなさい。でも、もう大丈夫。……ありがとう、サラ」
マリアが安心させるように、ゆっくりと微笑みを作る。
サラは〝本当に大丈夫?〟と表情で問いかけたが、彼女の笑みを信じることにしたらしく、少しだけ呆れたような笑みを浮かべた。
「私は、何もしてないわよ。さて、この話は、そろそろ終わりにしましょう! 私達も、明日は早く起きて予定を立てるんだから! 明日は、久し振りに時間を忘れて遊び尽くすわよ〜」
倒れ込むように身体を預けた弾みで、ベッドが大きく揺れる。
「ささ、マリアも早く寝ちゃいなさい!」
「えぇ、そうね。そうさせてもらうわ」
立ち上がったマリアは、隣のベッドまで歩き、先ほどのサラの真似をするように倒れ込む。
ギシギシと音を立てながら揺れ動くベッドの振動で、マリアの身体も上下に揺れる。
「あら、このベッド。良い感じに弾むわね」
「でしょ? 元々はアランが使ってたものなんだけど……結構広いし、寝心地も良いから捨てられないのよねぇ。あ、それより明日のことなんだけど……実は……」
サラの話に耳を傾けながら、楽しそうに笑うマリア。
そんな彼女を見ながら、サラは心の声を漏らす。
(〝ありがとう、サラ〟か……寧ろ、御礼を言わなきゃいけないのは私の方なのに)
世界が眠りについた頃、彼女達の部屋からは時折、控えめな笑い声が聞こえていた。
次回は、通常通り主人公視点に戻ります。




