176話_巨人は踏んだ花の存在に気付けない
マリア達との話に花を咲かせていると、両隣の椅子に座っていたマナとマヤが同時に俺の服の裾を弱々しく掴んだ。
「ライ……」
「……眠い」
彼女達の呟きに向かいに座るマリア達と顔を見合わせた後、壁時計を見た。
「あら、やだ! もう、こんな時間?! 楽しい時間って、あっという間に過ぎるから嫌ね。仕事の時も、これくらい早く時間が過ぎれば良いのに……」
「まぁまぁ……でも、その仕事は明日まで休みなんでしょ? 今は仕事のことは忘れて、素敵な明日が過ごせるように、もっと楽しいことを考えましょうよ」
「楽しいこと……そうね! 流石は、マリア。私を元気にする天才ね!」
不満そうに頬を膨らませていたサラがマリアの言葉で、すぐに笑顔になった。
マリアの包容力の賜物なのか、サラが単純なだけなのか……
「ライ、抱っこ」
「私も、抱っこ」
両手を上げて待つ双子を同時に抱き上げる。
これまでの経験上、こういう時は素直に彼女の要望に応えておくのが賢明。
下手に反抗的な態度を見せれば眠気に思考を溶かされている彼女達が拗ねてしまい、後々、面倒なことになる。
「……しっかり捕まってろよ」
前に抱えた時よりも、明らかに重くなった……なんて言ったら彼女達は、どんな顔をするだろう?
そんなことを考えながら、2人が俺の首に手を回したのを確認し、マリア達に〝2人を寝室まで連れて行く〟と伝えた。
「あ、それなら寝室まで私が案内するわ。場所、分からないでしょ?」
サラに指摘されて、初めて気付いた。
まだ、この家全体の構造を把握できていなかった事を。
「マナちゃんとマヤちゃんが寝る部屋は、こっちよ。マリア、少しだけ待っててね。それから……そこの2人も、双子ちゃんを見習って早く寝なさいよ。アランは学校、貴方は明日も早いんでしょ?」
「う、うん。分かったよ、母さん」
引き戸の近くにいたアランは言葉で、レオンは頷きでサラの言葉に反応した。
「うんうん、素直でよろしい! ……おやすみなさい」
少し前まで大笑いしていたとは思えないほどに、落ち着いた静かな声。
彼女といいマリアといい、この世界の母親は皆、こんなにも優しい声を出せるのか。
(いや……恐らく、昔の世界も、そうだったんだろうな)
俺が、壊そうとした世界。
その世界にも当然、家族は存在した。
俺の手足となって働いてくれていた奴らの中にも、家族がいた。
何も特別なことは無い。
ただ、昔の俺が気にしなかっただけ。それだけの話。
(全てを見ていたようで……実際は、何も見えていなかったんだな、俺は)
「ライ君、こっちよ」
振り返ったサラの言葉で思考を振り切り、少しずつ下へと落ち始めたマナとマヤを抱き直して彼女の背中を追った。
部屋まで続く廊下を歩いていると、サラが声をかけてきた。
「ねぇ、ライ君。貴方はマリアのこと、好き?」
ここは〝勿論、好きです〟と即答するべきところなのだろうが、羞恥が勝って言葉を詰まらせた。
チラリと後ろを振り返ったサラは、俺の顔を見た瞬間、安心したように笑った。
「態々、答えを聞かなくても……今の貴方の顔を見れば、一目瞭然ね」
彼女が、何を言っているのか理解できなかった。
それも当然だ。俺の顔を見ただけで今の問いの答えが分かるなど、あり得ない。
……いや、あり得ないと断定は出来ないかも知れない。
そもそも俺は今、どんな顔をして彼女の前にいるのかも分かっていないのだから。
「マリアも貴方と同じくらい……いえ、それ以上に貴方のことが大好きなの。勿論、マナちゃんとマヤちゃんもね」
愛おしむような優しい目が、俺の腕の中でスースーと穏やかな寝息を立てているマヤとマナに向けられる。
「あ、そうそう。ライ君、明日は早いのかしら?」
「いえ、出なければならない授業はありますが、それは午後からなので……」
この時、マリア達に飛び級試験のことを話していなかったことを思い出した。
後で、一応、報告しておくか。身内なら伝えても問題は無さそうだしな。
「そう……それなら今日は、少し夜更かししても大丈夫そうね」
何の話だと首を傾げたが、丁度、マナ達が寝る部屋へと辿り着いてしまったため、疑問は解消されなかった。
◇
「それじゃ、私も寝るけど……マリアは、どうする?」
もう少しマリアと話をするのかと思っていただけに、サラの発言は意外だった。
「そうね……もう少しだけ起きてようかしら。良いかしら?」
「勿論、良いわよ。……何かあったら、すぐに呼びなさいよ」
マリアに向けられた最後の言葉に、違和感を覚える。
まるで、これから何か起こるような……そして、彼女には、その〝何か〟が既に分かっているように感じられた。
「えぇ、分かったわ。ありがとう、サラ」
マリアが微笑むと、サラも微笑む。
幼い頃から見てきた光景だ。
彼女達のような関係を〝親友〟と言うのだろう。
サラが去って、俺とマリアだけがリビングに留まる。
「ねぇ、ライ……少し、話さない?」
彼女からの誘い。断る理由は無かった。
彼女が座っている位置の向かい側にある椅子に腰掛けると、彼女は安心したように表情を緩める。
俺は早速、試験について彼女に話すことにした。
「母さん、実は俺、数日後に試験を受ける予定なんだ」
まさか、ここで試験の話題を出すなど思いもしなかっただろう。
予想外とばかりに、彼女は目を見開いた。
「……そう。それは、どういう試験なの?」
飛び級試験の内容等の詳細は伏せ、大まかな情報だけを彼女に伝えた。
「ある特定の人達だけが受けられる試験を、ライは受けるのね……凄いことじゃない! 頑張ってね、応援してるわ」
そう言って微笑んだ彼女は、何かを思い出したように突然、眉を下げた。
「あぁ、でも……それなら申し訳ないことしちゃったわね。試験前の貴重な時間を削ってしまって……」
「母さん達は試験のことを知らなかったんだから、何も悪くない。それに試験の準備は、もう整っているから大丈夫だ」
出来るだけ心配かけないように淡々と返すと、まだ不安そうな影は残るものの、少しだけ彼女の顔から笑みが戻ってきた。
「……そう? まぁ、でも貴方が大丈夫だって言うなら、きっと大丈夫ね。貴方は私よりも、しっかりしてるから」
しっかりしてる……のか?
彼女の言葉に納得いかず、眉を顰めるていると彼女がフフッと笑い始めた。
「貴方なら大丈夫。本当は応援に行きたいところだけど、多分、無理よね……でも、暫くは王都にいるつもりだし、サラの家から応援なら出来そうね」
マリアが応援してくれる。
それだけで、まだ確証も無いのに、試験に対する期待が込み上げてくる。
「そうだ! 試験が終わったら、また皆で集まって、お祝いしましょう!」
「お祝いって……そういうのは普通、試験に受かってからするものじゃないか?」
「あら、良いじゃない。〝試験、お疲れ様〟って意味も込めれば」
まだ結果が出てない。というか、試験を受けてもいないのに気が早すぎる。
とりあえず、試験が終わって結果が分かったら報告に行くと伝えたのを最後に、俺とマリアは各々の寝室へと向かった。
(……途中から、元気が無かったような気がする)
ベッドに入って考えたのは、2人で話していた時のマリアの様子。
本人は最後まで隠していたかったようなので何も触れなかったが、明らかに落ち込んでいた。
俺が試験の話を始めた時から、ずっとだ。
まるで、何かの機会を逃したかのような……
(…………まぁ、今更、気にしても仕方ないか)
明日には彼女は、いつも通りに戻っている。
それが分かっているからこそ、深く気にかける必要は無いだろうと判断した。
目を閉じた俺は、明日を迎えるために意識を深い闇へと落とした。
次回は、マリア視点の閑話となります。




