175.5話_閑話:父と子の内緒話
予定より1時間以上遅れてしまいましたが、何とか無事に投稿することが出来ました……
次回は、通常通り主人公視点に戻ります。
ぎこちない沈黙が、夜風となって肌を突き刺す。
アランは、レオンの顔を見ることが出来なかった。
今、彼は怒っていると、分かってしまったからだ。
理由は分からないが、確かに彼は怒っている。
静かな怒りが込められた瞳が、自分に向けられている。
だから、アランは顔を上げない。レオンと目を合わせない。
謝ろうにも怒られている理由が分からないから、下手に謝罪の言葉も言えない。
(ど、どうして父さんは怒ってるんだ……? 僕、自分でも気付かない内に、父さんが不快に思うような事しちゃった?!)
アランは、真面目で素直な性格だ。
両親から〝するな〟と言われたことは、絶対にしない。
学校でも時折、ヒューマから決して褒められはしない遊びに誘われたりもするが、全て断っている。
それらは全て、過去に両親から駄目だと言われているものに該当していたから。
そんな彼だからこそ幼い頃から、両親に怒られる機会は、ほとんど無かった。
それだけ、彼が両親の望むままに、すくすくと育っていた証だ。
逆に言えば、彼は誰かに怒られるということに対しての耐性が低い。
故に、少しでも圧のある言葉を向けられてしまえば、彼は俯いて口を閉ざすことしか出来ない。
赤の他人から叱られるなら、まだ良い。その時だけ耐えれば良いのだから。
しかし、相手が自分の親となると話は変わってくる。
しかも、よりにもよって、あまり感情を表に出さない父だ。
一瞬という短い時間。
その短い時間で、自分は父の怒りに触れてしまうような事をしてしまったというのか?
あまりにも短過ぎて、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと憶測を立てることすら難しい。
部屋の明かりが漏れる引き戸へとアランが目をやると、自分の母や家族と楽しそうに話しているライの姿を捉えた。
困ったような笑顔、呆れ顔、少しだけ不機嫌そうな照れ顔に、面食らった表情まで。
自分の母ほど大袈裟では無いが、彼の顔に様々な表情が現れる。
村にいた頃の彼は、あんなにもコロコロと表情を変えていただろうか?
無感情だったわけでは無い。だが、全ての表情が、どこかたどたどしかったように思える。
まるで、何かを警戒していたかのように。
そんな彼が今では、あんなにも自然に表情を変えられている。
人間を警戒していた野生動物が、やっと人間に心を開いたような、そんな大きな進歩。
自分が置かれている状況も忘れて、アランはライの成長に小さな感動を覚えていた。
「……アラン、聞いているのか?」
下から聞こえた父の声に、ギギギッと錆の入った玩具のような音を立てながら首を動かす。
視線を向けた先では、父が片膝立ちになって自分を見上げているではないか。
「と、父さん? ……何してるの?」
「何って……何度呼んでも反応が無いから寝てるんじゃないかと思って、お前の顔を見ようとしてただけだ」
「寝てないよっ?!」
こんな状況で寝られるほど、図太い人間では無い。
レオンは基本的に真面目だが、時々、妙な言動に走ることがある。
いつだったか、彼と同じ聖騎士である女性が〝そんなレオン様も素敵っ!〟なんて言葉を零していたが、アランからすれば意外過ぎる父の一面に未だに戸惑いを隠せないでいる。
だが……そんな父でも、これまで尊敬を失ったことは無いし、冷静な感情の中に隠れた彼の恐ろしさも充分過ぎるほど理解している。
何もかもお見通しとばかりに射抜く父の目には、逸らした瞬間に取って食われそうな恐怖を植え付けるだけの威圧がある。
今、その目で、アランは彼に見つめられている。
見つめられたら最後、アランは声を発することも目を逸らすことも出来ない。
「アラン……お前、何か知っているんだろ? ライも知らない、お前だけが知っている〝何か〟を」
早くも、レオンは確信を付いてきた。
先ほどのアランの言葉で、彼は全てを感じ取ったのだ。
レオンの言葉は正しかった。
アランは、ライも知らない〝ある事〟を知っている。
正確に言えば、偶然知ってしまった。
あれは、まだ村で暮らしていた時のこと。
ライの家に泊まった日だ。
朝が来る前に起きてしまい、水を一杯貰おうと台所へ行った時……彼は、見てしまった。
既に眠っていたと思っていたライの母と自分の母が、何やらコソコソと話していた姿を。
そして、知ってしまった。
──マリアは、ライの実の母親では無いことを。
あの時の彼は、あの出来事を〝夢〟として片付けた。
だけど、今なら分かる。
あの時、自分が聞いた言葉は夢ではなかった、と。
あれが本当に夢ならば、日に日に記憶から薄れていくはず。
それなのに、未だにアランの記憶には、あの時の光景が、声が、鮮明に残っている。
ある程度、身体も心も成長した彼にとって、あれが夢なのか否かという判別は容易いものだった。
そんなアランの変化を、彼の父であるレオンは一瞬で見抜いた。
レオンが、アランの胸だけに秘めた記憶に気付けたのは、少し前の彼の言葉。
── ライから、その……一度も聞いたことが無かったから、聞いてみたかったんだ…………君の、お父さんのこと。
恐らく、ライ自身もアランの質問に違和感を覚えたことだろう。
だが、その違和感の姿があまりにも曖昧な存在だったが為に、直接アランに問いかけることは出来なかったとレオンは推測している。
理由は、一つ。
彼は、父親のことを……と言うより、自分の真実を知らないからだ。
アランだけが知り、彼は知ることが出来なかった真実。
その差が、ライ・サナタスという人間を見る目を変えたのだ。
「お前が何を知ったのかは大体、予想がつく。それに関して、あれこれと言うつもりも怒るつもりも無い。そもそも、忘れろと言っても忘れられないだろうしな。ただ……ライには何も言うな、聞くな」
〝どうして?〟と問いかける隙も与えない。
今の彼の声には、それだけの力があった。
コクコクとアランが何度も頷くと、彼は安心したように口元を緩めた。
立ち上がり、アランの髪の毛を乱すように荒々しく撫でる。
思わずアランは声を上げたが、レオンは撫でる勢いを緩めない。
撫でるのを止め、休憩とばかりに頭に手を置かれるだけの体勢になった頃には、髪の毛先が四方八方に向いてしまっていた。
「お前は、何も心配しなくて良い。……後は、彼女次第だ」
「え、それって、どういう……」
アランが問いを投げかける前に、彼の頭から手を離したレオンは家の中へと続く引き戸に手を掛けていた。
「行くぞ、アラン。今日は少し肌寒い。これ以上、長く居座ると身体を冷やすぞ」
そう言って、レオンは家の中へと入っていく。
(父さんの、さっきの言葉……どういう意味だったんだろう?)
今の自分では辿り着けそうにない問いの答えを考えながら、アランも父の後に続いて家の中へと入った。




