172話_騎士団長様も人の子
家へ帰り着いた俺達を迎え入れたのは、アランだった。
あれから結構な時間が経った筈だ。
壁時計をチラリと見れば、既に午後の2時を過ぎていた。
出た時は12時を少し過ぎていた程度だったから思っていたよりも長い時間、あの場所で話し込んでいた事になる。
それなのに彼は責める素振りも見せずに「ありがとう」と曇りない笑顔で袋を受け取った。
「ごめんね、本当は僕が行くべきだったのに。でも、ライ達のお蔭で準備は、ほとんど終わったよ。本当に、ありがとう!」
……終いには、こんな事まで言う始末。
我が幼馴染みながら、何と慈悲深い。
「とりあえず頼まれた分だけ買ってきたが……本当に、これ全部使うのか? 結構な量だぞ」
「うん、そのつもり……って言いたかったんだけど、余っちゃうかもなぁ。元々、このトマトはスカーレットの為の料理に使おうと思ってたから。まぁ、そもそも君が家に来た時点でスカーレットがいない事に気付かなかった僕が悪いんだけどね」
なんと彼は、スカーレットの分まで料理を作るつもりだったらしい。
しかも態々、スカーレットの好物であるトマトを使って。
「今度はアイツも連れて来る。その時に、また作ってくれ」
頭を掻きながら空笑いするアランに言葉を向けると、彼は瞬きをした後、ふにゃりと気の抜けるような笑みを見せた。
「うん。絶対、作るよ! 今回は、その料理をライに振る舞うことにするね。スカーレット好みの味かどうかの判定も兼ねて」
あくまでも俺は〝審査員〟として食べろ、と……そういう事だな?
そう返せば、アランは「お手柔らかにお願いします」と苦笑した。
買ってきたトマトを使ってアランが作ったのは厚みのあるホーク肉とトマトのチーズ焼き、旨味を濃縮させる為にトマトをペースト状にした物と木の実や野菜を混ぜ合わせたサラダだった。
肉の上に乗ったチーズがトロリと溶けて、トマトを包み込む。
自然を感じさせる爽やかな黄緑色を中心とした木の実と野菜に、鮮やかな紅赤色が混じる。
幼い頃から、彼もまた母親の手伝いをしていただけあって手際が良い。
手順を教わりながら、俺もアランの隣で同じ料理を作る。
スライムとはいえ毎日、トマトばかりでは飽きるだろう。だからこそ、トマトを使った料理のレパートリーは少しでも増やしておいて損はない。
そもそもトマトを使った料理をスカーレットに振る舞おうという考えさえ、俺には浮かばなかった。
心優しい彼だからこそ思いつける配慮。
アランの料理の手伝いが終わった後は、サラとマリアの料理の手伝いだ。
その間、マナとマヤは机を拭いたり皿を出したりと、テキパキと自分の仕事をこなしていた。
作業がひと段落した頃、時計の針は4時過ぎを指していた。
「久し振りに皆が集まるから嬉しくって、つい張り切って沢山作っちゃったけど、食べ切れるかしら……」
現時点で並べられた料理を目の前に、サラが不安そうに本音を零す。
(確かに、この量は……7人で食べるにしても明らかに多いな)
スカーレットがいれば、このくらいの量は余裕なのに。
(……今からでも連れて来るか?)
誘ったら、きっと大喜びするだろう。
「多いけど、意外と何とかなるんじゃないかしら? レオンさん、細身だけどビックリするくらい沢山食べるし」
「いやいや、流石にあの人でも、この量は……って、はっきりと否定出来ないのよねぇ。あの人の胃袋は底無しとまではいかなくても普通の人よりは遥かに大きいし」
この王都を守る騎士団長様は、どうやら大食漢らしい。
やはり、身体作りの基礎として食事を大事にしているのだろうか?
「さて、あの人は何時に来るかしら」
そう言って、サラは時計を見る。
聖騎士の勤務事情など想像も出来ないが、少なくとも窓から陽の光が漏れている時間帯には帰って来られないであろうことは何となくでも分かる。
「9時、10時辺りかな?」
「運が良ければ、その辺りで来るかもね。まぁ、そんな時間まで待てないし、食事は先に食べちゃうんだけど」
この時、ペロリと舌を出したサラを含めて、この場にいる俺達は誰も予想していなかった。
アランとサラの予想を裏切り、7時を少し過ぎた辺りでレオンが帰って来る事を。
予想よりも早い時間に帰宅したレオンに、誰よりも驚いていたのはサラだった。
「まぁ、珍しい! 初めてじゃない? 貴方が、こんなに早く帰って来たの」
サラの反応に、レオンは僅かに眉間に皺を寄せた。
「……不満か?」
「まさか! こんな嬉しい予想外なら、いつでも大歓迎よ。今日も、お勤めご苦労様であります。騎士団長殿」
ビシッと背筋を伸ばして敬礼するサラを呆れた笑みで見つめながら、レオンは白い箱を差し出した。
「これ、良かったら皆で食べてくれ」
「まぁ、何……って、ケーキじゃない!! しかも、いつも行列が出来てて、中々買えないお店の! 態々、買って来てくれたのね。嬉しいわぁ! ありがとう!」
満面の笑みを浮かべたサラは、ケーキが入っている箱を持って、ケーキが崩れない絶妙な速度で台所へと向かった。
「父さん、おかえり。お疲れ様」
「あぁ、ただいま」
レオンに頭を撫でられたアランは、気恥ずかしそうな、だが、同時に嬉しそうな表情を浮かべていた。
「サラやアラン君が遅くなるかもって言ってたから、驚いたわ。でも、良かった。あんなに嬉しそうなサラを見たのは久し振りだもの」
まるで自分のことのように嬉しそうに笑いながら、マリアがレオンに声をかける。
「今日は偶々、運が良かっただけだ」
「そんなこと言って……実は、アラン君やサラに早く会いたくて、いつも以上に仕事を頑張って早く終わらせて来てたりして」
マリアの言葉に先ほどまで淡々と返していたレオンの口が突然、閉じた。
彼には最早、マリアの言葉に返す余裕すらも無い。図星だとばかりに視線を泳がせ、仄かに頬を赤く染めている、今の彼には。
そんな彼を見て、マリアは更に笑みを深める。
唯一、彼に残された抵抗の術は彼女を無言で睨むことである。
「ケーキ、冷蔵庫に入れたから後で……って、何々? 何かあったの?」
絶妙なタイミングで、サラが戻って来た。
彼女の問いかけにマリアは意味深な笑みで答え、レオンは居心地悪そうに彼女から視線を逸らしている。
「何も無いわよ。それよりサラ、レオンさんの分の食事を用意しましょう」
「そうね。アラン達は、そのまま食べてて良いわよ。貴方も服を脱いだら座って待ってて頂戴。すぐに料理を待って来るから」
何事も無かったかのようにマリアがサラを再び台所へと連れて行く。
レオンは言葉を発する間さえも与えられず、彼女達が台所へ消えるのを、ただ黙って見送っているだけ。
彼女達の姿が完全に台所の奥へと消えた直後、一息吐いたレオンは自室へ向かった。
そんなレオンの背中を、俺は同情にも似た何とも言えない気持ちで見つめていた。




