167話_約束
スカーレットの回収も終えて、アザミの家へと辿り着いた瞬間。
「おめでとう!! やったじゃないか、ライ!」
そんな祝いの言葉と共に、アザミからの締め上げられるような抱擁。
喜びよりも息苦しさの方が勝って、御礼すら言えない。
「アザミ、嬉しいのは分かるけど、そろそろ離してあげないと……」
帰っていたらしいドモンの言葉のお蔭で、息苦しさから解放された。
「すまないね、ライ。嬉しくって、つい抱きしめちまった。骨は折れてないかい?」
「え、えぇ、大丈夫です……」
まさか抱擁されただけで、骨折の心配をされるとは思わなかった。
まさか過去に、抱擁で誰かの骨を実際に折ってしまった事でもあるのだろうか?
気にはなったが、本人に聞くつもりは無い。
聞いて〝実際に折った事がある〟なんて言われたら、俺は今後、彼女と普通に会話ができる気がしない。
(実際、首も折られかけたしな……)
よくもまぁ無事だったなと過去に浸っていると、クイッと何かに服の裾を引っ張られる。
視線を下に向けると、ロットが悲しげに眉を下げながら俺を見上げていた。
「ライさん……もう帰るって、本当ですか?」
どうやら俺が別れの言葉を告げるよりも早く、この村を離れることは彼らに伝わっていたらしい。
「我が儘を言っちゃいけないよ、ロット……なんて、今日まで自分の都合で彼を引き止めちまったアタシが言える立場じゃ無いんだけどねぇ」
そう言って苦笑いするアザミに返す言葉が見つからないまま、口を閉ざす。
長考の末、俺の口から出たのは握り飯に対する御礼の言葉だった。
「あの……お弁当、ありがとうございました。美味しかったです」
「あ、ありがとうございました」
俺に続くように、カリンも彼女に御礼を述べる。
アザミはニカッと牙を見せて笑った後、俺とカリンの頭の上にそっと手を置いた。
「絶対に、また来るんだよ。アタシもロットも皆、待ってるからさ」
迷いなく頷くと、彼女は満足したような笑みを零す。
あまりにも優しくて懐かしい笑みが、久しく会えていない母の微笑みと重なる。
「アザミ殿、拙者達も村へと戻ります。何かあったら、遠慮なく呼んで下さい。それから……機会があったら、村に遊びに来て下さい。皆が喜びます」
「あぁ、そうさせてもらうよ。それからレイメイ、アンタはアンタの大事なもんをしっかり守りな……トキワが、そうしたように」
昔の自分を、そして村の者達を守るために最後までソウリュウ族の長として君臨してきた父親のように。
そんな想いが込められたアザミの言葉を胸に刻み込むように、レイメイは深く頷いた。
◇
「貴様、いい加減にしろ」
先ほどまでの平和は何処へやら、レイメイは険しい表情でメラニーを見つめている。
「何よ……だって今回、ライ様を堪能できる時間なんて殆ど無かったのよ?! 少しくらい独り占めしたって良いじゃない!!」
「貴様の言う〝少し〟とは、時間で表すと一時間以上なのか? そんなこと言って、いつまでライ殿を拘束するつもりだ。彼が置かれている状況は、貴様も分かっている筈だろう」
モニュッと頬に柔らかな肉圧がかかる。
抵抗する気力も、逃げる気力も既に無い。
彼女に関して言えば、表向きは受け入れる態勢を取りつつ、心を〝無〟にする対応が最も負担が掛からない。
一種の諦めの果てに導き出したメラニー対応法の一つだ。
「ライさん、僕に命じて下さい。〝鬱陶しい淫乱蜘蛛を排除しろ〟と」
俺からの命令を待っているのか、ロットは既に銃を構えている。
当然、命令するつもりは無い。
(魔法が成功したとは言え、のんびりと過ごして良いわけではありません。皆、各々の都合というものがあります。貴女にもあるのでは?)
グレイの言葉で初めて、メラニーが動揺を見せる。
「た、確かに、そうだけど……でも……」
メラニーが何かを期待するような眼差しで俺を見つめる。
申し訳ないが、彼女の期待に応えるつもりは無い。
首を横に振って意思表示すると、彼女はあからさまに落胆したように息を吐いた。
「ライ様に振られちゃ仕方ないわねぇ。良いわぁ、しつこい女は嫌われるって言うし、この辺りで勘弁してあげる。それに……」
意味深に言葉を切った彼女に問いかけた瞬間、頬から柔らかな肉厚が離れ、チュッとリップ音を立てた彼女の唇が降ってきた。
呆然と頬を押さえながらメラニーを見つめたが、彼女は満足そうに笑うだけ。
彼女に向けられている殺気の度合いが最早、宿敵に向けられるレベルを軽く超えてしまっている。
いつ、この場が戦場になっても可笑しくない。
「それじゃ、ライ様。また会いましょう。今度は、誰の邪魔も入らない二人きりで♡」
言った者勝ちと言わんばかりに、言いたいことだけ言った彼女は即座に目の前から姿を消した。
レイメイとの誓約によって新たに得たらしい力を、彼女は完璧に使い熟せているようだ。
「あ、待て! ……それではライ殿、アザミ殿。拙者は、これにて失礼する」
俺とアザミに頭を下げた直後、メラニーの後を追うようにレイメイも姿を消した。
この後の彼らの展開を知りたいような、知りたくないような……
(何、他人事みたいなことを言ってるんですか。全て、貴方が原因なんですよ)
そんなこと言われたって俺には、どうすることも出来ない。
第一、彼女が俺の頬にキスをしたのは、これが初めてじゃない。一々、反応していたら俺の身が保たない。
(……順応性の高さが、ここに来て仇となったか)
何やら頭を抱えているグレイを軽く宥めながら、ロットと向き合う。
彼の眉は、まだ寂しさを表すように下がっている。
「ロット。今度は、お前が王都に来ると良い。試験が終わって落ち着いた辺りにでも、どうだ? 俺で良ければ案内する」
「っ、本当ですか?!」
俺の提案に、予想以上に喰いついてきた。
もう、彼の瞳は期待で輝いている。
「あぁ、約束する」
「絶対……絶対ですよ。僕、楽しみにしてますから」
俺と、また会える。それが分かって嬉しくて仕方がない。
そんな心の声さえ聞こえてしまいそうな程に、喜びを露わにした彼の表情に、俺まで笑みを零してしまった。
「また会おう」
前回は言えなかった別れの言葉を告げた途端、ロットは目を見開いた後、今にも泣き出しそうな歪んだ表情を見せた。
大丈夫かと彼へ手を伸ばした瞬間、俺の目の前に映る景色がグニャリと歪む。
脳を強く揺らされるような衝撃に、思わず目を瞑る。
衝撃が止み、ゆっくりと目を開けた時にはロットもアザミの姿も無く、少し懐かしさを感じるギルドの内装が視界一杯に広がっていた。




