164話_時には、立ち止まって
アリナから得た新たな知識、そして元部下からの激励の言葉。
これさえあれば、どんな難題だって乗り越えられる……と言えるほど、世の中は甘くない。
少し前まで漲っていたはずのやる気は削がれ、成功するという展望が見えてこない。
しかも、肝心の魔法の組み合わせさえ、まだ決めていない。
前に進んでいるように見えて実は、その場で足踏みをしているだけに過ぎなかったのだと、今更ながら痛感する。
「この際、成功するしないは置いといて、一通り試してみる?」
それも悪くはない。悪くはないが、一通り試したところで何かが掴めるとは思えない。
無鉄砲な行動で発動できるようなものなら、過去に一度くらいの成功例は残している筈だ。
偶然や何となくで生まれる魔法では無い。
これまでの流れで、それが嫌というほど分かったからこそ、ここは慎重にいくべきだ。
その意思を彼女に伝えると不満そうな表情は浮かべたものの、何か思うところはあるのか強く反抗する様子は見せなかった。
「じゃあ、どうするのよ。良い案が思いつくまで、このままボーッと突っ立ってるつもり?」
彼女の不満は尤もだ。
故に〝今は、そうするしか無い〟なんて事を言うつもりは無い。
「いや、ここは下手に魔力を消耗させるよりも、少しだけ初心に返ってみないか?」
俺の提案に、カリンが訝しげな表情を浮かべる。
「……どういう意味?」
「言葉通りだ。魔力融合というよりも魔法そのものの基礎から考えていきたい、と」
その言葉にカリンは、あからさまに肩を竦めた。
「それこそ時間の無駄じゃない? 今更、魔法の基礎から振り返って何が分かるのよ」
「それは……やってみないと分からない」
俺の答えにカリンは呆れたように息を吐いた後、横髪を耳にかけた。
「……まぁ、何だかんだで、アザミさんの家で話し合った時も、アンタの案が切っ掛けで前に進めたようなもんだし……今回も、アンタに合わせてあげる。但し、やるからには徹底的に……良いわね?」
「あぁ」
こよやり取り以降、俺達の口からは魔法に関する様々な知識のみが発せられた。
魔法の属性や相性、詠唱と魔力の関係。
魔法を発動させるために必要な条件まで、各々の知識が許される限りの言葉の羅列を並べて続けた。
この後も一つ一つ並べられていく予定の言葉が、カリンによってピタリと止まる。
「こうして改めて考えてて不思議に思ったんだけど……不適合魔法って、どういう基準で決められたのかしら?」
何を今更……そう言おうとして、その言葉を飲み込んだ。
言われてみれば、この不適合魔法という枠組みには違和感を覚える。
この言葉は、ある属性の魔法に対しての魔力融合の組み合わせとして不適当な属性の魔法のことを指すとグレイは言っていた。
魔法には属性があり、属性には相性がある。
火は水に弱く、水は雷に弱い。
光は闇に強く、木は地に強い。
少し勉強すれば、魔法使いでなくとも得られる知識だ。
だが、魔力融合の相性は、この属性の相性の考え方に必ず当てはまるというわけでは無い。
現に、魔法の相性としては相反する関係である炎属性と水属性は、魔力融合においては相性の良い組み合わせとされている。
(……これは、どういう事だ?)
魔法の属性上は有利不利が存在する両者が何故、魔力融合では寄り添える?
魔法の属性で考えるならば、水と火という組み合わせ自体が不適合と考えられるはずなのに。
(単体で見れば対立的だが、互いの力を活かす或いは利用するという視点に変えれば、最適な組み合わせとして考えられなくも無い……か?)
どのような理屈で、現在の組み合わせが出来上がったのかも分からないが為に、予想しか出来ない。
それが、非常にもどかしい。
アリナやグレイに聞いたり文献等を調べれば、すぐに答えは得られるのだろうが、それでは駄目だ。
── この試験では〝在り来り〟な考えは通用しません。明らかに何らかの文献等を参考にして得たような結果を披露すれば、即不合格です。
── 自分で考え、自分で試し、自分で得たもの……君達の課題に沿って言うならば、これまで前例の無い組み合わせでの魔力融合を試験当日までに完成させない限り、君達に合格という未来は無いという事だ。
今回の試験は、俺とカリン自身が考え、試行錯誤し、得られた結果を披露しなければ意味がない。
実技試験の時と同様で試験官は、あのアルステッドなのだ。下手な小細工は通用しないだろうし、少しでも楽をする道を選べば、そこさえも見抜かれるだろう。
(……考えれば考えるほど、合格の道が遠のいていく)
少しでも前に進むための思考で、返って後戻りしてしまっているような気がする。
このままでは駄目だと思考を振り払うように首を振るが、しがみ付いていて離れやしない。
自分が今、自ら編み出した思考に呑まれているのが嫌でも分かる。
カリンも思考の荒波に揉まれているのか、難しい表情を浮かべたまま口を閉ざしている。
(……カリンの提案に乗るべきだったか?)
いや、乗ったところで、恐らく振り出しに戻るだけ。
魔力融合、そして不適合魔法。
これらの〝絡繰り〟に気付けない限り、前には進めない。そんな気がする。
(ライ! ライ!)
突然、脳内に響いたスカーレットの万能念話にビクリと身体を震わせた。
足元を視線を向けると、伸ばした触手の先で何かを掴んでいるスカーレットがいた。
(ミテ! ミテ! チョチョ!!)
〝チョチョ〟というのは、スカーレットの触手に捕らえられた〝蝶々〟の事だろう。
完全に絡め取られ、羽を羽ばたかせる事も出来ない蝶は、この後の己の運命を受け入れているかのように大人しい。
(スカーレット、チョチョ!!)
……今、この場にスライム語に詳しい方は、いらっしゃいませんか?
そう問いかけてしまいたいくらい意味が分からない。
今は、スカーレットに構っているべきでは無いのだが……そう思いながらも、スカーレットが捕らえた蝶を見つめる。
だからこそ気付いた、蝶々が段々と原型を失い始めている事に。
(まさか……この蝶を取り込むつもりか?)
スカーレットに問いかけたところで答えが返ってくるはずも無く、蝶は見る見る内に溶けてスカーレットの一部となった。
その瞬間、丸みを帯びているスカーレットの身体に変化が起こる。
身体が細長く伸び、触覚らしきもの、そして最後には羽まで生え始めたのだ。
スカーレット本体と同じく緋色。
明らかに、一般的な蝶の何十倍もある大きな身体。
以上の点さえ除けば、今のスカーレットの姿は、誰がどう見ても〝蝶〟だ。
しかも、羽を羽ばたかせて飛んでいる。
(ライ、スゴイ? スカーレット、スゴイ?)
あぁ、凄いよ。
少なくとも、今まで築いてきた思考が跡形もなく崩れ落ち去らせるくらいには。
「スライムの擬態……初めて見たわ」
ずっと口を閉ざしていたカリンが、思わず言葉を漏らすほどの破壊力。
俺達が今、どんな気持ちで見ているかも知らずに、当のスライムは空中での散歩を楽しんでいる。
呑気だなと僅かに口元を緩めながらカリンを見ると、彼女もまた微笑むように笑っていた。
初めて見た彼女の表情を見続けていたらパチリと目が合って、互いに苦笑い。
「少し早いけど、休憩しない?」
そう言った彼女の声には、肩の力が抜けたような気楽さが少し感じられた。
どれだけ必死に考えたところで、今は何も浮かびそうにない。
ここは一度、頭をリセットさせた方が良さそうだ。
「……そうだな」
彼女の提案に応じ、アザミから貰った弁当を置いた大きな切り株へと足を進めた。




