161話_ずっと気になっていたこと
「……遅いな」
「……そうね」
昨日も訪れた花畑を一望できる場所で、今も根を張り続けている大きな切り株。
その切り株に腰掛けながら、本日、何度目か分からない会話らしくない会話が再び終わりを告げた。
花の蜜に誘われて飛び回る蝶を、スカーレットが楽しそうに追いかけている。
そんな癒される風景とは裏腹に、俺達の間に流れる空気は、どことなく気不味い。
仲が悪いわけでは無い、と思う。
(出会ったばかりの頃は何故か嫌われていたし、未だに理由も分かっていないが……)
だからといって、仲が良いというわけでも無い。
(そもそも最近になって漸く、まともに話し始めた)
そんな微妙な関係の2人が一緒にいたところで話に花なんか咲くわけが無い。
どっちでも良い。早く来てくれ。
そう何度も願うが、先ほどから誰かが来る気配すら無い。
あの時の〝すぐ戻る〟というアリナの言葉は何だったのか?
グレイだって、別れる際に〝すぐ追いかけますから〟と言っていたのに。
もう、かれこれ30分近く経過している……と思う。
何せ時計が無いのだから、正確に時間を確認する術が無い。つまり、己の感覚で予想するしか無いのだ。
視線を、スカーレットからカリンへと移す。
カリンも俺と同じように頬杖をついて目の前の景色を眺めているが、明らかに退屈そうだ。
そんな彼女を見て、何か暇潰しになる話題は無いかと頭の中で探そうとして……それは無意味だと気付いて、すぐに止めた。
適当に彼女が好きそうな話題をと、探すまでもない。
何故なら俺は、その〝彼女が好きそうな話題〟さえ知らない。
改めて思い知らされる。
俺は、彼女のことを何も知らないのだ、と。
(……これは、ある意味、良い機会かも知らない)
今なら聞ける気がした、ずっと彼女に聞きたかった事が。
「……ずっと聞きたかったんだが」
カリンの瞳が俺を捉える。
「出会ったばかりの頃……何故、俺にだけ、あんな冷たい態度を取ったんだ?」
あ、直球過ぎた。
そう思ったのは、彼女に疑問を投げかけた後。
今更、もう少し言葉を選ぶべきだったと後悔する。
彼女は目を丸くした後、気不味そうに俺から視線を逸らした。
「…………」
言おうか言わまいか。
そんな事を考えていそうな表情を浮かべている。
「言いたくないなら、無理に言わなくて良い」
そんな表情をさせてまで聞きたいとは思わない。
いや、正直、気にはなる。
気にはなるが、尋問じゃあるまいし、無理やり吐かせる義理は無い。
「違う、違うのよ。言いたくないわけじゃない」
あくまでも視線は逸らしたまま、彼女は言葉を紡いでいく。
「いつか言わなきゃとは思ってた。でも、言える勇気も機会も無かったから……いいえ、これじゃ言い訳にすらならないわね」
意を決したように唇を噛み締めた彼女が俺を見たことで、視線が絡む。
「正直に話すわ。でも、これだけは約束して……理由を聞いても、絶対に笑わないで」
(笑う?)
意味は分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
俺の反応を見た彼女は、緊張を和らげるように息を吐いた後、僅かに震えた唇を開いた。
「私……アンタに嫉妬してたの」
「……は?」
嫉妬? ……何故?
説明を求めるように彼女を見つめる。
「入学式の時、新入生代表召喚があったでしょ? あれは毎年、入学試験の結果が最も良かった生徒が選ばれるの」
(え、入学試験?)
アルステッドから封筒を渡された時、そんな話は聞いてなかった。
12歳になった時、封筒を持って王都まで来い。
あの時、彼は、それしか言わなかったのだから。
つまり俺は、本来ならば受けるべき試験を受けずに入学してしまった事になる。
「私、あの学校に入りたくて、ずっと頑張ってきたの。毎日勉強して、魔法だって得意なものだけじゃなくて苦手なものも克服するまで何度も練習して……それなのに、蓋を開けてみたら代表に選ばれたのは、試験で満点だった私じゃなくて顔も名前も知らないアンタだった。しかも後から聞いたら、アンタはアルステッド理事長から直々に勧誘されて試験も受けずに入学した理事長推薦という特例枠の唯一星だって言うじゃない」
(セウ、エト……何だって?)
その〝セウ何とか〟というものも、入学試験がある事も今、初めて知りました。
そう言いたい衝動に駆られたが、それを口にした後が怖いので必死に無言を貫く。
「努力を馬鹿にされたみたいで悔しかった。頑張ったきた時間を否定されたみたいで悲しかった。本当なら、私が代表に選ばれる筈だったのに。本当なら……あの時、少しは両親に認めてもらえる筈だったのに」
カリンの両親。
姿は拝めなかったものの、彼女の父親の名前は実技試験の時に知った。
母親は……顔も名前も分からないが、これまでのカリンの発言から〝仲睦まじい親子〟という関係性でないことは察しがついていた。
──カグヤさんが、私のお母様だったら良かったのに。
──私は、どうしても、この試験に受かりたいの! この試験に合格できれば、挽回できる。そして今度こそ、お母様に……っ、
彼女と母親との間には、何らかの原因で軋轢が生じている。
だが、それが分かったところで俺が気安く触れる良い案件では無い。
俺は、彼女の言葉に対して何も触れなかった。
「……だから、最初はアンタが憎くて憎くて仕方なかった。何も知らないような間抜けな顔してるくせに、魔法の腕と知識は誰よりも優秀で……なのに、それを鼻に掛けるような素振りも見せないし、いつの間にか周囲の人達はアンタを慕ってるし、終いにはアンタを邪険に扱ってきた私まで助けちゃうし」
最後のは恐らく、カグヤがいた御伽領域での事を言っているのだろう。
「そんなアンタを見てたら憎いとかムカつくとか、そういう感情を向けるのが馬鹿馬鹿しくなってきたの。でも今更、態度を変えるのもどうかと思って、ずっとモヤモヤしてたんだけど……カツェが気付いてくれたお陰で、今、私はアンタとこうして話が出来てる」
カリンの言葉に、いつかのカツェの言葉を思い出す。
──理由は分からないけど、2人が仲が悪いのは前から知ってるニェ。だけど、心の底から嫌ってるわけじゃ無いってのも知ってるニェ。
彼女は、あの時から既に、カリンの気持ちに気付いていたと言うのか。
それで、俺とカリンの距離を縮めようと……
「お前が居なくなった時、カツェは必死にお前を探していた」
「え……?」
一瞬、何の話だと訝しげな表情を浮かべたが、すぐに俺の言葉の意味を理解したらしく、眉を下げた。
「彼女には申し訳ないことをしたと思ってるわ。同室の誼みってだけで、あそこまで迷惑かけちゃって……」
「それ、本気で言ってるのか?」
彼女の言葉に、思わず口を挟む。
彼女は〝何が?〟と言わんばかりに、目を丸くしている。
「自分と同室だったから……そんな理由だけで、カツェがお前を探していたと本当に思っているのか?」
言葉は無くとも、彼女の表情が答えを言っている。
〝それ以外に何があるの?〟と。
……どうやら彼女は、他人の感情に関して酷く疎いようだ。
しかも全く関係のない俺でさえ分かる感情さえも、その対象らしい。
「お前が大事だからだよ。同室とか、そういう枠組みでは収まらないくらいに」
そもそもお前とカツェは友人じゃないのか?
そう尋ねた瞬間、彼女はパチリと瞬きをして、ばつが悪そうに視線を泳がせた。
「そ、そんなこと言われても……私、友達なんていたこと無いから、よく分からない」
今度は、俺が瞬きをする番だった。
同時に、どこか納得したように胸につっかえていたものがストンと落ちた気がした。
〝これまで友達と呼べる存在は誰も居なかった〟
そう言っていた奴なら、昔、何度も会ったことがある。
(……なら、聞き方を変えてみるか)
それでも駄目なら、また別の方法を考えよう。
「じゃあ、カリンにとってカツェは、どんな存在だ?」
早速、先ほどとは違う視点から彼女なら問いかける。
「え、どんなって……そうね、見ていると危なっかしくて放っておけないし。授業態度も良いとは言えないから、ついつい見ちゃう。あ、でも! 悪い子じゃないのよ?! あの子、とても優しいし、鈍感そうで意外と鋭いところもあって……そして何より今は、あの子と一緒にいる時が一番落ち着くの」
あぁ、何だ。そこまで分かっているなら、もう充分じゃないか。
それでも気付かない彼女の鈍感さに、思わず笑みが零れる。
そんな俺の表情を見た彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに不機嫌そうに目を細めた。
「な、何よ、その顔」
「あぁ、悪い」
心から謝っているのに、口元の緩みが治らない。
カリンの目が、更に細まる。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
言って良いのか? じゃあ、お言葉に甘えて言わせてもらおう。
「カリン、お前もカツェと一緒だ。お前も、もうカツェを単なる同室として見てはいない。彼女を大事に想っている、正真正銘、彼女の友達だ」
その時、少しだけ強い風が俺達の髪を撫でた。
彼女は俺を数秒ほど見つめた後、自身に問いかけるかのように胸に手を当てて、小さく口を開く。
「友達……これが……」
もう俺が彼女にかける言葉は無い。
後は、彼女が自分で答えを得るべきものだから。
だから俺は、黙って彼女を見守るだけ。
「っ、すまない! 遅くなった!」
(申し訳ありません、遅くなりました)
似たような言葉を紡いで同時に現れたアリナとグレイ。
彼らを一瞥した後、再びカリンを見たが、彼女の目は既に開けられていた。
「……魔力融合、必ず成功させるわよ!」
そう言った彼女の瞳に、迷いらしきものは感じられない。
もう彼女は見つけたのだ。〝自分の答え〟を。




