155.5話_閑話:重なる面影
父と母が時折、何かを懐かしむような表情を浮かべているのが、ずっと気になっていた。
その時は決まって、寡黙で滅多に表情を変えない父が僅かに口角を上げ、普段は口元に手を押さえて笑う母が大口を開けて笑っていた。
何が、そんなに面白い? 何を、そんなに懐かしんでいる?
気になって気になって、ある日、本人達に尋ねた。
〝何の話をしているんだ?〟と。
両親は互いに顔を見合わせた後、今はもう見られない優しい笑みを浮かべた2人は声を揃えて言った。
──とても大切な鬼人の話だ、と。
その日は拙者にとって、両親の大切な存在を知れた日であると同時に……〝アザミ・セイリュウ〟という鬼人の存在を初めて知った日でもあった。
◇
「こりゃ、たまげた! 〝鬼人の掟〟よりもライを取るか! く、くくくっ……いやぁ、面白いっ! 流石、トキワの息子! 親子揃って笑わせてくれるじゃないか」
どういう意味だとレイメイは顔を顰めるが、そんな反応さえも愉快だとばかりにアザミは肩を揺らす。
「いやぁ、改めて見ると表情までアイツに似てきたねぇ、レイメイ。まるでアイツの生き写しだ。しかも似たような言葉を吐いちまうとは……くくくっ、親子ってのは、こんなにも似ちまうもんなんだねぇ」
こっちは真剣だというのに、何だか馬鹿にされているようで腹立たしいが、決して表情には出さない。出してやらない。
「あら、そうなのぉ?」
揶揄いのネタになりそうな予感を察知したメラニーがレイメイの肩に手を置きながらアザミに問いかける。
そんな彼女の手はレイメイによって、すぐに振り払われた。
「触るな。大人しく下がってろ」
「相変わらず冷たいわねぇ……まぁ、良いけど」
レイメイの対応に関しては本当に気にしていないようで彼女の視線は、すぐにアザミの方へと移る。
「即席で作った糸とはいえ、まさか、あんな簡単に切られるとは思わなかった。鬼人族の馬鹿力を侮ってたわぁ」
「そりゃあ、アンタ……こちとら、4つの部族に分かれる前は毎日、喧嘩三昧だったんだよ? あの程度で止められるもんか! 何たって、〝何となく睨まれたような気がしたから〟〝今日の昼食の飯の量が他の奴より少なかったから〟〝暇だから〟。そんな理由で喧嘩をふっかけてくる奴等ばかり相手にしてたからねぇ」
ま、全員、アタシが張り倒してやったけど!
アザミは自慢げに、ガッハッハと高笑いを見せる。
(……鬼人族って、筋力バカと朴念仁しかいないのかしらぁ?)
アザミを見つめながら、メラニーは心の中で容赦のない言葉を漏らす。
当然、そんな彼女の気持ちを知らないアザミとレイメイは各々、油断を許さない中での均衡を保ち続けている。
「アザミ殿……今の貴女を見ていると、少し前の拙者を思い出します」
アザミの拳を受け止めた刀を小刻みに震わせながら、レイメイは静かに言葉を紡ぐ。
「ずっと続くと思っていた日常が壊されていく様を指を咥えて見ていることしか出来ず、唯一、拙者に出来たのは大事な者達の死を離れた場所で悼むことのみ」
当時のことを思い出しているのか、レイメイの眉間には次第に深い皺が刻まれていく。
「……これは妹にも黙っていたことだが、拙者も一時期は貴女のように復讐を考えていた。数少ない同胞と唯一の家族である妹を置いて、やるべき事を終えたら1人で、あの男を探し出して復讐するつもりだった」
レイメイの意外な言葉に、アザミは目を丸くする。
やるべき事というのは当然、ライとリュウが関わったメラニーの件の事だが、それも和解という形で収まった上に、今も彼は新たな村でヒメカ達と暮らしている。
つまり、彼は本来ならば単独で歩むつもりだった復讐という道を、自らの意思で断ち切った事になる。
「それなら、アンタにも少しはアタシの気持ちが分かるだろう?」
「勿論、理解は出来ます。ですが、その選択が正しいとは思えません」
レイメイの言葉に、アザミは面白くさそうに目を細める。
「……随分と人間らしいことを言うじゃないか」
「当然ですよ。この考えは、拙者を変えてくれた〝人間〟から学んで得たものですから」
ライを一瞥して、そう言った。
彼は今、ドモン達と話をしているらしく、何やら複雑な表情を浮かべている。
(人間らしい、か……)
自分でも、そう思う。
こんな気持ち、今まで抱いたことが無い。
何の疑いもなく自分の感情に従って動く自分達とは違い、抱く感情に疑念を抱きながらその奥に隠れた答えを探し出す人間。
こんなにも面倒で歯痒いことを、人間という生き物は実行していたのか。
だから、変に拗れる。
だから、言葉では説明の付かない感情が生まれる。
だから、こんなにも……彼らの言葉は自分の心を満たしてくれるのだと、レイメイは改めて思った。
「人間から学んだもの、か……そういう所は基本的に同族としか絡んでこなかったアイツとは違うね。……まぁ、良いさ。アンタはトキワじゃない。アンタはアンタの信じる道を行きな!」
言われなくともと頷いたレイメイを見て、アザミは満足そうに頬を緩める。
「それにしても〝誰かを守るために斬る〟か。昔、アイツも似たようなことを言ったよ。あれは、確か……アイツがハンナに求婚した時だ! ハンナは一生かけて俺が守る。ハンナを守るためなら、どんな障害も敵も斬り伏せてやるってね」
衝撃的過ぎる言葉のあまり、レイメイは危うく刀を落としかけるところだった。
「は? え……キュウ、コン……?」
「ねぇ、その〝ハンナさん〟って誰のことかしら?」
混乱するレイメイを押し除けるように、メラニーがすかさず質問する。
「ハンナはね、アタシの大親友でトキワの女房。つまり、レイメイの母親だよ」
アザミの言葉に、これは良いネタを見つけたとばかりに、メラニーはニタリと口元を大きく歪ませて笑う。
対してレイメイは、何とも言い難い羞恥心の熱に侵され、目をグルグルと回している。
そんな彼に追い討ちをかけるように、メラニーが彼の耳元で囁く。
「……ライ様は、あげないわよ?」
「いらん!!」
レイメイを揶揄うメラニー。それが分かっているからこそ、吐き捨てるように言葉を放つレイメイ。
しかし、アザミの目の前には違う2人がいた。
ハンナとトキワが夫婦になる、ずっと前。
トキワがハンナに恋心を抱いていると分かった時期のアザミ自身とトキワだ。
──なぁ、トキワ……アンタ、ハンナのことが好きなんだろう?
──…………あ?
──惚けようとしたって無駄だよ。アンタ、普段は無愛想な顔ばかりしてるくせにハンナを見てる時だけは全然、表情が違うんだから。
──……気のせいだろ。
──いいや、気のせいじゃないね! 何年、アンタと一緒にいると思ってんだい。……まぁ、気付いたからと言ってハンナをアンタに渡すつもりは無いけど。
──渡すも何も……アイツは、お前のものでも無いだろうが。
──お前のものでも無い、ねぇ。
──! ……うるせぇ、馬鹿。
その時、アザミは見てしまった。
顔を逸らしたことで露わになった、ほんのりと赤みを帯びた彼の耳を。
そして今、目の前で揶揄われているレイメイもまた、あの時のトキワと同じように、耳を薄い紅色に染めている。
ただ彼の場合は、純粋な羞恥心による照れから来ているものだろうが……
(トキワ……まだまだ青臭い部分もあるが、アンタの息子は良い方向に育ってるよ)
レイメイを見つめながら、そんな言葉を溢したアザミ。
つい先ほどまで彼女を支配していた憎しみや怒りは、世界を優しく包む夜明けの太陽に照らされた星々のように霞んで消えかけていた。
次回は通常通り、主人公視点に戻ります。




