154話_想いの拮抗
「っ、ライさん!」
ロットが叫ぶように俺の名を呼ぶ。
いつも小さく見える彼が、今は、もっと小さく見える。
「お母さん、やめてっ!!」
上へとあげられたアザミの左腕を必死に掴むリン。
だが、彼女の腕は少しも動かない。彼女の片腕は、同じ鬼人であるはずのリンの両腕の力さえも無力化してしまう。
そんな怪力に捕らえられた獲物は、どうなるか……最早、考えたくもない。
ギリギリと首の骨が小さく悲鳴をあげ、口からはヒュッとか細い息が漏れる。
「へぇ……こいつは驚いた。アンタ、まだアタシを睨みつけるだけの余裕があるのかい? 自由に言葉を吐かせられないように脅しも含めて軽く首の骨を折るつもりで、アンタの首を掴んだんだけどねぇ」
(咄嗟に、首回りに結界を張っておいて良かった……)
息苦しいだけで済んでいるのは、首を囲うように張った結界のおかげ。
もし結界を張っていなかったら、痛々しい音と共に首の骨はアザミの手によって、いとも容易く折られていた事だろう。
「今回も、これまでのように話し合いで解決出来ると思ったかい? だとしたら、残念だったね。さっきも言ったが、アタシは復讐を果たすためなら何だってやるよ。例え、それがアンタが望まない方法や結果だったとしても!!」
俺の首を掴む彼女の左手に、更に力が込められる。
その瞬間、パキッと結界に亀裂が入ったような音がした。
(っ、不味い! 結界が……っ、)
割れる。
覚悟を決めろとばかりに、その先に待つ最悪の未来が脳裏に浮かぶ。
巫山戯るな。まだ俺は諦めちゃいない。
結界が完全に壊れる前に、また新たに結界を張って何度だって凌いでやる。
復讐に駆られた者が辿る末路を、俺は知っている。だからこそ、ここで彼女に屈するわけにはいかないのだ。
「はぁい、そこまで♡」
どこか挑発しているようにも聞こえる声と共に、俺の耳が拾ったのは複数の糸のようなものがピンと張られた音。
怒りと憎しみだけに染められていたアザミの瞳に、初めて動揺が生まれた。
お蔭で、首を締め付けている手の力が僅かに緩む。
「本当は、話が終わるまで干渉しないつもりだったのよぉ? でも、もう我慢出来なかったから無理やり割り込ませてもらったわぁ」
ニッコリと深い笑みを作りながら、そう言ったのは、いつの間にかアザミの隣に立っていたメラニーだった。
彼女の登場で俺は漸く、アザミの今の状況を知る。
部屋の照明の光で微かに反射する透明に限りなく近い白い糸が。注視しなければ気付かないほどの細い糸が。
アザミの腕に、首に、身体に巻き付き、彼女の身体を、しっかりと拘束していた。
「……何のつもりだい?」
「あら、それはワタシの台詞よぉ。それに貴女、さっきから自分が言ってること無茶苦茶なの自覚してるのかしら? 貴女が誰が憎いとか復讐したいとか、そんな話……正直、ワタシは微塵も興味ないから勝手にしてって感じだけど、これだけは言わせてもらうわぁ」
そう言って目を細めたメラニーが、腕組みしていた右手の人差し指を軽くクイッと曲げた。
まるで、それが合図だとばかりのタイミングでアザミの左腕に巻き付いた糸が皮膚に喰い込み、プツリと切れた皮膚から細い血のすじが出来始める。血は皮膚を流れ、糸を赤く染めていく。
「もし貴女が、このまま身勝手な復讐心に囚われてワタシの大切な人に仇をなすような存在になると言うなら……ワタシのお手製の糸で貴女を物も言えない醜い肉の破片にしてやる!」
これは単なる脅しではなく本気だと、すぐに分かった。
こうして彼女達が対峙している間も、メラニーの糸はアザミの皮膚に喰い込み続けている。
「……なるほど。〝愛する人の為ならば〟って奴かい? いやぁ、良いねぇ。一点の曇りも無い、実に若者らしい直向きさだ。だが……」
ギリギリと糸が音を立てる。
アザミが自ら自分の肌に糸を喰い込ませているのだ。時折、プシッと小さな血飛沫が舞う。
彼女の突然の行動に戸惑ったが、その行動の意図に気付いた時、彼女を縛っていた糸がプツンと切れた音がした。
「っ?!」
糸の拘束を自ら解いたアザミにメラニーから戸惑いの声が漏れる。
「こんな細っこい糸でアタシを止められるとでも? ……甘いねっ!!」
アザミの手が、掴んでいた俺の首を離す。支えを失った俺の身体はドサリと床に落ちた。
「ごほ…っ、」
少しばかり久しい自由な呼吸に身体が驚いているのか、咳を数回繰り返す。
解放された俺の元にロットとグレイが駆け寄るが、今、俺が気にかけなければならないのは心配そうに駆け寄ってくれた彼らではなく、メラニーだ。
アザミの意識が俺から逸れたということは、今度はメラニーを標的対象として捉えたことを意味する。
顔を上げれば、先ほどまで俺を捕らえていた左腕は既に、メラニー目掛けて振り下ろされていた。
「っ、メラニー!!」
彼女の名前を叫び、手を伸ばすが、どう考えてもアザミの拳の方が先にメラニーへと到達するのは明白だ。
荒業になるが、ここは魔法で……そう構えた瞬間。
アザミとメラニーの間に割って入るように突然現れたレイメイが、鞘に納められたままの刀を盾に、アザミの拳を防いだ。
刀はアザミの拳を受けても折れるどころか歪んだ様子も無く、レイメイとメラニーを守っている。
「アザミ殿……どうか、その拳を収めてはもらえませんか」
言葉は丁寧だが、声色は険しく、どこか威圧的だ。しかし、その程度で怯むような相手では無い。
ニヤリと口角を上げて、振り下ろした拳はカタカタと刀との均衡を保っている。
「嫌だと言ったら?」
何故か、その問いかけは単純に相手を煽るためのものでは無いように思えた。
レイメイは視線だけでアザミを捉えたまま、口を閉ざしている。
その沈黙は、アザミからの問いかけに対する答えを探しているが故の沈黙なのだろうか?
何と答えるつもりなのかと彼を見つめていたら、彼も俺の方を見た。
まるで俺に何かを誓っているかのような力強い眼差しに、思わず喉を鳴らす。
そんな俺を見て微かに微笑んだ後、レイメイは再びアザミに鋭い視線を向けた。
「それすらも拒否すると言うならば、拙者は……」
────ライ殿を守るために、貴女を斬る。




