152話_信頼
帰ってきたグレイとロットは何故か、異常なまでに息を切らしていた。
アザミもいたため一瞬焦ったが、まだグレイの魔法が解除されてないと分かると、陰でホッと息を吐いた。
肩を上下させ、身体が酸素を欲しているにも関わらず、彼らは言葉を紡ごうと餌を求める魚の如く口を開閉させている。
〝もう巡回も護衛も必要ないかも知れない〟
俺の耳が都合の良い聞き間違いをしていなければ、確かに、そう聞こえた。
「それは、どういう意味だ……まさか、犯人を捕らえたのか?!」
アリナの言葉に、2人は慌てて首を横に振る。
(い、いえ、そうではないのですが……巡回中に、とある方からの報告を受けまして、〝アザミさんを襲った者は、もう近くにはいない〟と)
「とある方って……そりゃ、この村に住んでる奴かい?」
(いえ、どうやら違うみたいです)
アザミの問いかけに対し、ロットが緩く首を振りながら否定した。
初めは食い気味で彼らの話を聞いていたアリナだったが、彼らの話す内容が明らかになるに従って、興醒めとばかりに表情に影を差す。
「つまり君は、会って間もない者の言葉だけで、この村は安全だと判断したわけだな」
その声には、分かりやすいほどに呆れと怒りが滲み出ていた。
アザミの前であることを考慮してロットのことは伏せたようだが、彼女の瞳は、しっかりとロットも捉えている。
「待って下さい」
このままでは不味いと、アリナが何か言う前に割って入る。
輝きのない瞳に射竦められ、思わず身体を強張らせてしまったが、ここで引くわけにはいかないと表情を引き締めて耐える。
「彼が、それなりに信頼できる相手なら兎も角、赤の他人の言葉を易々と聞き入れるとは思えません。きっと何か理由があるはずです。もう少し、彼の話を聞いてみませんか?」
鋭い目が数秒ほど俺を見つめた後、その目はグレイとロットへと向けられた。
「……そうだな」
表情は変わらず険しいが、了承の言葉に安堵の息を漏らす。俺もアリナと同様に彼らへ視線を向けて、安心させるように頬を緩ませる。
しかし、彼らの表情が晴れることは無く、悪戯をして親に怒られている真っ最中の子どものように視線を泳がせながら、ポツリポツリと呟くように話し始めた。
◇
「……どうやら聞くだけ時間の無駄だったようだな、ライ・サナタス」
彼の言い分を全て聞いた直後のアリナの言葉である。
今度は、さすがの俺のフォローの言葉が思いつかなかった。何故なら、彼らが話した内容には、明らかな根拠も確信も見当たらなかったからだ。
突然、謎の少年が目の前に現れ、俺達が探している敵はもういないから巡回も護衛も必要ないと言われ、その言葉を鵜呑みにして巡回を途中放棄し、帰って来た。
非常に思慮の欠けた判断。それが、グレイの話を聞いた上での俺の評価だ。
……しかし、同時に何かが引っかかる。あまりにも彼ららしからぬ行動に、違和感が拭い切れないのだ。
本当は、まだ俺達に告げていないことがあるのでは? 現場にいた彼らだからこそ分かる何かがあったのでは?
表では彼らに厳しい言葉を向けても、そう考えずにはいられない。
「………………」
居心地の悪い沈黙が、波紋のように空間全体に広がっていく。
せめて何か言葉を紡いで沈黙を破らなければと思っていても、その言葉すら出てこない。
グレイは顔を俯かせ、口を開くことも出来ないロットは、半ば救いを求めるかのように俺を見つめている。
「……っ、あぁ、ヤダね、ヤダね! この空気! 陰気臭くてカビでも生えちまいそうだよ」
空気を振り払うように声を上げたのは、アザミだった。皆が驚いたように目を丸くして、彼女を見る。
「性格上、小難しいことを考えるのは性に合わなくてねぇ。良いじゃないか、根拠や証拠が無くたって。その子はアンタ達の仲間なんだろ? だったら、信じてやりな。信じている仲間が信じた言葉……アタシは、それだけで充分だと思うけどねぇ」
その瞬間、胸につっかえていた何かがストンと落ちたような気がした。
彼らの話は到底、納得できるようなものでは無い。その考えは変わらないし、間違っているとも思えない。
だが、俺は知っている。グレイもロットも何の理由も無しに他人の言葉を鵜呑みにするほど愚かではないことを知っている。
魔王だった頃から一緒にいたのだ。どちらも、俺が信頼を寄せていた部下だったのだ。
……彼らを信じよう。彼らが、そう判断したならば。例え、今は納得いかなくとも、いつか必ず、彼らの判断に納得できる時が来る。
だから……
「……グレイ、ロット。お前達が信用できる判断したというならば、俺も、その少年の言葉を信じる。少年の言葉を信じたお前達を、信じる!」
グレイが顔を上げる。前髪に隠れていて見えないが、色の違う左右の瞳は今、俺に向けられているのだろう。
「わ……私も、信じるわ」
ボソリと、ギリギリ聞き取れる声量で呟いたのは意外なことに、カリンだった。
てっきりアリナに味方をするかと思っていただけに、奇跡の瞬間を目の当たりにしたかのような気持ちで彼女を見つめる。
「っ、い、言っとくけど、アンタのことを信頼して言ったわけじゃないから! 少し暗いけど、真面目で紳士なグレイ先輩だから、私も信じてみようって思っただけで……」
彼女は必死に何を主張しているんだと、未だにグチグチと小言を零すカリンを前に肩を竦める。
だが、彼女もまた、グレイ達を信頼してくれたのは事実。それが、こんなにも嬉しいなんて。
「ありがとう、カリン」
思わず御礼を言ってしまった。その瞬間、彼女の顔がボンと派手な爆発音をたてた。
「な、なんで、アンタが礼を言うのよっ! アンタを信頼したわけじゃないって言ったの聞こえなかったの?! 馬鹿なの?!」
ただグレイ達を信じてくれてありがとうと言いたかっただけなのに、この言われようである。
「……っ、」
1人取り残されたアリナの表情には戸惑いが現れている。まさか、こんな展開になるとは、彼女も想像していなかったことだろう。
粗方、今の彼女は、皆がそう言うならと賛同したいところだが、自分から疑いをかけた手前、そう簡単に意見を曲げるようなことは出来ないといった所だろうか。
そんな彼女の手に、シュルシュルと緋色の触手が伸びる。
(アリ……アリ…………アリ!!)
唐突に、スカーレットの万能念話が脳内に響く。
アリナの名前を言おうとしたのだろうが、結局、完璧には思い出せなかったため、なんとも惜しい形で収まってしまった。
「き、みは……確か、ライ・サナタスのスライムか」
何か用かと尋ねる彼女の声には、まだ先ほどの動揺が残っている。
(アリ、ライ、キライ?)
「え? あ、いや、ライ・サナタスのことは嫌いではないが……」
(スキ?! スキ、ハ、シンジル! アリ、ライ、シンジル!)
アリナはスカーレットを見下ろしたまま動かない。そんな彼女の口は、あんぐりと開いている。
スカーレットの言葉は、この場にいる全員の耳に届いていたようで、全員がスカーレットを物珍しそうに見つめている。そして同時に、アリナの動向にも注目している。
驚き一色に染められていた彼女の表情が次第に冷静さを取り戻し、いつもの澄まし顔に戻っていく。
「…………そう、だな」
アリナの口から小さな声が漏れる。
そんな彼女の声は吹っ切れているように見えて、まだ迷いが感じられたが、とりあえずは、これで彼女もグレイ達の言葉を信じるという俺達の考えに納得したという事で……良いんだよな?
「ところで、1つ聞いてもいいかい?」
なんとなく話が良い方向へと向かおうとしている時、アザミが静かに問いかける。
優しい口調なのに、どこかヒヤリとした冷たい声だ。
「さっき、この場にはいない筈のロットの名前が出た気がしたんだけど……アタシの聞き間違いかねぇ?」
「あ」
この時、漸く俺は自分の失態に気付いた。




