148話_自覚
カリンからの言葉を受けて漸く俺は、少し前のグレイの言葉の本当の意味を知った。
彼の言った通り、意味が無かったのだ。
記憶や能力は引き継いでいても、今の俺は〝昔とは違う世界〟にいる。世界が違うのだから魔法に対する認識も価値も当然、昔いた世界とは変わってくる。
瞬間再生も、その1つだった。
たった、それだけの事実を見落としてしまったが故に、カリンの前で俺は、とんでもない提案をロットに差し出してしまった。
昔、何度も使ってきたから。昔の俺にとっては便利な魔法だったから。昔、昔、昔……グレイやロットの前では通用する言葉だが、カリンには通用しない、するわけが無い。だって彼女は〝昔〟を知らないのだから。
カリンだけじゃない。アリナやレイメイ、そしてアザミにドモンにリンだって、そうだ。
今の俺は昔のように、名前を出しただけで慕われ、若しくは、恐れられる存在では無い。王都の魔法学校で実技や勉学に励む学生。それ以上でもそれ以下でも無い。
その程度の存在が難易度が高く且つ危険だとされている魔法を使うと提案したところで誰が賛同する?
グレイは、それが分かっていたから黙っていたのだろう。この魔法を提案したところで反対されるのが目に見えているから。
それにしても俺は、そんなにも危険な魔法を平気な顔して部下達に使い続けていたのか。どのような確率で話に聞いたような無残な結果になるのかは知らないが……単に、これまでは運が良かっただけなのかも知れない。
(ロット、そろそろアザミさんの所に戻りましょう)
「…………」
グレイの言葉に対してロットは何も答えず、何か言いたげな表情で俺を一瞥した後、静かに部屋を出た。
グレイとロットが部屋を出たことで、残された俺とカリンの間に気不味い沈黙が走る。
こんな空気になったのは俺が原因なのだから俺が謝らなければと、頭では分かっていても口が開かない。
自分が謝ることに納得がいかないとか、プライドが許さないとか、そんなしょうもない理由では無い。……いや、ある意味、それよりももっと、しょうもない理由かも知れない。
(謝って……彼女は許してくれるだろうか?)
折角、普通に会話が出来るようになったのに。また、彼女は出会って間もない頃のような態度に戻ってしまうかも知れない。
だから、早く謝らねばと焦れば焦るほど、言葉が出てこない。そもそも、謝ると言っても何と謝れば良い?
悪かった? 次からは気を付ける? 考えれば考えるほど、どの言葉も謝罪としては相応しくない言葉に思えてくる。だが、このまま黙っているわけにもいかない。せめて、この無言を断ち切ることさえ出来れば……
「…………はぁ」
隣から聞こえた呆れの息に、身体がビクッと震えた。思わず隣に座る彼女を盗み見たが、思案顔を浮かべるばかりで俺の方などチラリとも見ない。それどころか、彼女は立ち上がって扉へと足を進めた。
「……アンタも来なさい」
「え、」
今の言葉は、俺に向けて言ったんだよな……?
「早く」
先ほどよりも強めの口調に、慌てて腰を上げる。扉まで来るとカリンは何も言わず、扉を開けて廊下へ。俺も、彼女の後を追うように部屋を出た。
廊下に出ても互いに言葉は無い。代わりに、足元の床が時折、ギシッと音を立てる。
足を進める方向からはアザミとリンの声が聞こえるが、話の内容までは聞き取れない。
いつもなら何も考えず歩く廊下。なのに今は、同じ歩幅で進むカリンが気になって仕方がない。
いつもなら数秒で辿り着く距離。なのに今は、まだ着かないのかと焦りさえ出るほどに長く感じる。
「……一応、言っておくけど私、もう怒ってないわ」
内心、嘘つけと思いながらも、口は固く閉ざす。
少し前に、あれだけ怒りを露わにした彼女を見たのだ。信じられるわけが無い。
「昔の私なら、アンタのこと最低って思って終わりだったと思う。でも……今は違う。まだ、ほんの少しだけど、アンタの事をそれなりに理解した今は」
予想外の言葉に、意図もせず足を止める。少しだけ前へと進んだ彼女も足を止め、振り返って俺を見た。
「内容自体に関しては今でも反対よ。とりあえず試しにって、軽い気持ちで出来ることじゃないから。でも、アンタが純粋にロット君の気持ちに応えようと思って出した答えだってことは分かる。……アンタは、そういう人だから」
これまで俺を見ようともしなかった彼女の瞳が俺を射抜く。深海のような深みのある青を含んだ、気品さの黒。
彼女の瞳には、情けないほどに動揺を露わにした俺が映っている。
「な、何よ、その顔は……い、言っておくけど、アンタの気持ちは分からないことも無いって言ってるだけで、あの魔法を提案したことに対しては許してないんだから! 失敗した時のことも考えて、ものを言いなさいよ、馬鹿!」
やっぱり、まだ怒ってるじゃないか。
心の中で生まれた言葉を飲み込んだ時、言うなら今しか無いと俺は漸く、閉じていた口を開いた。
「そうだな……ごめん」
思った以上に掠れていた自分の声に内心驚いたが表には出さず、彼女が聞き漏らさないよう、しっかりと彼女の目を見て告げた。
彼女は珍しいものでも見るかのように目を丸くして俺を数秒ほど見つめた後、コホンと態とらしい咳払いをした。
「わ、分かれば良いのよ、分かれば。……例の件、頼むわよ。私もだけど、アンタもしっかりしてくれなきゃ意味無いんから」
普段通りの彼女の声色に、強張っていた表情筋が次第に和らいでいく。
「ほら、早く行くわよ。時間が来るまでは、どうせ他にやることも無いし、私達もアザミさんの手伝いをしましょ」
それくらいなら私達でも力になれるでしょ。そう言って彼女は俺に背を向けて歩き出した。
彼女に気を遣わせてしまった。いや、もしかしたら試験に受かりたいが為の苦渋の決断だったかも知れない。でも、それでも、彼女に見放されたわけでは無いと分かって素直に嬉しい。
(寛大な対応をしてくれた彼女のためにも、この試験……全力で取り組もう)
そして、必ず共に合格を掴むと、前を行く小さく細い背中に誓った。




