139話_感情の衝突
ロットの温もりを感じて、数分……いや、十数分?
時計が無いせいか、時間の感覚が麻痺してきている。……そもそも今、何時だ?
そんな事を考えていたら、ベリッと勢いよくロットが剥がされた。
グレイに首根っこを掴まれたロットは、恨みを込めた眼差しで彼を見上げている。
(あぁ、良かった、良かった。そのような表情が出来るくらい回復したなら、もう大丈夫そうですね)
清々しいほどに棒読みで放たれた言葉に、ロットの額にピキリと青筋が立つ。だが、何も言わない。
口を閉ざしたまま、不満そうに口をへの字にしている。
恐らく、能力的にも体格的にも、グレイには敵わないと分かっているからだろう。
足掻いたところで滑稽な末路を辿るだけ。それが分かっているからこそ、彼は無難な手段での抵抗しか取らない。ある意味、賢い選択だ。
望んでいた反応と違ったのか、興味が失せたとばかりにグレイは早々に掴んでいた首根っこを離した。
(これで目的は果たしました。後は、あの鬼人に報告して……早く王都に戻りましょう)
側から見たら冷淡な言葉に感じるが、前世を含めれば長い付き合いのある俺には、すぐに分かった。今のは俺を想っての言葉なのだ、と。
本当なら今頃、俺達は飛び級試験に向けて色々と動き出している筈だったのだ。
只でさえ1週間という短い期間(しかも既に、その内の1日を消費している)中で、試験を受けるための最低条件である魔力融合を完成させなければならないのに、まだ意見交換すらしていない。
はっきり言って、この状況は非常に不味い。不味い、のだが……
(だからと言って、アザミ達を、このままにして良いのか……?)
また彼女を襲った者が村を攻めて来たら?
今度は右腕どころか、命を失ってしまう可能性だってある。
アザミだけじゃない。昔と同様、魔力銃を扱えるとはいえ、今のロットは幼い子ども。力技で来られたら、一瞬で抵抗の術を失うだろう。
また俺のいない所で、そのような事態になってしまったら……
(魔王様)
思考の迷宮へと自ら入ろうとする俺を咎めるかのようなグレイの念話が響き、不安定だった意識を取り戻す。
(数多の可能性を秘めた未来を想像していたらキリがありませんよ。今の貴方には、やるべき事があるでしょう。今は、その事だけに集中して下さい……貴方は、この世界でも多くのものを背負うつもりですか)
そんな大袈裟なと言葉を紡ごうとして……止めた。冗談でも本気でも、そう返すのは正解ではないと、グレイの真剣な表情で察したからだ。少なくとも、今の彼は世間話をしているような表情ではない。
(早く行きましょう。そして早く帰って、試験についての話し合いを……)
切り替えるようにアザミ達の待つ部屋へ向かってグレイが一歩を踏み出した時、彼の制服の裾をロットの小さな手が掴んだ。
「待て」
その言葉は俺ではなく、グレイに向けられたものだった。その証拠に、今の彼の目にはグレイしか映っていない。
「グレイ・キーラン、お前と話がしたい。少しだけで良い。僕に時間をくれ」
(嫌です)
迷いなく吐かれた容赦のない返答にロットが、あからさまに顔を歪める。
だが、ある意味、予想していた反応だったのか、次の策だとばかりに俺を見た。
「魔王さ……ライさん、少しだけ彼と話をする時間を貰えませんか?」
グレイに向けていた威圧的な声とは違い、どこか懇願するような声。ロットの行動で何かを察したのかグレイは、態とらしい大きな舌打ちを響かせた。
ロットに会ってから、やけに態度が悪くなったな。……もしかして、この2人、実は昔から仲が悪かったのか?
今更ながら思い返してみても、この2人が親しそうに話をしたり行動したりする場面に遭遇した記憶が無い。
(もしかして俺……余計な事した?)
確かに、俺が魔王だった頃の部下達は種族も年齢も様々だった。
しかし、だからといって特別大きな内部抗争も無かったから、割と平和的に過ごせていたと思っていたの、だが……
(あの頃の俺には、周りを見る余裕なんてほとんど無かったし……何なら、恨みの一つや二つ持たれても仕方ないくらい部下を酷使してたし……)
記憶を掘り起こせば掘り起こすほど、悪い方へと考えが傾いてしまう。
駄目だ、このままでは他人不信……いや、元部下不信になってしまう。時々グレイが、俺への当たりが強くなってしまうのは密かに抱えていた積年の恨みを少しずつ消化しているからだとか、普段なら考えもしない考えに辿り着く。
今は、それらしい態度は見せていないが、実はロットも……
ジッと彼を見つめるが、理不尽な疑惑をかけられた当の本人はキョトンと目を丸くして首を傾げている。
そういえばロットの先ほどの問いかけに対して、まだ返答していなかった。早く返さなければ……だが、何と返そう?
そもそもグレイの意志も聞かずに俺が勝手に許可を出して良いものなのか……?
疑心暗鬼に陥った俺は自分でも若干、引いてしまうほどに面倒臭い。
「………………」
返答に困っていると、グレイが頭をガシガシと乱暴に掻きながら、投げやりに息を吐いた。
(分かりました、分かりましたよ。ただ、この村には俺の都合で来たわけではないので、貴方が望むだけの充分な時間が取れるかは分かりません。それでも、よろしければ聞いてやりますよ)
態度どころか言葉遣いまで少しずつ悪くなっている。これは相当、機嫌が悪い。
(魔王様。申し訳ありませんが、ほんの少しだけ時間稼ぎをしてもらえませんか? 本当、〝ほんの少しだけ〟で構わないので)
無茶を言うなと、普段の俺なら言っていただろう。だが、今日の俺は、いつもとは違う。色々な意味で面倒臭いことになっている。
だから……
「……分かった」
グレイの頼みを素直に聞き入れる事しか出来なかった。
◇
2人が部屋に入っていくのを確認して、スカーレットと共に静かな廊下を歩く。
時間稼ぎをしろと言われたが、どうすれば良い?
ロットの件を報告したら俺達が、この村にいる理由は無くなる。報告した後は当然、〝よし、帰ろう〟という流れになるだろう。
そんな当然の流れを、どうやって、ぶった切れというのか。
何とも言えない息苦しさに耐えながら廊下を進んでいると、アザミ達の待つ部屋よりも先にカリンの姿を捉え、思わず足を止める。
足を止めた俺の代わりに、カリンが俺との距離を詰めてきた。そして、互いのパーソナルスペースを維持した微妙な距離で足を止め、不機嫌そうに少しだけ目を細めて俺を見上げた。しかも、仁王立ちで。
既に、悪い予感しかしない。
「……ちょっと話があるんだけど」
そう言うや否や、彼女は俺の腕を掴んでアザミ達のいる部屋と全く逆の方向へと進み始めた。




