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134話_新たな不穏の気配

 結局、一睡も出来なかったが……どこか清々しい。そんな不思議な朝を迎えた。

 今、俺は部屋を出て、寮内にある食堂へと続く長い廊下を歩いている。

 いつもなら生徒の声で賑わう場所が今日は人の声も気配も無いせいか、毎日見ている風景なのに、どこか別の世界へと迷い込んでしまったかのような不思議な感覚だ。

 窓から差し込む心地良い日の光を浴びながら進むこと、数分。

 廊下同様、人気がほとんど感じられない寂しげな食堂へと辿り着いた。

 そんな俺を迎えてくれたのは、いつも朝早くから生徒達の料理を作ってくれている寮母さん達だ。


「あら、ライちゃん! 今日も早いわねぇ!」


「だけど今日、学校は休みじゃなかったかい?」


 料理を手渡すカウンターから身を乗り出して、ニコニコと愛想の良い笑顔を見せている。


「学校は休みですが、少し用事がありまして……」


 あえて詳細は伏せると、2人は締まりのない表情で俺を見つめ始めた。


「おやぁ? もしかして、デートかい?」


 ある意味、予想通りの反応に俺は緩く首を振った。


「まさか……そもそも、デートをするような相手もいませんよ」


「またまたぁ! おばちゃん達、知ってるんだからね。〝ライちゃんが女の子達に人気〟だって、こと」


 どこの情報屋から得たものか知らないが、とりあえず其奴(そいつ)に言ってやりたい。

 〝根も葉もない噂程度の情報を、気安く他人に渡すな〟と。


「……この学校は男子が少ないですから、物珍しさで集まってくるだけですよ」


 時折、複数の女子から視線を感じることはあるが、それは俺に対してのものだけではなく、リュウに対して向けられているものもあった。

 俺だけが、というわけでは無い。


「んもぉ! ライちゃんったら、鈍いんだからぁ〜!」


「アンタもリュウも素直な良い子だからねぇ。女の子達が放っておくわけが無いね」


 キャッ、キャッと盛り上がる2人に、アハハと(そら)笑いをする。

 悪い人達ではないのだが、彼女達のこういうノリだけは、どうも苦手だ。


「……っと、いけないいけない! 朝食を食べに来たんだよね。すぐに準備するから、少しだけ待っておくれ」


 そう言うなり、彼女達は一も二もなく朝食の準備へと取りかかった。といっても、料理自体は既に出来ているようで、湯気だった料理を器によそっている。

 一体、彼女は毎日何時に起きて、俺達の料理を作ってくれているのか……しかも朝、昼、夜の3食分。

 それだけでも大変そうなのに彼女達は2人という少人数で寮の掃除まで担当している。こうして改めて考えると、彼女達の存在は本当に、ありがたい。


「はい、出来たよ」


 1分も経たぬうちに、目の前に四角いお盆に置かれた料理が差し出された。

 ちなみに今日のメニューは、ジャムニャと呼ばれる緑色のほの辛い木の実をすり潰して作ったスープと、ホークと呼ばれる獣モンスターの肉を味付けして野菜と炒めたホーランと呼ばれるシンプルな炒め料理。

 太陽と箱庭のような狭い庭のような空間が見られる窓際の席に着いて、出来立ての朝食の前で合掌をする。

 まずはスープをズズッと吸い、鼻腔を抜ける香ばしい風味を味わう。

 そして、口内にスープの風味を残したまま、湯気だったホーランへとフォークを伸ばす。


(……美味い)


 柔らかな肉の食感と、甘みと辛さが上手く融合された味付けに、思わず目元が緩む。

 美味しい料理に、目の前には広がる朝の長閑(のどか)な風景。食事が進まないはずが無い。

 食事を始めて20分ほど経った頃には、細かな野菜の欠片すら残さず完食してしまっていた。


「ご馳走様でした」


 綺麗に食べてくれてありがとうと目元に皺を寄せて笑う寮母達に見送られながら、俺は食堂を後にした。


 さて、朝食も終わったし寛ぎながら本でも読みたいところだったが、部屋の時計が7時15分を示しているのを確認して、その余裕も無いと分かると、すぐに出掛ける準備を始めた。

 実は、昨日……いや、今日の6時12分頃。机に置かれたパソコンが電子音を響かせたのだ。つまり、休日の早朝から、誰かがメールを送ってきたという事。

 メールを送ってきたのは、なんとアリナだった。メールの本文は、たったの1行。


 〝例の件は本日の8時、ギルドにて〟


 それだけである。

 このパソコンはルームメイトと共同で使う物であるため、恐らく分かる人にだけ分かる端的な文で送ってきたのだろう。

 メールは読んだ後、すぐに消した。下手に残しておくと、リュウが見る可能性もあるからだ。

 リュウを起こさないように、出来るだけ静かに準備を整えていると、スカーレットが飛び跳ねるようにベッドから降りた。


(ライ、ライ、オハヨ!)


 足下で飛び跳ねるスカーレットに静かにという意を込めて人差し指を口に添えると、スカーレットはピタリと止まった。


(リュウ、ネテル……シズカニ、シズカニ)


 俺の真似なのか、細く出した1本の触手を自分の前へと持ってきながら、そんな念話(テレパシー)を紡ぐ。その行動が何だか微笑ましくて、思わず口角が上がる。


(ライ、オデカケ? ……スカーレット、アソバナイ?)


「……あぁ、今日は遊べない」


 俺の言葉に、スカーレットの触手がシュンと垂れ下がる。

 ここ最近、クエストやら授業やらで構えなくなっていたというのに、更に飛び級試験まで追加されて余計に相手出来なくなって……何だか申し訳ない。

 リュウに頼むわけにもいかないし、何か策は無いかと思考を巡らせた時、ピンと閃いた。


(……スライム相手なら、試験のことを知られても特に問題は無いだろう)


 もし何か言われた時は、スカーレットを上手く説得して寮まで送り返せば良い。うん、そうだ。そうしよう。


「一緒に遊べないから退屈させるかも知れないが……お前も一緒に来るか?」


 その瞬間、スカーレットの触手がピクリと動いたかと思うと、尻尾のように大きく左右に触れ始めた。


(……ッ、イク! ライ、イッショ!)


 こうして、スカーレットも待ち合わせ場所に向かう事になった。

 主にアリナの対応が心配だが、その時は潔く諦めるしかない。

 午前7時23分。俺とスカーレットは出来るだけ音を立てないように、部屋を後にした。


 ◇


 ギルドへと辿り着いた俺達は建物の中へと入り、辺りを見渡して彼らを探す……必要も無かった。何故なら、アリナ、グレイ、カリンの姿どころか受付にいる職員存在以外、誰も見当たらないのだから。


(端の方で待っ……いや、入り口の方が見つけやすいか)


 そんなことを考えながら、入り口まで戻ろうと方向転換した瞬間。


「ぐぉ、っ?!」


 背中に強い衝撃が走り、バランスを崩してしまった俺は、そのまま床に倒れ込んでしまった。

 咄嗟な事とはいえ、支えきれず倒れてしまうとは、何とも無様な……


「っ、ご、ごめんなさい!」


 あからさまな湿り声、そして、どこか聞き覚えのある声に、思わず顔を上げた。


「……リンさん?」


 顔を上げると、異様なまでに顔を蒼白させたリンと目が合う。

 大きく見開かれた彼女の目からは、ボロボロと大粒の涙が途絶えることなく流れ続けていた。

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