133話_真夜中の打ち明け話
※今回は、少し長めです。
僅かな光もない真っ暗な部屋。
ベッドの軋む音さえ出すのが躊躇われる闇の中でも、置き時計だけはカチコチと一定のリズムで時を刻んでいる。その時計が示す現在の時刻は、3時58分。
……どうやら、なんとも中途半端な時間に目が覚めてしまったらしい。
朝を告げる太陽よりも早起きをしたのだ。今から二度寝をするくらい、許されるだろう。
再び寝るために、出来るだけ音を立てないように少しだけ上半身を起こし、横になる向きと体勢を変えようとした瞬間。
「っ、?!」
声にならない驚きで、大きく身体が震えた。
まさか向きを変えた瞬間、上半身だけ起き上がって、どこか遠くを見つめているリュウが視界に入ってくるとは夢にも思うまい。
俺よりも遅く起きることが多い彼が。しかも、こんな暗闇の中で。
覚醒しているのか寝惚けているのか分からない儚げな表情は、部屋の出入り口の扉の方へと向けられている。
何かあるのかと視線だけ彼と同じ方向を向けるが、そこには扉と、扉の近くに置かれた低い背丈の洋風箪笥。そして、そのローチェストの上に置かれた妖精薔薇……目に付く物は、それくらいだ。
ちなみに、いつもなら近くに花冠も置かれているのだが、今は、枕元で潰れたように眠るスカーレットの近くに置かれている。
何も、特別は物は無い。目の前に広がる物は全て、俺にとっても彼にとっても、見慣れている光景の一部に過ぎない。
それなのに彼は、まるで得体の知れない何かに取り憑かれたかのように、枯れ葉のような黄朽葉色の瞳に、いつもより物悲しく感じる日常の一部を映している。
リュウから発せられる独特な雰囲気に声をかけて良いものか悩んでいると、漸く俺の存在に気付いたリュウが、ゆっくりと、こちらに顔を向けた。
「……あれ、起きてたんだ?」
初めてリュウの存在に気付いた時、こっちはそれなりに驚いたというのに、リュウは、その素振りすら見せなかった。普段は、よく小さな悲鳴を上げているくせに。
「あぁ……珍しいな。お前が、こんな時間に起きてるなんて」
今日は雨が降るかもなと、窓から見える空を見上げながら言うと、リュウは小さく笑った。
「オレだって、偶には早起きくらいするって」
「俺としては〝偶には〟ではなく〝毎日〟してほしいんだがな。毎回、起こす俺の身にもなれ」
俺の心からの言葉に対して、リュウは軽く笑いながら謝罪の言葉を漏らすだけ。その口調からして、今後も改善する気は無さそうだ。
暗い部屋のせいなのか、それとも、この時間帯のせいなのか。口調は普段と変わらないが、彼を取り巻く雰囲気が、いつもと違うような気がする。
「そういえば、さっき何を見てたんだ?」
「え?」
「ボーッと見てただろ。あの辺りを」
再び入り口の扉付近に視線を向けると、リュウは納得したような声を漏らす。
「……やだわぁ、ライちゃんったらぁ。もしかして、ずっと寝た振りしてオレのこと見てたのぉ?」
「茶化すな」
自分の身体を抱きしめながら身体をくねらせるリュウに思わず眉間に皺を寄せる。
俺の反応に満足したのか、すぐに彼は気持ちの悪い動きを止めた。
「……お前が、もう一人の王子から貰ったっていう薔薇を見てた」
ひっそりとした暗闇に似合う、物悲しい声。
小声で話しているから、そう感じるのかと思ったが……彼の表情を見る限り、それだけが原因ではないように思えた。
「この薔薇といい、あの時の縄張り花といい……最近、懐かしい花ばかりに出会うなって」
「懐かしい?」
「あぁ、どっちの花もオレの故郷で、そこら中に咲いてたからな。こっちじゃ珍しいみたいだけど」
やはり、アザミやアレクシスが言っていた〝フローレス〟と、リュウは無関係では無かったようだ。
リュウがピクシーであるという事は模擬決闘を挑まれた時に聞いていた……が、それ以来、彼が自らの口で自分のことを語った事は、ほとんど……いや、全く無かった。
これは好機だと、俺は問いを投げかける。
「リュウの故郷って、どんな所なんだ?」
「どんなって言われてもなぁ。見渡す限り、花ばっかのつまんねぇ所だよ」
予想通りといえば、予想通りの答え。正直、もう少し具体的な情報が欲しかった。
ここは、少し変化を加えて攻めよう。
「……故郷が恋しくなったりしないのか?」
リュウも俺と同様、クエスト等の特別な用事以外での外泊は、これまで1度も無い筈だ。
俺でさえ、ふとした時には、マリアやマナとマヤの事を考えてしまうのだ。リュウだって、両親や友人の1人くらい思い浮かべる事もあるだろう。
彼の事だから〝そんなの当たり前だろ〟と恥ずかしげもなく返してくると、そう思っていたが……
「いや、全く。だって帰ろうと思えば、いつでも帰れるし」
「…………は?」
予想外の返答に、反応が数秒ほど遅れてしまった。そんな俺の反応に、リュウは心底不思議そうに首を傾げる。
「あれ、言ってなかったっけ? オレの故郷は花の中にあるんだよ。つまり、花が咲いてる場所は全部、故郷への入り口ってわけ」
…………????
彼は、俺を揶揄っているのだろうか? そう問いかけたいほどに、彼の言葉が理解できない。
今の俺の表情は、嘸かし滑稽な様になっている事だろう。その証拠に、俺を見つめるリュウの表情は、どこか楽しそうだ。
「意味が分からないって顔だな。まぁ、ある意味、予想通りの反応だけど……何かライが、そういう表情するのって珍しいな。しかも、その表情をさせてるの、オレなんだよな」
クックッと肩を震わせて笑うリュウを一瞬だけ見て、顔ごと視線を逸らす。今の俺は、自分でも分かるほどに拗ねた餓鬼のような不満の表情を浮かべているから。
逃げるように、いそいそと布団の中へ身体を押し込める。
「え、また寝るのか? 折角、明日……いや、もう今日か。今日も休みだし、もう少し一緒に起きてようぜ?」
こちらの気も知らずに淡々と提案するリュウに、〝遠慮しておく〟とぶっきらぼうに言葉を返す。
本当は、もっと色々と聞きたかったが……今は、その気すらも、すっかり萎えてしまった。
もう一度寝直そうと、リュウに背を向けて横になろうとした瞬間。
「あのさ実はオレ、今日まで、ずっと気になってて……だけど、誰にも言えなかった事があるんだ」
何かが喉に詰まったような声色に、思わず再び上半身を起こして、リュウの方へと振り返った。
「セイリュウ族の村にあった縄張り花……あの花にはもう一つの名前があるんだ。危険を予知する花って言うんだけど」
あの物騒な花に、そんな名前があったとは。そもそも、危険を予知する云々以前に、あの花そのものが危険な気もするが……
「あの花はさ、普段は、そこらの花と変わらない見た目をしてるんだ。あの形態になるのは非常事態だけっていうかさ……兎に角、あの姿になる事は滅多に無いんだよ」
「……何が言いたい?」
遠回しな言葉を紡ぐリュウに痺れを切らし、率直な疑問を投げかける。リュウは唇を少しだけ強く絞めた後、意を決したように小さく口を開いた。
「始めは、オレ達があの村に入ろうとしたから、あの花が現れたんだって思ってた。でも、時間が経って改めて考えてみたら、それは無いって気付いたんだ。あの形態は、部外者であるオレ達が侵入したくらいじゃ現れない事を。そして、あの形態は、もっと凄まじい……言葉では言い表せないほどの強い〝悪意〟みたいなものを持った存在に反応する事も」
「悪意?」
「要するに、あの時、あの村の近くにはオレ達以外の誰かがいたって事だよ。しかも……あの村にとっては厄介な招かれざる客が」
リュウの言葉で思い出したのは、あの花を一撃で沈めた銃声音。あの銃声音は、結果的に俺を助けてくれた。少なくとも、彼の言う〝悪意らしきもの〟が含まれていたとは思えないが。
「お前が異常なまでに、あの花に怯えていたのは、それが原因か?」
彼が怯える姿は、よく目にしていた。だから俺は初め、リュウは、あの花が恐ろしいと知っていたから。声も身体も震わせていたのだと思っていたが、それは勘違いだった。
彼が本当に恐れていたのは、縄張り花が思わず、あの化け物の姿を見せた〝原因〟の方だったらしい。
あの時、花が化け物の姿になった時点で、俺達の近くに恐ろしい何かが潜んでいると分かったから。だから彼は、縄張り花を見た瞬間、戦意を喪失したように花の名を口にしたのだ。
リュウは口を閉ざしたまま、小さく頷く。やはりと納得した俺に、新たな疑問が生まれる。
(それじゃあ、あの花は……何に反応したんだ?)
一瞬、魔王の能力の存在を疑ったが、それはリュウの言った〝悪意〟には当てはまらない。何故なら俺はもう、無差別に破壊を繰り返す化け物では無くなったから。
それならば、あの花は誰の、どのような悪意に反応し、あの姿となっただろう? 俺を助けたと見せかけて本当は、あの銃声音の主が、あの花を化け物に変えてしまった元凶だったのだろうか?
……分からない。何しろ情報が少ない上に、その得ている数少ない情報は霧がかかったようにボンヤリとしている。そんな状態で推理したところで、結局は俺の想像で終わる。
(……頭を悩ませるだけ無駄、か)
だが、僅かばかりでも情報は手に入れられた。そこは、リュウに感謝だ。
「あの花の近くにある村にはアザミさん達がいるだろ? それに、他の人達だって……みんな良い人達だったからさ。もし、何かあったら……っ、いや、もしかしたら、もう既に何か」
「リュウ」
悪い方へと妄想を膨らませていくリュウを呼び止める。その声でハッと我に返ったリュウは、ごめんと小さく呟いた。
「……お前も寝ろ」
「……うん」
そう言って再び横になるが、この状態で眠れるわけが無い。リュウも同じなのか、時折、ベッドを軋ませている。
内側を侵食するモヤモヤした物体を吐き出すように、大きく息を吐いた。
「……気になるなら、明日にでも会いに行けば良いだろ」
その瞬間、ギシッとベッドが大きく軋む音がした。
「そうか! 一度、足を運んだ場所なら瞬間移動を使えば行けるのか!!」
その手があったかとばかりに感嘆の声を漏らすリュウに、俺は肩を竦めて目を閉じる。
「丁度、明日は休みだし……一緒に行こうぜ、ライ!」
「すまん、明日は用事がある」
あからさまに落ち込んだような声が背後から聞こえたが、こればっかりは、どうにもならない。
「……その用事って、早く終わる?」
「さぁ、どうだろうな」
行ってみないと分からないと付け加えれば、彼から諦めに似た溜め息が聞こえた。
「一人で行けば良いだろ」
「いや、だってオレ一人で行ってもさぁ……」
よく分からん奴だ。さっと行って、さっと確認すれば済む話なのに、何を躊躇う必要がある?
だが、正直、アザミやロット達のことは、俺も気になる。
「……分かった。明日の用事が早く終わったら、俺も一緒にセイリュウ族の村に行く。それで良いだろ」
「っ、本当か?! 絶対だぞ、約束だからな!」
果たして、〝明日の用事が早く終わったら〟という俺の言葉は、彼の耳まで届いていたのだろうか?
満足したのか、今から就寝するとは思えないほどに明るい声で〝おやすみ〟と告げた瞬間、彼からは寝息らしい穏やかな呼吸しか聞こえなくなった。
(まさか……もう寝たのか?)
心配性なんだか能天気なんだが……
思い出したように置き時計を見上げると、針は既に4時30分を過ぎていた。思っていたよりも、長く話し込んでしまっていたらしい。
今日から早速、試験についての話や準備を進めていかなければならないというのに。しかも、昨日は集合時間も場所も決めずに解散してしまったため、いつ、どのような知らせを受けても良いように、朝から余裕を持って行動する必要がある。
(………………)
目を閉じて、訓練された兵隊の行進のように規則正しい時計の秒針に耳を傾ける。時計の音に意識を集中させる事で、意識を睡魔から遠ざけようとしているのだ。
しかし、その必要は無いかも知れない。何故なら、既に俺の脳内は、幼い子どもによってぶち撒けられた玩具箱の中身のようにグチャグチャだから。
飛び級試験、魔力融合、フローレスに縄張り花……つい、あれこれと考えてしまって最早、眠気すら来ない。そんな状態が続いて、更に、どれほどの時間が経っただろう?
気付いた時には、漆黒の闇を浄化する優しい光が世界を包み始めていた。
飛び級試験まで、あと6日。




