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132話_一時の安らぎ

 一週間後に控えた飛び級試験。試験当日までの貴重な一日目のほとんどは、予想外だらけの昼食時間によって奪われた。

 主に精神的な意味で限界を迎えようとしていた俺達を淡い赤黄色に染まった空が迎えてくれている。

 店に入った時は爽やかな青い空が広がっていたのだから、本当に相当な時間を、あの空間で過ごしたのだと改めて思い知らされ、こればかりは溜め息を吐かずにはいられない。

 店を出る直前、投げキッス付きで「また来てね♡」とラビィに言われたが恐らく俺が、あの店を訪れることは二度とないだろう……多分。


「空腹は満たされたし、料理も文句の付け所が見当たらない程に美味しかったが……疲れたな」


 アリナの言葉に全員が迷いなく頷く。


「本当は、今日から色々と取り掛かりたかったのだが……」


 言葉を切って彼女は空を見上げる。

 時間も時間だ。それに何より疲労した今の状態で話し合いや特訓をしたところで良い案や結果が出せるとは思えない。


「……君達には非常に申し訳ないが、今後の計画や準備については明日から取り掛かろう。幸い、明日は学校も休みだしな。今晩のうちに私の方でも粗方、計画を建てておく」


 彼女の提案に、異論を唱えた者はいなかった。


 ◇


 アリナとカリン、そして寄る場所があるからとグレイとも別れ、1人で寮へと帰ってきた俺は部屋の扉まで、あと数メートル程度の場所で足を止めた。


(……何をやってるんだ、アイツは)


 目の前には両膝立ちになって少しだけ開けた扉から部屋の中を覗き込む不審者……ではなく、リュウの姿が。

 開かれた扉越しから部屋を見つめる彼の口元が僅かに歪んでいて少し……いや、かなり不気味だ。

 これが名前も知らない他人であったならば、一定の距離を保ちながら、速やかに通り過ぎていた事だろう。

 しかし一応、彼はルームメイトであり、何より、このままでは俺が部屋に入れない。

 関わりたくないと心の中で何度もボヤきながら一歩ずつ彼との距離を詰めていく。

 疲労のせいなのか、それとも精神的なもののせいなのか、足が重い。

 それでも何とかリュウの背後にまで来る事が出来たが、彼は未だに部屋の中の様子を窺うのに夢中で俺に気付いていない。


「……おい、何をやってるんだ。こんな所で」


 態といつもよりも低い声で言葉を紡ぐ。

 すると彼はビクリと身体を上下させ、恐る恐る後ろを振り返った。


「……っ、な、なんだ、ライか。脅かすなよ」


 俺だと分かった瞬間、胸を撫で下ろしたかと思うと、口元を緩ませながら俺の制服の裾を引っ張った。


「なぁなぁ、お前も見てみろよ。癒されるぜ」


 わけも分からぬまま、開かれた扉の僅かな隙間を無理やり覗かされる。

 ただでさえ疲れているのに勘弁してくれと心で愚痴を零しながらも、部屋を覗いた。


 部屋の中央で、スカーレットが身体を震わせている。

 それは、いつもの事だ。何も珍しいことでは無い。

 ただ、いつもと違ったのはスカーレットの上に置かれた花冠。

 二本の触手で器用に花冠を操作しながら自分が納得のいく位置を探しているようだ。

 暫く、その様子を見守っていると漸く納得のいく位置が見つかったのか、触手を引っ込めた。

 ちなみに鬼人(オーガ)の少女から貰った冠の花は小ぶりで控えめな容姿でありながらも懸命に咲き誇っている。

 本来ならば既に萎れて枯れ果てている儚い命だが、あの花冠には時間固定魔法(フェッセルン・タイム)を施している。

 例え、どんなに時間が過ぎようとも、あの花冠の時間だけは止まったまま……つまり俺が生きている限り、或いは魔法を解かない限りは、いつまでも美しい花の姿を保てるという事だ。


「な、癒されるだろ? さっきから、ずっと、あれの繰り返し。ああいう所を見ると、普段は何とも思わないスライムでも可愛く見えるもんだな」


 〝さっきから〟というのが具体的に、どれほどの時間を指しているのかは分からないが、少なくとも、ほんの数分程度で無いことは、彼が肩に下げている通学用の鞄を見て察した。

 ……愛らしいと思う気持ちは分からないでも無いが、それよりも今は、早く部屋で(くつろ)ぎたい。

 中途半端に開かれた扉を思いきり開くと、スカーレットがビクリと身体を震わせ、その振動で花冠がパサリと床に落ちた。

 部屋の中へと入る俺の背後では、情緒が無いだの、お前には人として〝何かを愛おしむ〟という心は無いのかだのと、リュウの(とが)り声が聞こえるが全て無視。

 そういった類の感情は、魔王だった頃()に置いてきた。

 スカーレットは俺を見上げながら、僅かに後退している。細く小さく出された触手が、今のスカーレットの感情を表しているかのように宛てもなく右往左往していた。

 もしかしたら、勝手に花冠に触れたから俺が怒っているのだと勘違いしているのかも知れない。

 普段通り、スカーレットに声をかける。


「ただいま、スカーレット」

 

 行き場を無くして彷徨っていた触手がピタリと止まる。そして、その弱々しい触手は恐る恐るといった感じで、俺の方へと伸ばされる。


(ライ……オコッテ、ナイ?)


 相変わらずの機械音声の中に僅かに混じった不安。あれから色々と調べた結果、どうやら万能(オールマインド・)念話(テレパシー)は、使い慣れていくと少しずつ機械音声から人間らしい自然な声色へと変化していくらしい。

 最近は、今のように僅かながらも感情が現れる時があるから、スカーレットの感情が少しだけ読み解き易くなってきた。

 ……まぁ、〝人間らしい自然な声色〟までの道のりは、まだまだ遠そうだが。

 怒ってないという意味を込めて首を小さく横に振り、床に落ちた花冠を拾い上げる。拾い上げた花冠を、そっとスカーレットの頭に乗せた。


「似合ってるぞ、花冠」


 そう言って小さく微笑んだ瞬間、主に顔面を中心に柔らかな衝撃が襲った。


「相変わらず、仲良いねぇ……」


 完全に蚊帳の外だと言わんばかりに本心半分、揶揄い半分で言葉を零したリュウの存在を、俺は見逃さなかった。

 スカーレットを顔から引き剥がし、リュウを指さす。


「スカーレット。リュウも、お前に構って欲しいみたいだぞ。俺にした事と同じ事をしてやれ」


 次の瞬間、スカーレットは俺から離れ、ビシャッという音と共にリュウの顔へと、へばり付いた。


「ぶへばぁ?!」


 リュウの、くぐもった声が聞こえる。

 顔に張り付いたスカーレットを必死に引き剥がそうとするが、引っ張ったビヨンと伸びるだけで剥がれる気配は無い。

 俺の時とは比べものにならない程の力で引っ付いているようだ。


(リュウ、コレ、スキ? ……ダメ! コレ、スカーレット!)


 一瞬、何のことを言っているのかと首を傾げたが、リュウから遠ざけるように花冠を上へ掲げるスカーレットの姿を見て、全てを察した。

 どうやらスカーレットには、リュウの抵抗が自分から花冠を奪おうとしているように見えたらしい。だから、スカーレットも奪われないように花冠を上へ上へと持ち上げる。

 見事に噛み合っていない両者のやり取りに、思わず吹き出した。

 スカーレットを引き剥がすのは無理だと分かったのか、今度は俺に、早く助けろと手で合図を送っている。

 ……正直、もう少しだけ、この光景を堪能したかったのだが、仕方がない。


「スカーレット」


 名前を呼ぶと、スカーレットはリュウから離れ、俺の元へと跳んだ来た。

 真上へと掲げていた花冠は、再び、スカーレットの上へと乗せられる。


(ライ、ミテミテ! カッコイイ? カッコイイ?)


 ……正直、格好良いよりも可愛いの方が合っていると思うが、あくまでスカーレットが求めているのは〝格好良い〟という言葉らしい。


「……本当に気に入ったんだな、その花冠。今時、花冠で喜ぶなんて、小さな女の子くらいかと思ってたけど……」


 リュウが呆れたように言葉を漏らした瞬間、嬉しそうに揺れていたスカーレットの身体が、ピタリと止まった。まるで、リュウの言葉に反応したかのように。

 だが、それは、ほんの一瞬のことで、すぐにまた花冠を時折持ち上げながら、俺の周囲を飛び跳ね始めた。


(……気のせい、か?)


 この時、疑問と名乗るには程遠い小さな違和感が、俺の中で芽生えた。

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