130話_世間話も、ほどほどに
目の前の光景に多くの疑問を生みつつも、改めてラビィという女を見る。
鎖骨より短く、どこか妖艶さを醸し出す本紫色の髪。薄い麦わら色の瞳を持ち、微かに歪められたガーネット色の唇の左下には小さな黒子が。
アリナの発言で彼女が何者なのかは分かったが、俺が最も気になっているのは彼女とグレイの関係だ。
何故、彼女はグレイを敵視するように睨みつけている?
何故、グレイは逃げ場を失った獲物のような様子を見せながらも、彼女を見つめ返している?
しかし、彼らを見て戸惑っているのは俺とカリンだけのようで、アリナは気にするどころかグラスに入った水で喉を潤す余裕を見せている。
「あぁ、でも……猫背な姿勢と、その鬱陶しい前髪で目を隠しているのは変わらないのね」
……さっきのは、動揺した俺が見せた幻覚だったのだろうか?
今の彼女からは、ついさっき感じた海の底のような冷たさも重々しさも感じない。寧ろ、弟を心配する姉のような……呆れの表情の中に優しさが垣間見えている。
『そう……ですね』
グレイとラビィ……両者の間に現れたホワイトボード。
普段はグレイの意思疎通手段の1つとして用いられているが、今は彼女から彼を守る盾としての役割も果たしているようだ。盾と例えたソレは随分と弱々しく、見るからに頼りないなりだが、少なくとも今の彼にとっては離せない存在らしい。
「相変わらず勿体ないことしてるわねぇ。今からでも、ワタシの能力で無理やり貴方を調きょ……変えてあげましょうか?」
『全力で遠慮させて頂きます』
よく分からないが、俺の知らない所で彼も苦労していたようだ。
一瞬、聞こえかけた不穏な単語については、あえて何も触れないことにする。
「まぁ、確かに……今の貴方を見る限り、その必要も無さそうね。表情は柔らかいし、雰囲気も良くなってる。人1人寄せ付けさせないくらい暗くて負のオーラみたいなのを背負ってた頃の貴方とは大違いよ」
確かに思い返すと、この世界で初めて会った彼は何というか……正直、気味が悪かった。
まぁ、そう思ったのは一瞬のことで、彼の正体を知ってからは、そのように思ったことは無いが……
「貴方が変わったのは……隣にいる〝彼〟が関係してるのかしらぁ?」
ラビィと視線が重なる。
何かを期待するように目を細めた彼女を見て、何かを察したのかアリナが慌てて口を開く。
「っ、ライ・サナタス! 目を閉じろっ!!」
焦燥に駆られた彼女の叫びも虚しく、俺は、しっかりと彼女の目を見てしまった。
白ワインのように繊細な淡さを放つ色を秘めた瞳。その瞳の先には、小さな自分がいる。
「へぇ、貴方……ライって名前なのねぇ。ねぇ、ライ。教えてくれないかしらぁ? 貴方とグレイは、どういう関係なの?」
彼女の瞳に映る自分が少しずつ鮮明に、そして大きくなっていく。
蜂蜜のようにねっとりとした声に脳が麻痺して……って、俺が大人しく彼女の能力の虜になると思ったか?
今、俺の周囲には特殊な結界が張られているのだ。元とはいえ、魔王だった頃の力。サキュバス程度に破れるわけが無い。
自分の頬へと伸ばされた彼女の手を取り、もう片方の手で無理やり握手を交わす。
面食らったように目を丸くした彼女に、俺は先ほどのファミリーレストランの店員と張り合えるであろう見事な営業スマイルを披露した。
「初めまして、ラビィさん。ライと申します」
まずは自己紹介。そして、彼女が正気を取り戻す前に質問の答えへ。
「それから、先ほどの質問の件ですが……俺とグレイ先輩は単なるクラスメイトで且つ先輩後輩というありきたりな関係です。貴女が期待しているような情報は、何も出ないと思いますよ」
我ながら完璧な回答だ。
営業スマイルを意識し過ぎて少々、怪しさを匂わせている部分もあったかも知れないが、答えるべきものには答えた。
だから、この件に関しては、これで終わりにしてほしい。
「………………」
呆然とした表情でラビィが俺を見つめ、先ほど声を上げたアリナは信じられない光景でも目の当たりにしたかのようにパチパチと瞬きを繰り返している。
ちなみに視界の端では、何故かグレイが得意げな表情を浮かべて何かを噛みしめるように何度も頷いていた。
「……あ、あら? もしかして今日、ワタシ調子悪いのかしら? ……いえ、そんなはずは無いわ。だって他のお客様には、ちゃんと……」
大方、自分の能力が俺に効いていないことが分かって混乱しているのだろう。
「な、何ともないのか? ライ・サナタス……変な感じがするとか……」
「いえ、全く」
前もって特殊結界を張っていて良かった。
結界無しで、あの能力を受けてしまっていたら、流石に今の姿勢を保ってはいられない。
「もしかして貴方、耐性能力持ち……?」
「いえ、それは無いと思います。彼は、まだ〝追加能力獲得試験〟は受けていない筈なので」
……追加能力獲得試験?
(そんな試験が、あるのか……)
称号取得試験というものは入学初めの頃にビィザァーヌから聞いていたが、その試験は確か、初耳だ。
「え、それじゃあ……」
『結界ですよ。ラビィ会長』
そうですよ、ラビィかいちょ……って、は?
解答を示したグレイの文字に同意を見せようとした瞬間、今度は俺が呆気に取られたようにホワイトボードを食い入るように見つめる。
「あらあら、懐かしいわねぇ……でも、もう、その呼び方は止めて頂戴。今の生徒会長はアリナちゃんでしょう」
『すみません。でも、これ以外の呼び方は、どうも違和感が……』
「あら、普通に〝ラビィさん〟で良いじゃない。あ、それとも……思い切って〝ラビィたん♡〟って呼んじゃう?」
『いきなりは難しいかも知れませんが、これから少しずつ慣れていきますね。〝ラビィさん〟』
少し前までの、あの視線のやり取りは何だったのか……
思わず、そう問いかけたくなる2人のやり取りに、俺は完全に蚊帳の外へと追いやられていた。
……いや、それよりも、だ。今、生徒会長がどうのこうのと聞こえたが……
「それにしても結界ねぇ……盲点だったわ。ま、今ので、いつもは可愛いくらい真っ赤になるグレイが何とも無い理由も分かったわ。どうせ効かないなら変に取り繕う必要は無いわね。……改めまして、ワタシはラビィよ。数年前まで貴方達と同じく魔法学校に通っていたわ。これでも一応、生徒会長をしてたのよ。今は、この愉悦の間……と、貴方達が最初に入ったファミリーレストランを経営しているわ」
話の流れで予想はしていたが、やはり彼女は生徒会長だったらしい。しかも此処だけでなく、あのレストランも彼女の領域だったらしい。
それにしても、サキュバスが生徒会長…………大丈夫だったのか? 主に、風紀的な意味で。
「今回の対象者も優秀みたいね。うんうん、先輩としても鼻が高いっ!」
「……対象者?」
首を傾げるカリンに、ラビィのニッと笑って彼女の耳元へと顔を近付ける。
「〝飛び級試験〟のことよ。貴女達、受けるんでしょ?」
決して大きくはなく、だが、俺の耳にも充分に届く音量。
そんな器用な声量で紡がれた言葉に素直に驚く俺とカリンに、ラビィは意地の悪い笑みを浮かべている。
「あ、やっぱり、そうなのねぇ! うふふ、〝どうして知ってるの〟って顔してるわね。その答えは、とっても単純。前に、ワタシも受けたからよ」
〝こう見えて結構、優秀だったんだから〟と、彼女はパチリと片目を閉じた。
「そろそろ、そんな時期ねぇ、って考えてたところだったの。で、今回は誰が受けるのか、そもそも受けられる人はいるのか……気になって気になって仕方なかったから久々の学校見学と称して、調べに行こうかと思ってたんだけど、手間が省けちゃったわ」
そう言うなり、彼女は何かを思い出したかのように、慌ててカリンから離れた。
「あら、いけない! そう言えば貴方達、お昼を食べに来たのよねぇ? 先輩の長話の付き合わせちゃったお詫びと情報提供の御礼よ。お昼は御馳走させて♡」
確かに、そろそろ腹が空腹という域を通り越して新たな悟りを開こうとしてはいたが流石に、そこまでは……
そんな思考の声も虚しく、彼女は俺達の返事も聞かずに店の奥へ颯爽と姿を消した。
今更ながら昼食を食べに来たのだと、本来の目的を思い出した瞬間、俺達は同時に脱力した。
ぐぅ、と腹の虫が鳴いた気がするが、それが自分からなのか他人からなのかも分からない。
それに先ほどから、何やら聞いている自分まで恥ずかしくなるような、変な呪文のような幻聴まで聞こえている。自分が思っているよりも、色々と限界を迎えているのかも知れない。
とりあえず今は、ラビィの言葉に甘えて大人しく食事が運ばれて来るのを待とう。
そうして待っている間、俺は視界も聴覚も含めた全ての情報を一時遮断するため、机に突っ伏した。




