128話_彼らは、ただ昼食を食べに来ただけ
ジュージューと焼かれている肉の音と匂い。
オープンテラスの机に並べられたパフェやケーキ。
それらに釣られるように店へと吸い寄せられる人、人、人。
今日も祭り並みに市場や、その付近は賑わっている。
そんな中に身を置いているにも関わらず、アルステッドから出された課題が未だに何度も脳内で再生される。
──君達の飛び級試験の合格条件は……〝君達2人の魔力融合を完成させること〟。
授業で習ったばかりだから知識等に関して、ある程度の把握は出来ている……が、だ。
(これは、単純に能力や知識があれば良いという問題では無いからな……)
リュウとならば何とかなったかもしれないが、相手はカリンだ。
まさか最近になって、漸くまともに言葉を交わせるようになった相手と、心の繋がりが重要とされる魔力融合を行うことになるとは。
「ライ・サナタス、カリン。この後、何か予定はあるか?」
「いえ、特には……」
「……私も、ありません」
俺達の反応にアリナは、それは良かったと頷いた。
「試験の詳細や今後についての話をしたい。もし良ければ、今から私達と昼食をとらないか?」
それは、ありがたい。
俺もカリンも、アリナの提案を即座に受け入れた。
◇
アリナの案内で辿り着いたのは、そこらでよく見かけるファミリーレストランだった。
「ここは以前、リカル……知り合いに勧められた場所なんだ。ずっと気にはなっていたんだが、中々、都合がつかなくてな……」
一瞬、何かを言いかけたようだか、誰も何も触れない。気付いていないのか、それとも相手がアリナだからなのか……ちなみに、俺は後者だ。
「え、あの、それって、つまり……アリナ会長も、ここで食事をした事は……」
「無い」
キッパリと言い放ったアリナに、俺とグレイは顔を見合わせた。
(……いくら、その〝知り合い〟というのが信用できる相手だからといって、普通、自分も食べた事がない店を食事場所に選ぶか?)
1人もしくは仲の良い友達となら、まだしも……ただクラスが同じという程度の微妙な関係で繋がれた俺達と。
(普段、外食をされない方らしいので……恐らく、興味本位という奴でしょう)
……そんな単純な結論で良いのだろうか?
不安は拭えないでいたが、とりあえず今は空腹を満たしたい。
初めて入店するとは思えないほどに迷いなく入っていったアリナに続いて、俺も店の中へと入った。
◇
はてさて……何故、こんな事になってしまったのだろう?
使用人の格好をした女性だらけの空間で、俺は必死に思考を巡らせる。そうでもしていなければ、正気を保てなくなりそうだから。
(魔王様……俺、帰りたいです)
俺だって帰れるものなら、帰りたい。
どうやら、この店……表は家族とも友人とも気軽に利用できる和気藹々としたファミリーレストランだが、それとは全く違う〝裏の顔〟が存在していたようだ。
事の発端は、十数分前。
てっきり近くの空いている席に案内されるかと思いきや、アリナが店員に何かを耳打ちした途端。
「合言葉をお持ちのお客様、御来店でーす! 〝愉悦の間〟へ御案内致しまーす♪」
「ハ、ハッピ……?」
入店時よりも輝かしいスマイルが添えらた店員による声高らかな案内は、食事中の客の耳には入っていないのか、誰も視線を向けない。
色々と聞きたい事はあるが……さっきの〝ハッピー何とか〟って……何だ?
「では、こちらからどうぞ♪」
こちらと、店員が手を差し出した方向を見ると、先ほどまで何も無い壁だった筈の場所に、いつの間にか扉が。
「この扉を潜ると、少しの間だけ薄暗い階段が続きますので、お足元にご注意ください」
外装的に、この建物に2階は存在しない……と、なると地下か?
俺の予想通り、開いた扉の先に続く階段は上ではなく、下へと続いていた。
ただ、薄暗いどころか、その世界は階段以外、真っ黒に染められている。
「あの……この階段は、どこに繋がってるんですか?」
どこか不穏な空気が漂う空間に、思わず店員に問いかける。
「愉悦の間ですよ?」
いや、だから、その〝ハッピー何とか〟って何だ。
(……とりあえず先へ進んでみませんか? 万が一、何か起こった時は、俺達で対処していきましょう)
……そうだな。前世で、死ぬまでずっと命を狙われ続けてきた俺達なら、ある程度のことは対処できるだろう。
仮に対処できなかったとしても、その時はカリンとアリナだけでも逃すことさえ出来れば、それで良い。
「で、では、行こうか」
予想外な事態を前に明らかに動揺しているアリナは自分が言い出しっぺだからだとか、そんなことを気にしているのか、真っ先に階段に足を乗せた。
続いてカリン、俺、グレイが彼女を追って階段へと足を踏み入れる。
「それでは、ごゆっくり……脳味噌が蕩けるような愉悦の時間を、お楽しみ下さいませ」
全員が階段へと足を付け、最後尾のグレイの身体が完全に闇の空間へと収まった時。
悪魔の囁きでも聞いてしまったかのような一瞬の戦慄に、即座に後ろを振り返った、が。
「扉が……」
(……無くなってますね)
さっきまで扉という枠越しから見ていた日常的な風景も光も、何も無い。まるで初めから、そこには何も無かったかのように。
それでも俺達が慌てることなく、互いの存在を確認出来ているのは、周囲を浮かぶフワフワとした綿毛のような何かが、俺達と階段を優しく照らしているから。
だが同時に、その光は俺達の背後にあるのは扉でもファミリーレストランでもなく、岩で出来た壁だという事も教えていた。
「な、何なのよ、ここ?!」
摩訶不思議な現象が続いているせいか、カリンの声は僅かに震えている。
「……何にせよ、もう後戻りは出来ない。先に進もう」
アリナの凛とした声が、静かな闇に響く。
「大丈夫。例え、この先で何が起こっても君達は必ず、私が守る」
普段と変わらず高い位置で括られた髪を揺らしながら振り返った彼女の表情は、不思議と安心感を覚えるほどに穏やかだった。
……これが、十数分前に起こった事の全容である。
無駄に真剣に対応し過ぎた過去の自分が恥ずかしいが、もっと恥ずかしいのはアリナだろう。
あんな台詞を言っておいて、いざ階段が導く果てへと到着すると〝お帰りなさいませ、ご主人様♡〟と、思考を停止させるには充分な破壊力の挨拶で迎えられた上に、実は、ここは所謂、知る人しか知らない裏メニューならぬ〝裏店〟なのですと説明されては。
事実、さっきから目の前の彼女は一度も顔を上げないし、上げようともしない。
俺が彼女の立場でも、全く同じ行動を取って……いや、もしかしたら、この場から逃げ出していたかも知れない。
……まぁ、何も危険が無いと分かったのは良かったが、それよりも今は……
(早く帰りたい……)
だが、俺達は席に着いたばかりで、まだ注文すらしていない。
まだまだ長くなりそうな時間に、キリキリと痛む胃を空腹のせいにして、俺は目の前の異様な光景を唯々、無心で見つめることに専念した。




