118話_兄弟
その後、アンドレアスの〝玄関まで送ろう〟という一言が出るまで、気まずい沈黙が続いた。
部屋を出て、薔薇の香りに包まれた渡り廊下を歩く。
程良い温度を保った風が、異常なまでに心地良い。
「初めて、ここを通った時も思ったけど……すごい数の薔薇だな」
リュウの言葉に全員が足を止め、下に広がる薔薇庭園を見た。
「この薔薇達は、我の幼少期より母上が大切に育てていたんだが……母上が亡くなってからは、執事やメイド達による当番制で世話をするようになった。少し前まではローウェンが、そして今は……」
アンドレアスが言葉を止める。
細めた彼の瞳が、儚い蝋燭の火のように揺れた。
そんな彼の視線の先にいたのは、彼の弟--アレクシスだった。
初めて会った時と同じ、フード付きの黒いマントを羽織っている。
声をかけるのかと思いきや、彼はアレクシスが薔薇に水を遣る姿を見つめているだけで、口を開こうとしない。
リュウ達も、興味深そうにアレクシスを見ている。
「……声をかけないのですか?」
アンドレアスだけに聞こえるように囁くと、彼は眉を下げながら、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「あぁ、アレクシスは我のことを嫌っているからな。……このまま静かに立ち去ろう」
そう言って彼は、逃げるように先へと進み出した。
突然、歩き出したアンドレアスを、アラン達は慌てて追いかけた。
再度、アレクシスを見つめ、俺も彼らの背中を追いかけようと足を1歩前へ踏み出した時。
「……ライさん?」
下から呼ばれた自分の名に、離したばかりの手摺りを再び掴んで、下を見た。
フードを取り、アンドレアスと同じ色の瞳が優しい曲線を描いた彼は、こちらに控えめに手を振っていた。
「あぁ、やっぱり、ライさんだ! 数日ぶりだね」
瞳を閉じ、ニコリと笑ったアレクシスの言葉に応えるように、俺は頭を下げた。
視界の端では、立ち止まって、こちらを振り返っているアンドレアス達の姿が見える。
「今日も、兄さ……兄に呼ばれて、来たの?」
「……はい。ですが、もう用事は済んだので、今から帰るところです」
そう答えると、アレクシスは納得したように〝そうなんだ〟と頷いた。
「それなら丁度良かった。ライさんに渡したい物があるんだ」
「……渡したい物?」
「うん。この間のお詫び……と呼べる程の物では無いけど、もし良かったら……」
遠慮がちに吐かれた言葉に、俺は思わずアンドレアスの方を見た。
「行ってあげてくれ、ライ殿」
こちらが問いかける前に、言葉が紡がれた。
「声を聞いただけで分かる。どうやらアレクシスは、ライ殿に懐いているようだ。だから……もし良ければ、ライ殿の方からも彼に寄り添ってはくれないだろうか?」
俺は、すぐに頷く事が出来なかった。本当は、自分がアレクシスに駆け寄りたい筈なのに、彼は、その役割を俺に委ねようとしていると分かったからだ。
このままで良いわけが無い、だが……
「……はい」
他人の俺に出来る事など、あるわけも無く、複雑そうに微笑むアンドレアスの言葉に結局、頷くしかなかった。
アラン達から困惑した視線を向けられながら、俺は手摺りに手をかける。
そして、勢いをつけるような軽く膝を曲げ、思いきり飛び上がった。
「え……」
誰かの、意図せず漏らした声が聞こえた。
◇
二階の渡り廊下から地上へと飛び降りた俺は、風の魔法を使って難なく着地。
慌てて駆け寄り、〝だ、大丈夫?〟と心配そうに声をかけたアレクシスに、皆の慌てた顔が非常に面白かったと淡々と答えたら、彼は面食らったように目を丸くした。
「大丈夫そう……だね」
安心したような呆れたような……彼の表情からは、そんな感情が滲み出ていた。
「おい、ライッ!! 階段があるんだから、そこから行けよっ! 心臓が飛び出るかと思っただろうがっ!!」
「階段より、そこから飛び降りた方が速いだろ」
「いや、だからって……」
俺が飛び降りた事で、リュウとアランとヒューマ、そしてアンドレアスが手摺りに手をかけて、こちらを見下ろす姿勢となった。
それは、つまり……アレクシスにも、彼らの姿が見えているという事。
「あ……」
彼が動揺しているのが、一目で分かる。
その動揺に真っ先に気付いたのは、一瞬だけ悲しい表情を見せたアンドレアスだった。
「……ライ殿、アレクシスを頼む」
それだけ言い残し、彼は視界から消えた。
彼に続くように、アラン達も〝先に行くね〟と手を振り、駆け足で去って行く。
足音が完全に聞こえなくなった時、チラリとアレクシスを見た。
何かを後悔しているような表情。
嫌っている相手を想って作られたような表情では無い。
……もしかしたら彼らは単に、すれ違っているだけなのかも知れない。
本音を語る勇気も聞く勇気も無いから、自分が傷付かなくて済むように距離を置いて。
そうやって、今日まで過ごしてきたのかも知れない。
「……アレクシス王子とアンドレアス王子は、とても似ていますね」
「え、あぁ……兄とは髪も瞳の色も同じだからね」
「見た目もそうですが……俺が似ていると言ったのは〝性格〟のことですよ」
この人は、何を言っているのだろう?
そんな疑問を抱いているという確信が持てる表情だ。
ある意味、予想通りの反応に、ヒクリと口角が上がった。
「お、驚いたなぁ。今まで〝正反対だね〟って言ってきた人は沢山いたけど、〝似てる〟って言ったのはライさんが初めてだよ」
それは、他の奴等の目が節穴だからだ。
「えと……良かったら、聞かせてもらえないかな? 僕達の似ている所を」
困惑の中に紛れている、微かな期待。
これで確信した。
アレクシスは、アンドレアスを嫌ってなんかいない。
「えぇ、良いですよ」
俺は、2人に抱いた共通の印象を話した。
御礼と謝罪が素直に言える所。相手の気持ちを優先して、物事を考えられる所。だけど、少し臆病で……自分の気持ちに素直になれないでいる所。
他にも、王族らしくない所や、意外とチョロ……人懐っこい所なんかもあったが、それは伏せておいた。
「自分の気持ちに、素直に……」
やはり、何か思い当たる節があるようだ。
アレクシスは、自分の心に問いかけるように胸に手を当てた。過去の情景を思い起こさせるように、彼の灰色の瞳が閉じられる。息を吸い込み、胸に詰まった何かを吐き出すように大きく息を吐いた。
丁寧な一呼吸の後、目蓋がゆっくりと開き、雨が上がる直前のような明るい灰色の瞳が、俺を捉える。
「ライさん、ありがとう」
今のは、似ている所を教えた事に対してだけの御礼では無いと、彼の表情を見て察した。
「どういたしまして」
詳細を何も知らない俺に出来るのは、ここまでだ。後は、アレクシスに任せても大丈夫だろう。
そう思える程に、彼の笑顔は晴れやかで……先ほどアンドレアスが見せた笑顔と瓜二つだった。




