116話_友
「では、拙者達も戻るか。目的は果たしたからな」
リンを見送った俺達に、レイメイが静かに言葉を漏らした。
「あら、そう? それじゃ、お先に帰りなさいな。ワタシは、もう少しライ様といるから」
「何を言っている。貴様も一緒に帰るんだ」
メラニーの首根っこを掴んだレイメイは、ズルズルと彼女を引きずった。
「えぇ、嘘でしょ?! 折角、ここまで来たのよ?! 観光くらいしたって良いじゃない!!」
「今、しなくても良いだろ。今後は、王都に一瞬で来れるのだから」
「そういう問題じゃ……っ、ライ様ぁ、助けてぇ!!」
救いを求めるように手を伸ばしたメラニーの手を取らずに見送るように手を振れば、彼女はガーンという効果音が似合うほどにショックを受けた表情で固まった。
「ほら、帰るぞ」
レイメイが俺達に深々と頭を下げた次の瞬間。
メラニーと共に、一瞬で姿を消した。
部屋に残ったのは、去る瞬間まで彼らを呆然と見つめていた俺達と、思案顔で眉を顰めるアンドレアスだ。
「……ライ殿、リュウ殿、アラン殿、ヒューマ殿」
名前を呼ばれた俺達は、一斉に彼を見た。
「この度のこと、改めて礼を言わせて欲しい。急な事だったにも関わらず、こうして皆が集まり、最後まで我に協力してくれた事、本当に感謝している。……本当に、ありがとう」
ゆっくりと頭を下げた一国の王子に、俺達は互いに顔を見合わせた後、我に返ったように慌ててアランが口を開いた。
「あ、頭を上げて下さい、アンドレアス王子! 僕達は……特に、僕なんか何も貴方の助けになったような事は……」
「そんな事は無いぞ、アラン殿」
徐々に萎んでいくアランの言葉を、アンドレアスが否定した。
「恥ずかしい話、我は、これまで自分と近しい年齢の者達と交流する機会が、あまり無かった。あったとしても、立場や形式に縛られた繋がりでの交流のみ。だから、あの時……実技試験で貴殿等の姿を見た時、羨ましいと思った。肩を並べて共に戦い、勝利を抱き合いながら喜び合う。そのような存在が当たり前のようにいる貴殿等が」
王子という立場。
その立場が、これまでずっと、彼を苦しめていたのかも知れない。
生まれながらにして〝特別〟を手に入れた彼は代わりに〝普通〟を手放した。
俺とアランが森で遊び、駆け回っていた頃……彼は何をしていたのだろう?
俺達と同様で遊んでいた? それとも、幼い頃から国や行政の勉強を? もしくは護身用にと、剣の稽古や武術を習っていたのだろうか?
結局は想像の範囲内だが、それでも、幼少期の頃から彼が、俺の知る〝子どもらしい環境〟に居られなかった事は容易に想像がつく。
決して綺麗とは言えない、大人達の様々な思惑が蔓延る城での生活……想像しただけでも、息苦しい。
「王子という称号を手にした以上は致し方ないと重々承知している。だが、それでも……貴殿等と共に過ごした、この数日間は本当に楽しかった。一瞬、王子という立場を忘れてしまった程に」
「アンドレアス王子……」
物憂げな表情でアンドレアスの名前を呟いたアランに、彼はニッと白い歯を見せながら笑った。
「あんなにも刺激的で、退屈しなかった旅は初めてだ! 数日という短い期間ではあったが、貴殿等と共に過ごせて良かった!!」
昔と変わらない。
……いや、寧ろ、昔よりも酷くなっている気がする。
相変わらず愚かな程に真っ直ぐで、素直で……つくづく王族に相応しくない人間だ。
昔、彼を追い払わず、少しばかりでも話をしていたら何か変わっていたのだろうか? ……なんて無意味な思考を巡らせ、即座に打ち消す。
「え? アンドレアス王子は、もうオレ達の友達みたいなもんじゃないの?」
穏やかな笑い声が響いていた空間が一瞬にして、シン……と静まり返った。
空気を破壊した上に、その事にさえ気付いていない馬鹿は「え、違うの?」と同意を得るように忙しなく問いかけ続けている。
「……お前、分かってるのか? 相手は王子なんだぞ?」
問いかけるも、リュウは〝だから何だ〟と言わんばかりに首を傾げた。
「勿論、それは分かってるけど……王子だからって何か問題があるのか? オレは昔から種族とか、そういう小難しいのは関係なく接してきたからさ。そういうの、よく分からないんだけど……まぁ、それに……最後は一人になっちゃったし」
そういえばピクシーを含めた妖精族は一族間は勿論、多種族にも無償で奉仕するような、お人好し種族だったような。
弱者とされている彼らが、この世界を生き抜いていくために自然と身に付けた処世術のようなものなのかも知れないが……彼の場合は、それとも違うように思える。
彼は、根からの、お人好しなのだ。そして、自分に正直過ぎる。
だから平然とした表情で空気を破壊する言葉を放り込む。まさに、今のように。
視界の端でアンドレアスが顔を俯かせて身体を小刻みに震わせている。
この後の展開をなんとなく察した俺は、ゆっくりとリュウと距離を取った。
「リュウ殿ぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!!」
「ぐ、ぇっ……っ!?」
アンドレアスの熱苦しい抱擁が、リュウを襲う。
……避けてて良かった、本当に。
「貴殿は我を……我を友と言ってくれるのか!?」
嬉々とした表情でアンドレアスが問いかけるも、熱烈な抱擁の衝撃で魂が抜けかけている今のリュウには、その問いに答える余裕は無さそうだ。
「ラ……ライ殿も、か?」
「え?」
「ライ殿も我のことを、その……友と、思ってくれているのか?」
……らしくもなく、しおらしい問いかけと共に、この場にいる全員の視線が自分へと向けられる。
おい、待て。
何故、俺だけ追い詰められているような状況になっている?
「……ライ殿?」
何も言わない俺に、アンドレアスの表情が曇っていく……というか、今にも泣きそうだ。
俺は覚悟を決め、小さく一呼吸した。
「俺も……アンドレアス王子のことを友人だと思ってますよ」
元々、彼のことは嫌いでは無い。
それどころか、王族の人間らしくない性格なんかは、それなりに気に入っている。
王子が俺達のような庶民を友として扱うことで後々、彼にとっても俺達にとっても何か困るようなことがあるのではと警戒して、出来れば、この話題には介入したく無かったのだが……
今にも大泣きしそうな彼の表情と、他の者達の視線に耐えられなかった。
項垂れるように溜め息を吐いた時、床に大きな影が出来たのが見え、顔を上げた。
その瞬間、アンドレアスと……何故かリュウの満面の笑みが目の前に、そして……
「ライ殿ぉぉぉぉぉぉおお!!!」
「ラィィィィィィイ!!」
俺は叫ぶ暇も、魔法で回避する暇も与えられず、男二人分の重みを受け止め、倒れた。
「お前なら、そう言ってくれるって信じてたぜっ! さすが、俺の相棒!!」
いつ、俺がお前の相棒になった。
「ライ殿……っ、ラ……ライ殿ぉぉぉぉぉお!!!」
最早、彼に至っては何を言いたいのかすら分からない。
そんな俺達を、アランは微笑ましそうに見つめ、ヒューマは他人事なのを良い事にヒューヒューと揶揄うように声を漏らしている。
……もう良い。こうなったら全員、巻き込んでやる。
「アンドレアス王子。俺やリュウだけじゃありませんよ。アランやヒューマだって……貴方のことを大切な友人だと思っています」
「何っ?!」
こうして、全員がアンドレアスを友として認め、彼からの熱い抱擁の洗礼を受けた。
どこか堅苦しさを無くした彼の笑顔は俺達と変わらない、年相応の少年の笑顔だった。
(彼も……こんな表情で笑うのだろうか?)
アンドレアスとは違い、どこか儚げな雰囲気だった彼。
何かに縛られているような、何かを背負っているような不穏な影さえ感じられた彼。
もし彼も今、この場に居たならば……兄と同じような笑顔を浮かべていたのだろうか?
彼らの笑顔を見つめながら、俺は薔薇庭園で出会った、もう一人の王子の存在を思い出していた。




