112話_村の記憶は、受け継がれていく
「もうライ様ったら、照れちゃって……可愛い♡」
何やら背筋の凍るような言葉が背後から聞こえた気がするが、今の俺は反論することよりも、一刻も早く彼女から離れることを優先した。
飛び出すように外へ出ると、ビクリと身体を上下させたリュウが、驚きを表した目を俺に向けた。
「び……っ、くりしたぁ……」
右手には、食べかけの握り飯。
しかも、ご丁寧に頬には米粒まで付けて。
その姿は、彼と同様、握り飯を食べている子ども達と瓜二つだった。
「話は、終わりました? おむすびを作りましたので、良かったら、どうぞ」
「あ、どうも」
お盆になった大きな皿に積まれた大量のおむすびを1つだけ手に取り、齧り付いた。
絶妙な塩加減だ。それに炊けて間もないのか、口内に暖かな春ような優しい温もりが広がっていく。
もっと寄越せと、腹の虫が主張を繰り返す。
気付いたら俺は、再び握り飯を手に取っていた。
「まだまだ沢山、ありますから。遠慮なく食べて下さいね」
クスクスと笑う女の鬼人が前にいた事も忘れて、一瞬でも握り飯に夢中になってしまった自分が、なんだか恥ずかしくて彼女から視線を逸らし、先ほどよりも小さく口を開けて握り飯を食べた。
「ぁ……あ、の……」
1つ目の握り飯を食べ終えた時、下から控えめに吐かれた少女の声が聞こえた。
視線を下に落とすと、熱でもあるのかと心配になる程に頬を赤く染めた鬼人の少女が俺を見上げていた。緊張しているのか、身体はガチガチに固まっていて、漏れる息も少し荒い。
「……どうした?」
少女の視線に合わせるように跪き、出来るだけ怖がらせない声色を心掛けながら、言葉を紡いだ。
ガラス玉のように大きく、澄んだ少女の瞳には、俺の顔が映り込んでいる。
「っ、あ、あの……その……」
目を伏せた彼女は、まるで助けを求めるかのように後ろを振り返った。
彼女が振り返った先では、彼女と同い年くらいの数人の鬼人達が、それぞれの形で彼女にエールらしきものを送っている。
「ミサキちゃーん、頑張れー!!」
「ほら、もう少し!」
「早く、言っちゃえー!!」
力強く応援する彼女達の横では、恐らく少女の母親であろう鬼人が、微笑ましそうに笑っている。
心なしか、周囲の鬼人達の視線も気味が悪いほど穏やかだ。
……何だ? この空間で、一体、何が起こっている?
この空間で場違いなのは、俺と……同じ立ち位置だと認めるのは癪だが、リュウだけのようだ。
「ラ、ライ……おに、ぃ、ちゃん……っ、こ、こ、これ…………あげるっ!!」
なんだか見ていて可哀想に思えてくる程に絞ったような声を出したミサキと呼ばれた鬼人の少女は、ズイッと何かを差し出した。
思い切りが良過ぎたせいで、彼女が差し出した物は俺の顔に掛かってしまったが、硬いものでは無かったため痛くはない。
少し癖のある草の匂いと、甘い花の香り。
反射的に手で触れると、差し出された物が輪の形を描いていることが分かった。
植物の香りに、輪状の物。
これら情報で、差し出された物の正体がわからないほど、流石に鈍くはない。
(…………花冠か)
器用に編み込まれた花々が、これまた見栄えの良い配色で並べられている。
初心者には出来ない芸当だと、花冠を作ったことの無い俺でも、すぐに分かった。
「俺に、くれるのか?」
手に取った花冠を見せながら少女に問いかければ、少女は恥ずかしそうに小さく頷いた。
…………何故、俺に? そもそも、何故、花冠?
少女の行動の意図が分からず、声も出せぬまま思考回路にて迷子になってしまった。
そんな俺に救いの手を差し出したのは、少女の隣に立ち、俺と同様、彼女の視点に合わせるようにしゃがみ込んだ女の鬼人。
どことなく、この少女と雰囲気が似ている。やはり、この女性は彼女の母親なのだろう。
「この子、貴方に渡したいって一生懸命、作ったの。私も久しぶりだったから上手く教えられるか不安だったけど……意外と覚えているものね。今じゃ、この子の方が上手に作れるようになっちゃった。……良かったら、受け取ってもらえないかしら?」
誰かが、言ったわけでは無い。況してや、確固となる証拠も無い。
それでも、今の言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にアザミが現れた。
そう……あれは、レイメイが彼女に向けた言葉。
──昔、貴女に押し花や花冠の作り方を教わったという者から頂いた物です。この栞を作った者は、今も新たなソウリュウの村で、子どもと一緒に暮らしています。
(まさか……)
俺は、改めて女性を見た。
「あの……〝アザミ・セイリュウ〟という鬼人を、知っていますか?」
最早、賭けだった。
何の手掛かりも無い状態で、〝犯人は貴方です〟と宣言したようなものだ。
だが、決して当てずっぽうで放ったわけでは無かった。
「貴方、もしかして……アザミさんの知り合い?! うわぁ、嬉しいわぁ。まさか、ここでアザミさんの名前が聞けるなんて……っ! みんな、いらっしゃいな! この子、アザミさんの知り合いみたいよ!」
俺は賭けに勝ったのだと、すぐに分かった。
嬉しそうに紡がれた言葉が小さな村に響き渡った瞬間、俺は数人の女の鬼人達に囲まれていた。
「アザミさんの知り合いなんだって? いつ、知り合ったんだい?」
「アザミさんにも会ってきたの? 元気だった?!」
「こらこら、アンタ達。そんなに一気に質問しても答えられるわけ無いだろう」
わらわらと囲まれて、もう何が何だか……
お手上げ状態になりかけた時、パンパンと戒めるような手拍子が聞こえた。
「皆さん、お話をしたい気持ちは分かりますが……まずは、ご飯を食べませんか?」
そう言ってニッコリと微笑んだのは、ヒメカだった。
微笑んでいる筈なのに……その笑みは、どこか威圧的だ。
その瞬間、鬼人達は、見事に散らばって行く。
「それでは……頂きましょうか」
いつの間にか全員の手に行き渡っていた握り飯は、ヒメカの号令と共に、各々の口へと運ばれる。
俺は手にある花冠を見つめたまま、その場から動けなかった。
「………………」
〝冠、頭に乗せてくれないの?〟
握り飯を頬張りながら、少女が目で訴えてきている……ような気がする。
あくまで、そのような気がするだけなのだが、少女からの何やら意味深な無言の視線に勝てるはずも無く、俺は渋々、花冠を頭に乗せたのだった。
そんな俺を見たリュウが、あからさまに馬鹿にしたように笑いやがったので、手に取ったばかりの彼の握り飯に肉食獣の如く齧り付いてやった。




